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ホンダジェット [├雑談]





2015年12月から販売を開始したホンダジェットですが、その後徐々に生産が軌道に乗り、

2017年には43機を出荷し、軽量小型ジェット機部門で世界シェア首位を獲得しました。

現在のところ月産4機体制ですが、2019年3月末までにこれを7機に引き上げる計画だそうです。

今年に入り、3月には「ANAビジネスジェット株式会社」によるビジネスジェットチャーターサービスに、

ホンダジェットを活用すると発表があり、

5月27日にはアップグレード版「ホンダジェット エリート」の発表がありました。

また、6月7日には、ホンダジェットの日本国内のディーラーは丸紅に決定したと発表がありました。


ビジネスジェット大国のアメリカでは、2015年現在13,000機の運用があるのに対し、

日本国内では90機程度に留まっています。

国内販売決定に関連してホンダの八郷隆弘社長は記者会見の席上、

「国内の多くの顧客から要望を受け、需要が見込めることが確実に分かった」と説明。

またホンダエアクラフトカンパニーの藤野社長は、

「参入をきっかけに国内市場規模を4~5年で2倍にしたい」と述べました。

国内でホンダジェットがたくさん飛び回って欲しいです。

そして超個人的な希望を言わせて頂くと、埼玉のホンダエアポートを拡張して、

ここでホンダジェットが飛んで欲しい。

できればここにホンダジェットの訓練施設ができて欲しいです。

どうかできてください。


公式サイト   

(次回からアラスカ強化月間に戻りマス)


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甲府練兵場着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  



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1934年(昭和9年)5月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)
無題2.png
撮影年月日1947/11/21(USA M662 93)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

山梨県甲府市にある「緑が丘スボーツ公園」。

戦時中この周囲一帯は甲府練兵場で、練兵場の中に着陸場がありました。

■アジ歴「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」の中に当着陸場の資料がありました。

先頭のグーグルマップは、同資料内の図から作図しました(下記リンク参照)。

ごく一部ですが、以下引用させて頂きます(オイラ訳ですので間違えていたらゴメンナサイ)。

甲府練兵場(昭和9年5月調)
位置 山梨県西山梨郡相川村
高さ 287米
広さ 演習場は170,000平方米以上 着陸場は長さ(東西)450米、幅(南北)150米。
其の他 練兵場の西及び北東側の地図上に示した拡張が提案された区域は、
着陸場適地とする作業の後、山梨県愛国献納会から陸軍に献納された

DSC_0050.jpg

着陸場のあった場所はこんな感じ。

現在はすっかり住宅地になっています。



     山梨県・甲府練兵場着陸場跡地         
甲府練兵場着陸場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:着陸場
所在地:山梨県西山梨郡相川村(現・甲府市緑が丘)
座 標:N35°40′45″E138°33′34″
標 高:287m
着陸帯:450mx150m
方 位:09/27
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
アジ歴「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」  
ブログ内関連記事       


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長野県・下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート [├場所]

   2018年5月訪問 2022/1更新  





長野県の諏訪湖北岸にある赤砂崎公園。

前記事では、「赤砂飛行場跡地の南半分は、現在赤砂崎公園になっている」旨書きましたが、

この公園は元々防災機能を備えた公園として整備されました。

そして園内には「下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート」があります。

ヘリポート条例がネットで閲覧可能になっております(下記リンク参照)。

「日本一高い空港」を謳う松本空港は標高657mですが、

当ヘリポートの標高はそれより100m以上も高く、なんと762mです(☆Д☆)

条例の第9条は、「ヘリポートの使用料は、無料とする。」とあります。

あらステキ!

これは是非一度オイラも下りてみようか。と思ったんですが、

その第2条によりますと、

「緊急医療活動、消防活動、警察活動若しくは災害対策等(訓練を含む。)又は公共・公益施設の維持管理の用に供するため、ヘリポートを設置する。」

とあり、第6条では、「原則としてこれ以外の使用は許可しない」とあります。

残念。

はっ!

