朝鮮・平壌飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
(未訪問)2024/8更新
北朝鮮の首都平壌。
そのほぼど真ん中に、かつて日本陸軍の「平壌飛行場」がありました。
現在は高層の建物が並び、飛行場跡地のすぐ北側にはウオーターパークが、
跡地内の南西には党創立記念塔が目立っており、ここに飛行場があったとはとても思えません。
■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
に1/20,000の要図がありました。
先頭のグーグルマップはこの要図から作図したのですが、
隣接する川(大同江)の流れが大きく変わり、とっかかりとなるものが乏しい為、
滑走路の位置は400m程度のズレが生じているかもしれません。
ご了承くださいませ。
舗装された滑走路は700mx100m、飛行地区は南北1,300m、南側底辺部は東西800m、
大同江に隣接していること、恒風は北風、作図に含めた格納庫の東側には、
航空支廠、戦大隊、教育隊が設けられ、ここから南に向かって引き込み線が伸びていること
等描かれていました。
滑走路の西側、飛行地区の北西側には、それぞれ付け足したような線が描かれていますが、
これについての説明は特にありませんでした。
同資料に当飛行場の情報がありました。
以下引用させていただきます。
位置 朝鮮平安南道平壌府
積量 二〇〇,〇〇〇平方米
周囲の状況 分廠の煙突教育自動車庫は飛行
場使用に障害たるも其の他周囲は開闊なり
天候気象の交感 舗装滑走路を有し夏季冬季共気
象の悪影響を蒙る事少なきも牡丹
台は注意を要す
尚舗装路外は雨期軟弱化すること多し
格納施設 五〇×五〇三、五〇×四〇三 六五×三〇一
居住施設 兵員収容力約八〇〇名
交通連絡 鉄道引込線を有す又平壌駅-飛
行場幅員一〇米の道路完整し冬夏
諸車の通行容易なり
営外者住宅 西南約四粁平壌府内に陸軍官
舎あり
其の他 記載無し
■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行
の中で、「本邦定期航空現況(昭和十三年十二月現在)」として以下記されていました(6コマ)■
経営者 大日本航空株式会社
航空線路 東京-大連
区間 東京-名古屋間 毎日三往復
名古屋-大阪間 毎日三往復
大阪-福岡間 毎日二往復
福岡-大邱間 毎日一往復
大邱-京城間 毎日一往復
京城-平壌間 毎日一往復
平壌-新義州間 毎日一往復
新義州-大連間 毎日一往復
線路開設年月 昭和四年四月
■朝鮮交通史 1041p
日本国内では航空機の進展に順応して、行政機構の設置、関連法令の制定と航空保安施設の整
備が行われていたが、朝鮮では昭和4年の日鮮満を結ぶ定期航空路の開設に伴いようやくこれに
取組むようになったが、しかも急速に整備する必要に追われた。(中略)
定期航空開始に間に合うようこれの寄航地は次のように準備されたが、朝鮮の飛行場建設に当
たり特に留意しなければならぬ要点は
(1)冬期に土壌の凍結がひどいこと
(2)梅雨季には豪雨により地盤が軟弱となったり、飛行場が冠水するおそれがあること
等があったが朝鮮内では適当な候補地を得られないので、これが選定に当たっては相当苦慮させ
られ、施工に当たっても予想以上の困難が伴った。(中略)
終戦までに整備した飛行場の概況は次の通りである。
平壌飛行場 1046p
従来飛行第6連隊の飛行場の一部を使用させてもらっていたが、軍用機の増加と大型化により
飛行場が狭隘となり、軍の要請もあったので平壌西南方10kmの力浦駅近くの丘陵地帯に飛行場
を建設すべく着工したが未完成に終った。
■朝鮮交通史 1033p
表2 鮮内飛行場利用状況より:平壌飛行場
昭和4年度 | 昭和5年度 | 昭和6年度 | 昭和7年度 | 昭和8年度 | ||
航空機 |
到 着
出 発
|
267
270
|
573
568
|
606
601
|
610
607
|
587
581
|
旅 客 |
到 着
通 過
出 発
|
156
213
153
|
439
620
517
|
355
822
396
|
371
1,322
362
|
319
1,632
325 |
貨 物
kg
|
到 着
通 過
出 発 |
37.00
228.70
121.31
|
64.15
551.87
36.66
|
376.49
6,786.96
549.06
|
101.73
3,133.17
57.10
|
145.97
2,977.92
93.07 |
郵便物 kg |
到 着
通 過
出 発 |
105.68
235.31
150.02
|
148.74
2,183.11
630.15
|
295.32
3,978.33
617.41
|
501.94
10,795.69
661.94
|
1,813.60
26,710.39
1,300.77
|
不定期
航空機
|
到 着
出 発 |
30
43
|
13
18
|
17
21
|
26
29
|
12
17
|
