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朝鮮・永川飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2021/10更新(未訪問)  




大韓民国慶尚北道永川(ヨンチョン)市にあった「永川飛行場」。

2021/10/3追記:

金 星一さんから情報頂きました。

赤マーカー地点に当飛行場の掩体壕が存在すること、またこの掩体壕は文化遺産として登録されているそうです。

教えて頂いたサイトの情報を以下引用させて頂きます(Google翻訳。下記リンク参照)。

デジタル永川文化大戦
旧永川飛行場格納庫

項目ID GC05100790
漢字の舊永川飛行場格納庫
分野の歴史/近現代、文化遺産/タイプ遺産
タイプ遺跡/建物
地域慶尚北道永川市グムホウプシンウォルリ
時代近代/日本植民地時代
執筆者イジョンジャ

[詳細]
[定義]
慶尚北道永川市グムホウプシンウォルリの日本植民地時代永川地域に戦闘用の飛行機を保持しようと建立した倉庫。

[開設]
格納庫は飛行機を保管したり、整備する目的で建立した倉庫に霊泉の格納庫は規模が小さいことから、小型戦闘機格納庫である。グムホウプシンウォルリとボンジョンリにその痕跡が残っている海抜226.8m峰西・南一帯と標高191.1m峰南側一帯に大規模飛行場が建設されたことを知ることができる。しかし、完成を控えて解放され、現在ではいくつかの基の痕跡だけが残っている状態である。

[位置]
旧永川飛行場格納庫は行政区域で、慶尚北道永川市グムホウプ新月の森の道18にある。大邱で永川?慶州につながる国道4号線に乗って永川市グムホウプを過ぎると、高架道路の下の陸橋に通じる永川市の方面の道路がある。この陸橋を通過して永川警察署に向かって行くと歩道橋が表示される。この陸橋で左折すると、慶尚北道文化財研究院[ユンソンアパートの隣]があり、直進するとすぐ右側に見ると、畑の中の格納庫が見える。

[変遷]
旧永川飛行場格納庫は日本が戦闘飛行場建設のために、全国を対象に物色していたの降雨量が少なく、気候が安定し永川地域に1945年に建設された。しかし、完成を控え、1945年8月15日解放され、建設は中断された。その後放置されたことを、この地域の住民が、現在汎用倉庫として利用している。
2004年文化庁から全国的に実施した近代文化遺産一斉調査事業の一環として、慶尚北道地域の近代文化遺産の調査を慶尚北道文化財研究院で行うことになっ知られるようになった。調査が終わって数年後格納庫の価値が認められ、登録文化財に申請を控えて、土地所有者が現状変更等の理由で残存格納庫の一部を強制的に撤去して、現在完全に残ったのは1基程度である。

[形]
旧永川飛行場格納庫は表から見ると、まるで貝が半分程度の底に埋もれているカキのように見える。正面から見ると半楕円形で生じたが内側に入って行くほど狭くなり、その先端は集められている。構造は鉄筋コンクリート組コンクリート以外の材料は見えない。これは完成を控えて中断されたために、まだ具体的な養生に使われた板材などのモクブジェがついている。入口の幅は15m、長さは14.3m、入口側床から天井までの高さは3.3mである。中に入って行くほど幅と高さが減少する。

[ステータス]
旧永川飛行場格納庫は、現在新月の森の道18の3基があるが、このうち2基毀損され、その跡だけが残っており、1だけ完全に残っている。ここでは、果樹園や畑として利用されているが格納庫は果樹園の耕作ツールを保管する倉庫として利用されている。一方、ここで南東1.5㎞のボンジョンリサテライト町松原に1基とし、現地の北西堤防内1基半壊されたまま残っている。

【意義と評価]
日本植民地時代、日本が韓国に建立した飛行場の格納庫は、複数の場所が、済州島を除けば、本土には永川のみ残存することが知られている。永川の格納庫は規模が小さいことから、小型の戦闘機を保管するために建立したものと判断される。格納庫の入り口は遺跡の価値より日帝治下の病気の歴史を大事にするという意味で歴史的価値が高いと判断される。関係当局との緊密な協力の下に保存案を立てなければならなるだろう。


洛東江の支流琴湖江沿いにあった日本陸軍の飛行場であるため、

リンク先の写真にある通り、ちゃんと陸軍型の掩体壕ですね。

飛行場との距離は直線距離で約2.7kmあり、

しかも山の陰に隠れるような位置ですから、秘匿性が非常に高いと思います。

金 星一さん貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m


防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

の中に当飛行場の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

図がおおまかなもののため、数百メートルの誤差が生じている可能性があります。

おおよそこんな感じということでご了承くださいませ。

同資料にあった情報を以下引用させていただきます。

永川飛行場
位置 慶尚北道永川郡 東経百二八度四八分 北緯三五度五五分
積量 以下記載無し
地表の状況 
周囲の状況
天候気象の交感
施設 
交通連絡
其の他




     朝鮮・永川飛行場跡地         
永川飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮慶尚北道永川郡(現・大韓民国慶尚北道永川市)
座 標:35°55'24.9"N 128°55'33.9"E
標 高:59m
滑走路:630mx340m(18/36)、750mx250m(03/21)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
デジタル永川文化大戦/旧永川飛行場格納庫 
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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