オイラそもそもヘリ持ってなかったや。d( ̄∇ ̄*)☆\(--


DSC_0015.jpg


DSC_0021.jpg


DSC_0023.jpg
これ見よがしに標高が高いことをアピールするペイント(違)。

国内にこれより高いヘリポートってあるのかしらん。




     長野県・下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート         
下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート データ
設置管理者:下諏訪町長
種 別:防災ヘリポート
所在地:長野県下諏訪町10944番地 赤砂崎公園内
座 標:N36°03′35″E138°04′45″
標 高:762m
方 位:09/27
全長31メートル以下かつ最大離陸重量23トン未満とする
(座標、標高はグーグルアースから)

関連サイト:
下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート条例  
ブログ内関連記事       


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赤砂飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  



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1938年(昭和13年)3月調査資料添付地図 Translation No. 30, 11 January 1945, Airways data: Chubu Chiho (B). Report No. 3-d(28), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)
無題1.png
撮影年月日1947/10/02(USA R238-No1 47)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

長野県諏訪湖北岸の下諏訪町にあった「赤砂飛行場」。

■「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」の中に当飛行場の資料がありました。

先頭のグーグルマップは、同資料の付図から作図しました(下記リンク参照)。

同資料内の情報を一部ですが引用させて頂きます(オイラ約なので間違えていたらゴメンナサイ)。

赤砂飛行場(1938年3月調)
長野県諏訪郡下諏訪町字赤砂
(下諏訪町の北北西1.8km)
高さ 湖面から0.5m
広さ及形状 490,000平方米。
着陸場は第一地区長さ(東西)200m、幅80mと、第二地区長さ(南北)200m、幅70mから成る。
土地は下諏訪町から借り、飛行協会が飛行場として使用している
最初の飛行機は着陸の際、飛行場の狭さから破損したと報告あり

DSC_0012.jpg

赤マーカー地点。


DSC_0016.jpg

青マーカー地点。

飛行場跡地の南半分は現在赤砂崎公園になっています。



     長野県・赤砂飛行場跡地         
赤砂飛行場 データ
設置管理者:飛行協会
種 別:着陸場
所在地:長野県諏訪郡下諏訪町字赤砂
座 標:N36°03′39″E138°04′45″
標 高:762m
滑走路:
第一地区:200mx80m(06/24)
第二地区:200mx70m(15/33)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)


関連サイト:
アジ歴「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」  
ブログ内関連記事       

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中部(関東、関西)・4 [■旅行記]


Ⓐ道の駅風穴の里→Ⓑ松本(長谷川、笹部)飛行場跡地→Ⓒ赤砂飛行場跡地→Ⓓ下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート→Ⓔ松本空港→Ⓕ甲府練兵場着陸場跡地→Ⓖ自宅


4日目

4:00 起床

夜中に震度5弱の余震がないかしらん。と心配していたんですが、特に揺れることはありませんでした。

4:25 道の駅風穴の里出発

朝からどんより曇っていて、昼前後から雨の予報が出てました。

5:30 松本(長谷川、笹部)飛行場跡地見学。

ここは2010年にお邪魔していたんですが、場所がハッキリしたのでまた行ったのでした。

過去記事に追記してありますので、興味のある方はご覧くださいませ  

ここから5km程の所に松本空港があって、最近展望デッキに張られたワイヤフェンスを見に行くつもりでした。

でもせっかくなので、ヒコーキのいる時間帯にしようと最近購入したスマホで調べると、

伊丹から9:30到着のJAL機があります。

おおおお、サスガスマホ! スマホ便利!

せっかくなのでこのJAL機のタイミングに合せてることに。

まだ4時間もあるので、片道30km程行って、また戻って来ることになるんですが、

先に「赤砂飛行場跡地」に向かいました。


DSC_0019.jpg

6:35 諏訪湖岸にあった「赤砂飛行場跡地」。

そして、偶然見つけたヘリポート見学。

本日は赤砂公園で何事かあるらしく、たくさんのスポーツメンがいて、おぢさんたちが旗振りしてました。

松本空港へ。

途中の昼食のお握りを購入したセブンでお土産コーナーがあったので、

ここで家族とお客さんのお土産購入を済ませることに。


IMG_20180513_065944.jpg

7:10 ガストで鯖味噌朝食。

9:30のヒコーキまで時間があるので久々に店内でゆっくり。

松本空港の駐車場で仮眠をとり、空港の撮影開始。

ところが、もう9時を過ぎたというのに、お客さんがさっぱり来ません。

…アレ?