■平壌飛行場での訓練と休日外出の様子
寺嶋さんから情報頂きました。
この話の主役は、寺嶋さんのお父様です。
寺嶋さんのお父様は基本操縦課程を修了後、
昭和19年8月1日付で、朝鮮平壌府 教育第13飛行隊に配属となり、
平壌飛行場にて錬成訓練に勤しむことになりました。
以下、ご本人が残されたメモです(個人名等一部修正させて頂きました)。
西鶏林は楽楼(?)の都
流れる大同江
戦史に知るる 牡丹台
空の護りと 選ばれて
きそう五百の健男児
我等は平壌飛行隊
私は那須野教育隊の基本操縦の課程を修了した。
修了と同時に軽爆分科に決定した。
行く先は朝鮮平壌の錬成教育隊である。
軽爆分科は実際は何の機種で錬成訓練を受けるのだろうか、
双発か単発か、一抹の不安は有ったが、とに角力の限りヤルぞと、意気軒昂であった。
宇飛校からの同期は、45、6名だったと思う。
襲撃練成教育時代の思い出は、今振り返って見れば、
本当に人生の中で一番充実した躍動の時代だったと思う。
若さと意気溌剌たる花の19年(19歳)であり、
毎日毎日明けても暮れても飛行訓練ばかり。
私達の乗る愛機はキ51、950HP(馬力)襲撃機、
低空性能抜群、超低空は実戦訓練の正課である。
私達が訓練する平壌飛行場は平壌の市街の北西に位置していて、
飛行場の南、および北は大同江であり、南洲の南は戦史に名高い牡丹(ぼたん)台であり、
北の大同江の中州になっている処が爆撃訓練場であり、
中央に10米の円形にコンクリートで堅められて中心点に旗サオが立っている。
此の旗サオを同期の誰かが急降下爆撃訓練にて(50kg演習弾)倒した猛者が居たとの事だが、
誰だったろうか。後の話によれば、案外訓練でヘマをする者が、射撃爆撃は上手らしい。
飛行場の滑走路は北西に幅50m 長さ1,000mのコンクリートが一本で、
その滑走路を利用して私達は飛行訓練を行っていたので、
時折、満航、中華航の旅客機が離着陸してた。
特に、ATダグラス等で、また戦隊、重爆、双軽、司偵、双襲、隼、等
その頃稼働している飛行機の総ての機は着陸していた。
それ故、我々が訓練の間の楽しみの一つであった。
飛行場の南は日清戦争の戦史で有名な牡丹台である。
北は航空灯台のあるガミ山で、北に離陸する場合は良い目標であった。(羅針方位N10度)
超低空訓練は襲撃隊の戦闘規範にも有り、戦闘規範そのものが襲撃隊の訓練の基本を教示してある教範である。
中隊教練(通常12機)、小隊教練(4機または3機)、分隊教練(3機または2機)等の訓練を行った。
くる日もくる日も訓練である。特に分隊訓練に妙味がある。
平壌付近は山が少ない。見わたす限り広漠たる平野だ。
その中央を大同江が帯のように湾曲して西の方に流れている。
超低空訓練をするのに最適の場所である。
注意するのは僚機と小高い台地と高圧線のみ。
この高圧線が殆どない、
また大同江は又とない最適な訓練場である。
その大同江を三機又は二機で超低空飛行をする。
その編隊が、飛行場のピスト(天幕を張った操縦者の控所)から見えかくれする。
飛行機が落ちたかとヒヤッとする。
しばしば、飛行機の編隊飛行の基本隊形は一機長一機巾である。
超低空は、戦闘隊形乃ち応用隊形である程度隊長と機巾を間隔を伸ばす。
この編隊飛行及び編隊戦闘訓練は各パイロットが呼吸を合わなければ駄目であり、
長機の意図の儘に動かなければならない。
この訓練が実戦につながる。
例えば敵陣を攻撃する場合は、異方向超低空接敵、急上昇、緩降下銃撃
及び 爆撃、超低空離脱という方法がある。
此の方法の応用動作を毎日毎日繰り返し繰り返し大分やった。
今考えれば、やり甲斐のある訓練であった。
また今思い出せば楽しい訓練であった。
同期の誰かが云っていた。
超低空がおそろしいと云う奴は襲撃隊に有らずと、又、誰云うとなく先ず敵に勝たんと欲すれば、
先ず腕を磨け 生と死、二つに一つ、運を天にまかす
日曜日外出 十月中旬と記憶する。
非常に澄み切った秋空の日曜、私(を含め)、四名だったと思う。
服装は徒手(?)帯剣巻脚絆。
食堂より貰ったネジリパン二個をハンカチに包んで意気揚々
行き先は牡丹台、ついでにキーさん学校見学もしようかと友と話し乍(なが)ら、師範校前より電車に乗る。
電車は旧式、少々ニンニクくさい。
此の電車は平城駅前より、(?)三十ヵ・前交差点より
勝古(?)方面の秋吉台と云う処迄行っていたものと記憶する。
牡丹台方面は三中井前で乗り換えである。
平壌神宮前にて下車、さっそくダラダラ下(くだり)坂を下って、キーサン学校の方に向かう。
然し乍ら誰云うとなく学校前にて見学中止となる。
それ故、今来た坂道をフーフー登って平壌神社に向かう。
参拝客とて誰もいない。とに角、新しいお宮である。いつ頃建てられたのだろうか。
大津の近江神宮に似ているなと話し乍ら参拝を済ませて、拝殿の片隅にてパンをかじる。
小休憩の後、牡丹台の展望台に行こうと歩き始める。
まだ元気がある。誰歌うとなく、平壌飛行隊の歌が出る。
私は山中の小枝を打ち振り歩き乍ら歌う。
小一・(?)も山中の小径を歩いたろうか。日中にて日照が暑い。
又、又、誰云うとなく止めようかと云って、引きかえす事となった。
我々は毎日毎日飛行機に乗っていて、歩くのが不得意なのだ。
その日は、市内の中心部に帰って来て、市内をぶらぶらして、隊に帰った。
唯(ただ)隊の外に来ただけだ。
これで、浩然の気を養ったといって、明日からの訓練にいそしんだ。
メモの中で滑走路についての記述があります。
「滑走路は北西に幅50m 長さ1,000mのコンクリートが一本」
前述の通り、先頭のグーグルマップは、
「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
1/20,000要図から作図しました。
要図は、真上が北であることを示した上で、
滑走路は南北方向であり、「舗装路」、「700mx100m」と明記してあります。
「滑走路は北西に幅50m 長さ1,000mのコンクリートが一本」
とは、向きも長さも大きく異なっています。
先頭のグーグルマップの作図では、ご覧の通りで「舗装路」の西側に斜めの地割があります。
恐らくこの北西方向の地割が、メモにある北西方向の滑走路なのではないかと思いました。
それでは、どちらの滑走路が元祖なのでしょう?
先頭のグーグルマップ作図に使用した資料の表紙には、
「昭和十九年四月二十日調製 第一航空軍司令部」
と記されています。
この資料は、内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む)「付図百九十五枚」
という広範かつ膨大なものです。
「昭和十九年四月二十日調製」ということは、少なくともそれ以前の平壌飛行場の要図ということです。
一方、寺嶋さんのお父様が平壌飛行場に配属となったのは、
昭和19年8月1日でした。
ということで、元々南北方向のの滑走路だったものが廃止となり、
北西方向の滑走路が新設された。
と思われます。
ということで、1,000mx50mの滑走路(赤色)を加えてみました。
元々の敷地内に収めようとすると、恐らくこんな配置だったのではないかと。
恒風は北風ですし、滑走路北端が川により近くなるため、南側からの離着陸で何かトラブルがあると苦しいです。
理想としては、やはり元々の南北方向の滑走路を延長した方が良いと思えるのですが、
それでも敢えて新設する何か尤もな理由があったのでしょうね。
元々の滑走路の南端部分、斜めの切欠きの存在がずっと気になっていたのですが、
これは新滑走路と何か関係があるかもしれません。
■99式襲撃機での訓練
続けて寺嶋さんから頂いた情報です。
こちらのお話の主役はUさん。
京城教育隊(時期的に京城第1飛行場と思われる)にて基本操縦全課程を修了したUさん。
寺嶋さんのお父様と同時期に平壌の第13教育飛行隊に配属となり、
99式襲撃機での訓練を積むことになるのでした。
それまでの練習機150馬力エンジンから950馬力になりスピードが全く違った。
自動車教習所の練習車からいきなりフェラーリに乗ったようなものだ。
それでも2、3日の同乗飛行で単独の離着陸になった。
6か月の過程を4か月に短縮された科目が多かった。
宙返り等の特殊飛行、軽爆科本命の降下角60度の急降下、超低空飛行などを訓練した。
以下、平壌での訓練の様子について、寺島さんがUさんから聞き取りをされた内容です。
大同橋の橋くぐり
朝鮮101部隊・第13教育飛行隊での訓練の様子を聞いた時。
99襲撃機の、低空での操縦性の良さを語るお話である。
九九襲の特性を生かし爆音を遮蔽して接敵するため、
初めの1か月位は超低空水平飛行ばかり練習しました。
高度計は利きませんので目測と体感で覚えるしかありません。
高度30mから徐々に下げて10m以下でも自由に飛べるようにし、
必要なら高度2~3mで川の中へ入って飛ぶ訓練もしました。
(陸軍少飛平和祈念の会 編集「元少年飛行兵 ビデオ証言 第二集」より)
平壌(へいじょう)の大同江には、大同橋という大きな橋が架かっていた。
腕だめしであろうか、その橋の下をくぐった話をお聞きした。
「手信号で(編隊から)単縦列になるよう、指示が出る」
「助教(じょきょう=実際の訓練の指導役は教官の下の「助教」と呼ばれる先輩であった)
が引っぱっていく」
水面すれすれの飛行。
そうやって橋の下をくぐっていく。
私は、何という胸躍るお話…と感じた。
厳しい命がけの訓練の中にも、冒険があったのだ。
意気盛んな少年達と助教達の、アクロバット飛行。
99襲撃機はそれができる唯一の飛行機だった。
平壌時代の船団護衛
海に出ると、船が潜水艦を警戒しながら、陸沿いに航行している。
「悪いことを(悪知恵?)を教えてもらった」とUさんは言う。
低空飛行、船すれすれの飛行の口実を教えてもらったのだろう。
船の前路の哨戒をして船団すれすれに飛行する。
船に乗っている人たちが皆、手を振る。
船は敵の潜水艦を警戒しながら進む。しかし、飛行機の護衛があれば安心だ。
船の人からすれば、どんなに心強かっただろうか。
軽快に飛ぶ日本の飛行機。どんな思いで見上げていたのか。
どんな気持ちで、手を振っていたのか。
そして、操縦者は、どれほど誇らしい気持ちだったのか。