展望デッキに掲示してあった時刻表には、9:30 の便は記載がありませんでした。

そんなバカなとスマホをよく見たら、9:30の便は8月だけの運航だったのでした。

_| ̄|○ il||liガックシ

9:40 松本空港発。

次のポイントへ。

本当は野辺山の丸山の碑が見たかったんですが、

ドコから登ればいいかわからず、予報通りなら丸山に到着する頃に降り出しそうなので、

野辺山に行く分岐点まで行こうかどうしようか迷ったんですが、結局止めました。

12:20 山梨県・甲府練兵場着陸場跡地

これにて今回の見学終了。

車に戻った途端ポツポツ降ってきた。

ん~、結果論なんですが、松本空港でのロスがなければ、丸山行けたっぽい。。。

ヘンな所が積み残しになっちゃいました。。。とほほ。

12:30 給油

初日に自宅近くで満タンにして、2日目に琵琶湖で給油して、これが3回目の給油です。

そして一路自宅へ。

甲府市から自宅までは122km。

旅行中は念のため早めに給油するんですが、そうじゃなきゃ、途中1回の給油でいけたな。

16:40 自宅着

これにて今回の旅行記はおしまいです。

長々とお付き合い、ありがとうございました。


本日の走行距離:310km
総走行距離数:1,729km
総燃費:21.6km/L
(4日目に新たにお邪魔した3カ所の記事をアップした後、またアラスカ強化月間に戻りマス)

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高山市北北東方上野平着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  



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1938年(昭和13年)3月調査資料添付地図 Translation No. 30, 11 January 1945, Airways data: Chubu Chiho (B). Report No. 3-d(28), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)
無題1.png
撮影年月日1947/11/04(USA M626-B 133)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

岐阜県高山市上野町にあった「高山市北北東方上野平着陸場」。

■「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」の中に当着陸場についての図があり、

先頭のグーグルマップはこの図から作図しました(下記リンク参照)。

同資料内の情報を以下一部ですが、引用させて頂きます。

1938年3月調
高山市の北北東3km
標高650m
最大値350mx100m
着陸場の北東部分は農地
着陸場の西側に高さ10mの木あり
地元の人々は当着陸場を「上野平飛行場」と呼ぶ
当地は岐阜県吉城郡古川町のコンダマゴスケの私有財産
過去に陸軍機と民間機が当着陸場に着陸したことがある


DSC_0004.jpg

赤マーカー地点。


DSC_0003.jpg

青マーカー地点。

現在は美しい田園が広がっています。




     岐阜県・高山市北北東方上野平着陸場跡地         
高山市北北東方上野平着陸場 データ
種 別:着陸場
所在地:岐阜県高山市上野町
座 標:N36°10′13″E137°16′07″
標 高:650m
滑走路:350mx100m
方 位:11/29
(座標、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場  
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滋賀県・柏木航空基地(未着工・推定位置) [├場所]

   2018年5月訪問 2022/1更新   



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撮影年月日 1947/11/21(昭22)(USA M661-1 37) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


滋賀県甲賀市に戦争末期の時期、「柏木航空基地」の建設計画がありました。

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調) 

に当航空基地についての情報がありました。

最寄駅よりの方位距離:八幡線三雲駅E4
建設年:1945
滑走路の向き:WNW
主要機:小型
主任務:退避

先頭のグーグルマップ青マーカーは三雲駅の東4km地点です。

ググってみると、ここは未着工で痕跡もないとのことなので、滑走路跡が発見できなくても安心です。

ちょうどこの辺り、ポッカリと開けたスペースになっていますね。

航空写真は終戦から2年後のものですが、

北側が山間部になっていて、集落、そして集落と神社を結ぶ道路等、

いかにも戦前からずっとあったように見えるものを避け、

離陸、着陸の延長線上に山間部がかからないように…

いろいろ考えると、多分こんな感じだろう。

という部分に滑走路の線を引いてみました。

滑走路については、方向のみで長さの記載がないため、

「小型・退避」であることから一応800mx80mにしてあります。

実際に建設したとしたら、こんな感じだったのではないかと。


DSC_0162.jpg
赤マーカー地点。

滑走路方向。

西を向くとこんな感じ。

同じ場所で180°回頭すると-


DSC_0164.jpg

こんな感じ。

資料にある滑走路方向と、当時からある道路、地割の方向が同じなんですよね~。

というか、ここの地形、地割から滑走路方向を計画したのかも。




     滋賀県・柏木航空基地(未着工・推定位置)         
柏木航空基地(未着工・推定位置) データ
設置管理者:海軍
種 別:退避用飛行場
所在地:滋賀県甲賀市水口町名坂他
座 標:N34°58′48″E136°09′39″
標 高:171m
滑走路:800mx80m
方 位:11/29
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調) 