そんな事に、思いを馳せるお話だった。
超低空での試験飛行
各務ヶ原飛行場で、99襲撃機を受領した時のお話。
その時期になると、新品ではなくて、補修して飛べるようになった機体だったようだ。
Uさんは、試験飛行に飛び立つ。
木曽川の堤防に沿って、河原を超低空で飛ぶ。川を下っていく。
平壌の大同江(だいどうこう)の訓練と同じ要領である。
堤防の内側を敵に知られぬように進撃する。神出鬼没の奇襲である。
見ていた隊員からは「時おり、堤防の低い所で、尾翼が『チョン、チョン』と見えるだけ。そんな超低空を飛ぶ訓練を重ねた」(Yさん談)
「川を下ると犬山橋(?)がある。そこにさしかかると、ぐーっと高度を上げた」
「犬山城がある。犬山城の天守閣に翼を付けて(翼端を付けるようにして)旋回をする」
「天守閣にいる人が、手を振っている」
お話を聞いていて、急旋回が目に浮かぶ。天守閣を中心に超低空での飛行。
99襲撃機しかできない芸当である。
皆から見られているのは、承知の上である。
帰ってきたら、隊長から
「おい、試験飛行だぞ」と雷が落ちた。
「そんな(無茶を許す)雰囲気はありましたね」とUさんは笑った。
飛ぶのが命がけだった時代
その後、Uさんたちは、受領した99襲撃機を平壌まで空輸する。
鈴鹿山脈にさしかかる。鈴鹿山脈は、難所だった。
その日、天候が悪く気流が安定しない中での飛行となった。
Uさんは隊長に続く3番機。隊長の右後ろに続く編隊の位置にあった。
ようやく帰隊する日が来ました。3個編隊を組んで鈴鹿峠を越す頃でした。
隊長機と私の3番機が下降気流に入り、
そのままエンジンをふかしても機体を水平に維持するのが精一杯で
山の斜面をで--と下ってるんです。
隊長機はそのうち上昇気流に乗ってフワーと上がっていきました。
機体が下降気流からどうしても外れない。
ダメだと思ってあきらめ半分でした。
操縦桿をちょっとでも倒したり飛行機の向きを変えると失速して墜ちる
と分かっていたので、レバーをふかし気味にして
降下するままの状態を維持して墜ちて行ったのです。
あと100m足らずで激突だなと思いました。
その時本当に初めてですよ、母と姉の顔が走馬灯のように頭をグルグル 回ったんです。
それが消えた途端に、機体がフワッと浮いたんです。
谷底の上昇気流に乗ったんでしょうね。
これでおしまいかなと思いながら、 死ぬってこういうことかと。
あの時死の覚悟ができました。コンマ何秒がとても長く感じました。
(「元少年飛行兵 ビデオ証言 第二集」より)
着陸したら、隊長から、「よかったなあ。」と言われた。
走馬燈のように母と姉の面影が出てきたことを話すと、
「父親が出てこなくて、良かったなあ…」(命懸けの飛行の中にもユーモア)
※Uさんのお父様はその時すでに故人(昭和14年没)であった。
寺嶋さん、貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
朝鮮・平壌飛行場跡地
平壌飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮平安南道平壌府(現・北朝鮮平壌大同江左岸)
座 標:N39°01′52″E125°46′51″
標 高:15m
飛行地区;1,300m
滑走路:700mx100m(舗装)
方 位:01/19
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
この記事の資料:
朝鮮交通史
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
朝鮮・海州飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
(未訪問)2022/7更新
北朝鮮黄海南道海州(ヘジュ)市にあった日本陸軍の「海州飛行場跡地」。
航空写真モードにしていただくと分かりますが、後に飛行場として大きく拡張されたようです。
■朝鮮交通史 1041p
昭和14年現在の飛行場 として、以下記されていました。
飛行場名 海州(不時着場)
所在地 黄海道海州郡泳泉面控海里
滑走地帯(東西・南北)m 1,000 800
備考 陸軍用用地を含む
■朝鮮交通史 1041p
日本国内では航空機の進展に順応して、行政機構の設置、関連法令の制定と航空保安施設の整
備が行われていたが、朝鮮では昭和4年の日鮮満を結ぶ定期航空路の開設に伴いようやくこれに
取組むようになったが、しかも急速に整備する必要に追われた。(中略)
定期航空開始に間に合うようこれの寄航地は次のように準備されたが、朝鮮の飛行場建設に当
たり特に留意しなければならぬ要点は
(1)冬期に土壌の凍結がひどいこと
(2)梅雨季には豪雨により地盤が軟弱となったり、飛行場が冠水するおそれがあること
等があったが朝鮮内では適当な候補地を得られないので、これが選定に当たっては相当苦慮させ
られ、施工に当たっても予想以上の困難が伴った。(中略)
終戦までに整備した飛行場の概況は次の通りである。
海州飛行場 1047p
陸軍砲兵演習場であったのを昭和12年臨時軍事費で一部を飛行場として建設された。
■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
に1/10,000の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。
南北方向の滑走路は500m、東西方向の滑走路は800mと書き込みがありました。
位置、縮尺等、非常におおまかなものですので、ご了承くださいませ。
同資料の情報を以下引用させていただきます。
位置 朝鮮黄海道海州郡
積量 七七〇,〇〇〇平方米(軍用地四七〇,〇〇〇平米)
地表の状況 概ね平坦にして雑草を生し稍軟弱なり
周囲の状況 南方は海に面し西北方に丘阜地近接
しあるも四周概ね開闊しあり
天候気象の交感 記載無し
格納施設 一,二〇〇平米一棟
居住施設 学生三〇名分 工員二〇名分
交通連絡 海州市街■約六.五粁
其の他 記載無し
朝鮮・海州飛行場跡地
海州飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮黄海道海州郡(現・北朝鮮黄海南道)
座 標:38°00'22.1"N 125°46'33.5"E
標 高:10m
滑走路:800mx220m?(10/28),500mx110m?(17/35)
(座標、標高はグーグルアースから、方位は地理院から)
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
朝鮮交通史
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
朝鮮・平康飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
(未訪問)
北朝鮮江原道平康郡。
かつてここに日本陸軍の「平康飛行場」がありました。
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
に当飛行場1/25,000の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。
おおよそこんな感じということでご了承くださいませ。
同資料に簡単な情報がありました。
位置 朝鮮江原道平康郡石橋里
積量 記載無し
以下余白
朝鮮・平康飛行場跡地
平康飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮江原道平康郡石橋里(現・北朝鮮江原道平康郡)
座 標:38°25'19.3"N 127°17'16.6"E
標 高:357m
飛行地区:1,100mx900m(不定形)
(座標、標高はグーグルアースから)
関連サイト:
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防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
朝鮮・春川飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
(未訪問)2022/7更新
韓国北部、北朝鮮に近い「春川(チュンチョン)市」。
ググると、「冬ソナ」がたくさんヒットします(o ̄∇ ̄o)
市には中央にヘリコプター(?)基地があります。
グーグルマップでも韓国マップでも名称不明のナゾの基地なんですが、
ここはかつては日本陸軍の「春川飛行場」でした。
■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
に当飛行場の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。
ここもとっかかりが無くて、元々の正確な位置は不明です。
おおよそこの辺りにあった。ということでご了承くださいませ。
要図には、以下の通り書き込みがありました。
春川飛行場(昭和十五年十二月十四日調) 1/10,000
恒風南風
飛行場東西545m 西辺531m 東辺454m
飛行地区 400m,420m,400m
同資料にある情報を以下引用させていただきます。
位置 朝鮮江原道春川郡下文延里
積量 二四六九七五平米
地表の状況 整地地区の長さ四〇〇米に過ぎず
但未整地と雖も平坦概ね堅硬
周囲の状況 記載無し
天候気象の交感 記載無し
格納施設 記載無し
居住施設 記載無し
交通連絡 春川より飛行場迄約二粁
其の他 記載無し
■朝鮮交通史 1041p
日本国内では航空機の進展に順応して、行政機構の設置、関連法令の制定と航空保安施設の整
備が行われていたが、朝鮮では昭和4年の日鮮満を結ぶ定期航空路の開設に伴いようやくこれに
取組むようになったが、しかも急速に整備する必要に追われた。(中略)
定期航空開始に間に合うようこれの寄航地は次のように準備されたが、朝鮮の飛行場建設に当
たり特に留意しなければならぬ要点は
(1)冬期に土壌の凍結がひどいこと
(2)梅雨季には豪雨により地盤が軟弱となったり、飛行場が冠水するおそれがあること