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大津陸軍少年飛行兵学校跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  


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撮影年月日1946/10/02(USA R275-A-7 71)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

琵琶湖南西部に位置する滋賀県大津市御陵町。

皇子山球場、運動公園、陸上競技場といったスポーツ施設が並び、京阪電鉄の線路を挟んで西側には、

学校、市役所、文化会館等があります。

かつてここに「大津陸軍少年飛行兵学校」がありました。

ここは主に少年飛行兵の基礎教育の場だったのですが、

滋賀県平和祈念館の展示によりますと、グライダー訓練も行っていたそうです。

残念ながらグライダー訓練を行っていた具体的な場所は不明なんですが、

上の航空写真矢印部分に広々とした場所がありますので、ここでグライダーが飛んでいたのではないかと。

DSC_0143.jpg

赤マーカー地点。

現在は皇子山球場。

オイラがお邪魔した時間帯は丁度試合の最中のようで、場外まで歓声が響いていました。


DSC_0159.jpg


青マーカー地点。

市民文化会館脇に碑まで上がる階段があります。  


DSC_0156.jpg

若鷲の記(全文)
 大津陸軍少年飛行兵学校は、太平洋戦争が苛烈の度を加え、その戦域が益々拡大された昭和十七年十月、航空戦力増強の要請に応じ東京陸軍航空学校大津教育隊として此の地に開設され、翌十八年四月、大津陸軍少年飛行兵学校に独立した。当時十五・六歳の少年たちは、祖国存亡のとき、陸軍航空の期待と栄光の重責を担い、「至誠・純真・元気・周到」の校風のもと、炎熱の朝、酷寒の夕、琵琶湖畔に、長等山麓に、幹部要員として徹底した一ヵ年の基礎訓練に励んだ。その数、第十五期生から第二十期生に至るまで八千有余人。ついで、操縦・通信・整備の各上級学校に学び、若鷲となって大空に巣立ち、北辺の空に南溟の果てに、本土防衛のさきがけとなって愛機と生死を共にした。昭和二十年八月、戦いは終り、これらの出身者、また未だ学業半ばの者は、ともに全国に離散し、本校もまたその歴史を閉じた。往時茫々、戦後三十年。教えし者、教えられし者相つどい、かつて青春のすべてを抛げうった想い出深きこの地に、永遠の平和を願って、茲に「若鷲の碑」を建立する。昭和五十年十月十二日 大津陸軍少年飛行兵学校 関係者一同




     滋賀県・大津陸軍少年飛行兵学校跡地      


大津陸軍少年飛行兵学校 データ
設置管理者:陸軍
種 別:滑空訓練場
所在地:滋賀県大津市御陵町4丁目?
座 標:N35°01′14″E135°51′24″?
標 高:89m
着陸帯:250mx225m?
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1873年    第四軍管歩兵第九連隊駐屯
1934年    第四軍管歩兵第九連隊満州に移駐。臨時陸軍病院として使用
1943年04月 大津陸軍少年飛行兵学校創設
1944年06月 大津市内の中学生が飛行訓練などの軍事教練を受けるようになる

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の碑文


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長田野着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新  



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(昭和6年4月撮影)高度300米 方位SSE 距離1,000米
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1934年(昭和9年)10月調査資料添付地図 Translation No. 31, 12 March 1945, Airways data: Kinki Chiho (A). Report No. 3-d(29), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)
無題o.png
撮影年月日1947/11/03(USA M624 191)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