等があったが朝鮮内では適当な候補地を得られないので、これが選定に当たっては相当苦慮させ
られ、施工に当たっても予想以上の困難が伴った。(中略)
終戦までに整備した飛行場の概況は次の通りである。
春川飛行場 1046p
昭和15年不時着陸場として作られたが、軍の要請があったので、退避飛行場として拡張する
計画を立てたものの未着手に終わった。
朝鮮・春川飛行場跡地
春川飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮江原道春川郡下文延里(現・江原道春川市)
座 標:37°55'46.6"N 127°45'24.3"E
標 高:82m
滑走路:400mx60m~100m(01/19)、400mx75~100m(05/23)、420mx80~100m(09/27)
(座標、標高、滑走路長さはグーグルマップから、方位は地理院から)
この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
朝鮮・鳥致院飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
(未訪問)
韓国忠清南道東部にある鳥致院(チョチウォン)邑。
かつてここに日本陸軍の「鳥致院飛行場」がありました。
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
に当飛行場の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。
恒風は飛行地区の長辺方向であると記されていました。
また、タテヨコの長さが記入されていて、その数字通り正確に作図したのですが、
川の流れが大きく変化しており、位置を決めるとっかかりが見当たらず、
もしかしたら数キロのズレがあるかもしれません。
同資料に飛行場の情報がありました。
以下引用させていただきます
位置 朝鮮忠清北道清州郡江外面
積量 記載無し
地表の状況 土質細砂地にして芝及雑草密生す
地盤堅固なり
周囲の状況 飛行場上下流各一、二粁に各圧線あり
天候気象の交感 数年に一回位は浸水するも其の他降雨
に際しては泥濘化することなく却て地
盤締まりて可なり
格納施設 記載無し
居住施設 記載無し
交通連絡 記載無し
其の他 記載無し
朝鮮・鳥致院飛行場跡地
鳥致院飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮忠清北道清州郡江外面
座 標:36°36'44.2"N 127°20'40.8"E
標 高:22m
飛行地区:600mx280m
方 位:02/20
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
■飛行場/跡地リストB■ 中部~九州 [├国内の空港、飛行場]
中 部
■新潟県■ (COMPLETE)
佐渡空港
新潟空港
新潟南秘匿(山田島、山田、善久)飛行場跡地
新潟市営(焼島)飛行場跡地
万代島飛行場跡地
村松飛行場跡地
小千谷(小粟田原、中越)飛行場跡地
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伊達原飛行場跡地
原黒畑の飛行場跡地
加茂湖水上機基地跡地
八色原飛行場跡地
高田練兵場着陸場跡地
■富山県■ (COMPLETE)
富山(倉垣)飛行場跡地
富山(富山きときと)空港
般若(柳瀬)飛行場跡地
■石川県■ (COMPLETE)
能登(のと里山)空港
相馬飛行場(田鶴牧場)跡地
愛国金沢飛行場跡地
三小牛離着陸場
小松空港
粟津牧場(川西粟津飛行場)跡地
七尾水上機基地跡地
野村練兵場不時着陸場跡地
■福井県■ (COMPLETE)
三国(芦原)飛行場跡地
福井空港
千石平場外離着陸場
愛宕航空基地(鯖江/本保飛行場)跡地
■山梨県■ (COMPLETE)
韮崎滑空場
双葉滑空場
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山梨(甲府、玉幡)飛行場跡地
鳴沢飛行場跡地
忍野場外離着陸場(スカイポート富士)
梨ヶ原離着陸場
甲府練兵場着陸場跡地
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長野市滑空場
長野飛行場跡地
上田飛行場跡地
岩村田飛行場跡地
軽井沢(馬越、南軽井沢)飛行場跡地
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松本(信州まつもと)空港
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伊那飛行場跡地
赤砂飛行場跡地
旧軽井沢ゴルフクラブ6番コース(米八軍飛行場跡地)
臨時飛行場跡地
軽井沢競馬場跡地
■岐阜県■ (COMPLETE)
飛騨エアパーク
岐阜基地(陸軍各務原飛行場、各務原西飛行場)
各務原飛行第二連隊飛行場(各務原東飛行場)跡地
各務原中飛行場跡地
KITAGATA(北方)飛行場跡地
大野グライダー滑空場
木曽川滑空場
関飛行場(関牧場)跡地
高山市北北東方上野平着陸場跡地
■静岡県■ (COMPLETE)
滝ケ原飛行場
板妻飛行場跡地
三島練兵場跡地
富士(田子浦)飛行場跡地
富士川滑空場
清水海軍航空隊跡地
三保飛行場
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静岡(富士山静岡)空港
大井(牧之原)海軍航空基地跡地
第二大井(吉岡)飛行場跡地
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航空自衛隊浜松基地(浜松陸軍飛行場跡地)
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十国峠滑空場跡地
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明石飛行場跡地
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豊岡(円山川)滑空場跡地
六甲飛行場跡地
赤井野グライダー訓練所(大日本飛行協会兵庫支部第二地方滑空訓練所)跡地
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生駒山滑空場(奈良航空基地)跡地
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第二大和航空隊基地(阿太峯飛行場)
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■和歌山県■ (COMPLETE)
粉河(安楽川、桃山)飛行場跡地
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白浜飛行場跡地
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旧南紀白浜空港跡地
中 国
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市営鳥取飛行場跡地
鳥取(鳥取砂丘コナン)空港
倉吉(高城)秘匿飛行場跡地
すいか空港
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美保航空基地非常用滑走路跡地
大篠津飛行場跡地
鳥取砂丘滑空場跡地
湖山飛行場跡地
鳥取練兵場跡地
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隠岐(隠岐世界ジオパーク)空港
古志原練兵場跡地
県グライダー滑空訓練場跡地
松江水上飛行場跡地
湯町(玉湯)基地跡地
出雲(出雲縁結び)空港
海軍大社航空基地(第一新川)跡地(陸上自衛隊出西訓練場跡)
石見(萩・石見)空港
三瓶滑空場跡地
直江(第二新川)基地跡地
玉造基地跡地
旧隠岐空港跡地
西郷湾の飛行場跡地
黒木飛行場跡地
なかうみスカイポート
都野津町付近着陸場跡地
高津町付近着陸場跡地
■岡山県■ (COMPLETE)
日本原滑空場跡地
勢力河原の飛行場跡地
旧邑久滑空場跡地
吉井川邑久滑空場
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岡南飛行場
岡山陸軍飛行場跡地
倉敷(水島)航空基地跡地
笠岡地区農道離着陸場(笠岡ふれあい空港)
京橋不時着場跡地
岡山市内の滑走路跡地
勢力河原の陸軍飛行場跡地
岡山練兵場着陸場跡地
吉井川左岸福岡付近着陸場跡地
■広島県■ (COMPLETE)
福山海軍航空基地跡地
広島空港
豊栄飛行場
国安航空基地(六二一基地、可部、根野飛行場)跡地
呉航空基地跡地
海田市駐屯地滑走路
吉島飛行場跡地
広島西飛行場(運用当時)
広島ヘリポート(旧・広島西飛行場)
広島(大竹)飛行場跡地
野呂山滑空場跡地
広島市東練兵場跡地
宮島飛行場跡地
オノミチフローティングポート跡地
福山練兵場着陸場跡地
下ヶ原航空基地(六二二基地)跡地
江田島の飛行場跡地
■山口県■ (COMPLETE)
岩国飛行場(岩国錦帯橋空港)
城山航空基地(藤河牧場、六三一飛行場)跡地
海軍大浦水上飛行機基地跡地
山口県(仙崎水上)飛行場跡地
六三三基地、赤郷(三本木/末原)飛行場跡地
山口市の米軍飛行場跡地
防府飛行場
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小月飛行場(旧下関/下関陸軍飛行場)
山口第三地方滑空訓練場跡地
六三二基地、小鯖秘匿飛行場跡地
宇部航空輸送研究所跡地
和佐基地跡地
四 国
■徳島県■ (COMPLETE)
徳島(徳島阿波おどり)空港
徳島飛行場跡地(水上機用)
横須海岸水上機飛行場跡地
小松島航空基地(旧海軍小松島水上機基地)
徳島第二(市場)飛行場跡地
沖洲飛行場跡地
徳島航空学校跡地(再興)
日本航空輸送研究所津田川口着水場跡
■香川県■ (COMPLETE)