京都府福知山市長田野にある福知山IC。

すぐ東側には陸自の長田野演習場が広がっていますが、戦時中は福知山IC周辺にも演習場敷地は続いており、

ここに「長田野着陸場」があったのでした。

■国立国会図書館デジタルコレクション「報知年鑑 大正15年」に、

「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」のページがあります(下記リンク参照)。

ここに当飛行場についての情報がありました。

管理人 冬廣正雄
種類 陸上
位置 京都府天田郡下六人部村長田野陸軍演習場
面積 57,000坪

■航空路資料 第5 昭10-4 近畿地方不時著陸場 の中に当着陸場について扱われていました(下記リンク参照)。

先頭のグーグルマップは、この資料の地図から作図しました。

同資料の情報を以下一部引用させて頂きます。

1934年10月調
長田野着陸場
標高:78m
第一地区:600mx80m
第二地区:500mx70m
土壌:黒粘土

当着陸場はいつ設定されたのか不明なんですが、

「1934年10月調」ということですから少なくともこの頃にはあったということで、

周辺の「福知山」、「高津」、「綾部」よりずっと先輩ということになります。

えっへん。

実は現在の演習場内には現役の「長田野離着陸場」 があります。

位置はわりと近いんですが、全くの別物です。紛らわしいですけども。


DSC_0140.jpg

A地点


DSC_0141.jpg

B地点

この周辺は一般人が自由に立ち入ることができて、且つ見通しの良い場所が非常に限られていて、

こんな写真しか撮れませんでした^^;




     京都府・長田野着陸場跡地         
長田野着陸場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:離着陸場
所在地:京都府福知山市長田野3丁目
・第一地区
座 標:N35°17′00″E135°10′32″
標 高:85m
滑走路:600mx80m
方 位:02/20
・第二地区
座 標:N35°17′02″E135°10′38″
標 高:84m
滑走路:500mx70m
方 位:01/19
(座標、標高、方位はグーグルアースから)


沿革
1925年08月 この頃、民間飛行場として使用していた
1934年10月 この頃、地方不時著陸場として登録されていた

関連サイト:
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正15年(183コマ) 
航空路資料 第5 昭10-4 近畿地方不時著陸場  
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高津航空基地跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年5月訪問 2022/1更新   


無題n.png
撮影年月日1947/11/03(USA M624 193)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

「福知山航空基地」の東約3.4km、京都府綾部市高津町にあった「高津航空基地」。

アジ歴の資料:C08011215400 に当航空基地の図面があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました(下記リンク参照)。

この情報は再生おじさんからいただきました。再生おじさんありがとうございましたm(_ _)m

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)

に当航空基地の資料がありました。

以下引用させて頂きます。

位置:京都府何鹿郡中筋村
基地名:高津
最寄駅よりの方位距離:山陰線石原駅E2
建設の年:1945-7
飛行場:600x30 方向EW
施設の所要経費円:含上記(すぐ上の欄は福知山で、8.628.500と記載)
主要機隊数:小型
主任務:退避
(施設欄、其の他欄:記載なし)

冒頭でも述べましたが、当航空基地の西約3.4kmには「福知山航空基地」があり、

前記事の「綾部航空基地」は東南東約4.6kmに、

そして次の記事で登場する「長田野着陸場」は南西約3.4kmにあります。

この周辺は実に多くの飛行場が密集していたことになります。

そして長田野以外の3つは、いずれも戦争末期の時期に建設されました。

先頭のグーグルマップを見ての通りで、JR山陰本線と府道に挟まれた細長い地割に滑走路が設けられました。

ここは元々水田が広がっており、人家等なかったのだそうです。

昭和20年3月に着工し、600mx30mの滑走路の建設が進められました。

■『福知山に飛行場があった!』によりますと、

海軍の予科練習生達が中筋国民学校(現・中筋小学校。先頭のグーグルマップ赤マーカー)

の校庭で寝泊まりして工事が進められ、

中筋国民学校、以久田国民学校(旧・豊里東小学校)の6年生もローラー引きに動員されたのだそうです。

福知山市下天津付近の由良川や兵庫県八鹿付近の円山川の河原からくり石を運んできて、

水田にくり石を敷き、その上にバラスを置きローラーで固めていきました。

航空基地は戦後土地所有者に返還され、各所有者が昭和27年末頃までに元の農地に戻しました。

滑走路に敷かれたくり石は現在も民家の石垣として現役であり、

地元の方々は終戦から70余年経った今もここを「滑走路」、「飛行場」と呼ぶのだそうです。


DSC_0133.jpg

A地点


DSC_0136.jpg

B地点 高津駅付近。

画面左側に府道、右側にJR山陰線。

両者に挟まれた細長い地割の府道寄りに滑走路がありました。

奥に見えている大きな建物は京都協立病院です。



     京都府・高津航空基地跡地         
高津航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:退避用
所在地:京都府何鹿郡中筋村(現・綾部市高津町大橋他)
座 標:N35°18′145″ E135°12′14″
標 高:29m
滑走路:600mx30m
方 位:08/26
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年03月 着工

関連サイト:
アジ歴:C08011215400  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
『丹波綾部の中筋歴史散歩』
『福知山に飛行場があった!』
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)


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