屋島飛行場跡地
旧高松空港跡地
愛国飛行場跡地
高松空港
端岡飛行場跡地
丸亀(飯野山)飛行場跡地
詫間海軍航空隊跡地
観音寺(柞田)飛行場跡地
善通寺練兵場着陸場跡地
日本航空輸送高松基地跡
■愛媛県■ (COMPLETE)
新居浜空港跡地
西條(吉井)飛行場(逓信省愛媛地方航空機乗員養成所)跡地
壬生川飛行場(吉田の滑走路)
田野航空基地(長野飛行場、六六一基地)跡地
見奈良滑空訓練所(見奈良飛行場)跡地
松山東(横河原、田窪)飛行場跡地
竹之下(拝志)飛行場跡地
重信川滑空場
松山西(久米)飛行場跡地
愛媛飛行場跡地
松山飛行場跡地
梅津寺飛行場跡地
松山空港
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宇和島(永長)飛行場跡地
愛媛航空輸送研究所(川之石水上飛行場)跡地
松山城北練兵場着陸場跡地
愛媛義勇飛行場跡地
■高知県■ (COMPLETE)
高知(高知龍馬)空港
高知海軍第二(仁井田)飛行場跡地
横浜水上(高知)飛行場跡地
今成飛行場跡地
高知海軍第三(窪川/宮内)飛行場跡地
宿毛水上機基地跡地
仁淀川原飛行場跡地
新居飛行場跡地
高知練兵場着陸場跡地
九州・沖縄
■福岡県■ (COMPLETE)
旧北九州空港(陸軍曽根飛行場)跡地
北九州空港
築城飛行場
犀川飛行場跡地
北九州若松場外離着陸場跡地
芦屋基地
津屋崎飛行場跡地
和白飛行場跡地
福岡第一飛行場(雁ノ巣飛行場)跡地
西戸崎飛行場跡地
博多海軍航空基地
福岡第二飛行場(名島水上飛行場)跡地
福岡空港
入船町水上機基地跡地
今宿海軍飛行場跡地
元岡飛行場跡地
福岡海軍航空隊跡地
小富士海軍航空隊基地跡地
玄界航空基地(船越基地)跡地
玄界航空基地(岐志基地)跡地
玄界航空基地(松末基地)跡地
大刀洗東飛行場
大刀洗北飛行場跡地
大刀洗南(大刀洗)飛行場跡地
筑後陸軍(岡山)飛行場跡地
高良台離着陸場
筑後川左岸上寺付近着陸場跡地
甘木生徒隊滑空場跡地
百道水上機飛行場跡地
春日原飛行場跡地
直方飛行場(知古民間飛行場、直方滑空場)跡地
直方基地(直方牧場)跡地
多々良航空基地跡地
九州飛行機香椎製作所のスベリ跡
■佐賀県■ (COMPLETE)
松浦川河川敷場外離着陸場跡地
目達原飛行場
佐賀(九州佐賀国際)空港
北有明場外離着陸場
小城飛行場跡地
■長崎県■ (COMPLETE)
対馬(対馬やまねこ)空港
旧対馬空港(海自対馬防備隊本部)
壱岐空港
相浦離着陸場(相ノ浦海軍航空基地)
佐世保航空基地跡地
佐世保湾水上滑走路
川棚飛行場跡地
大野原離着陸場
竹松秘匿航空基地(福重飛行場)跡地
大村海軍航空隊跡地
大村飛行場(旧A滑走路)
長崎(新大村)空港
長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊/小野飛行場)跡地
島原海軍飛行場跡地
雲仙秘匿飛行場跡地
小値賀空港
上五島空港
福江島着陸場
福江空港(五島つばき空港)
富江航空基地(野々切飛行場)跡地
富江水上機基地跡地
筒城浜飛行場跡地
■熊本県■ (COMPLETE)
阿蘇場外離着陸場(阿蘇カントリー空港/阿蘇観光牧場飛行場)
菊池(花房/隈府)飛行場跡地
黒石原(幾久富/熊本地方航空機乗員養成場)飛行場跡地
熊本(阿蘇くまもと)空港
熊本北秘匿飛行場(高遊原飛行場)跡地
旧熊本空港跡地
山鹿(竈門/赤穂原)秘匿飛行場跡地
大浜飛行場跡地
長洲町場外離着陸場跡地
白川滑空場
隈庄(隈之庄/舞の原)飛行場跡地
八代陸軍(文政)飛行場跡地
多良木場外離着陸場
人吉(川村/高原)飛行場跡地
天草海軍航空隊(佐伊津/御領)飛行場跡地
天草空港
人吉神殿原飛行場跡地
植木(木原野)飛行場跡地
宮地飛行場跡地
熊本帯山練兵場不時着場跡地
■大分県■ (COMPLETE)
中津航空基地(中津牧場、六九一基地)跡地
宇佐飛行場跡地
草地航空基地(六九二基地、雷原飛行場)跡地
大分空港
地蔵原離着陸場
日出生台飛行場跡地
旧大分空港跡地
戸次秘匿飛行場跡地
大野川滑空場跡地
臼杵航空基地(六九四基地、家野飛行場)場跡地
佐伯航空基地跡地
豊後北(大野/千歳)飛行場跡地
豊後南(豊後秘匿、三重、大原)飛行場跡地
大分県央飛行場(大分県央空港)
久住滑空場
広瀬橋下流大中滑空場跡地
別府の水上機飛行場跡地
笠置原秘匿飛行場跡地追加
千間原秘匿飛行場跡地追加
千町無田不時着場(飯田蓑原飛行場)跡地
■宮崎県■ (COMPLETE)
富高飛行場跡地
唐瀬原陸軍飛行場跡地
新田原飛行場(旧陸軍高鍋飛行場)
木脇(六野原)飛行場跡地
宮崎(宮崎ブーゲンビリア)空港(旧宮崎航空基地、海軍赤江飛行場)
えびの滑空場
飯野牧場(芋畑特攻基地)跡地
小林牧場(小林特攻基地)跡地
大淀川臨時場外離着陸場
都城北(志和池)飛行場跡地
都城東飛行場跡地
都城西飛行場(都城地方航空機乗員養成所)跡地
崎田海軍航空基地跡地
■鹿児島県■ (残:1 諏訪之瀬)
出水海軍航空基地跡地
天保山水上機基地跡地
旧鹿児島空港(鴨池空港)跡地
万世陸軍飛行場跡地
知覧飛行場跡地
上別府(まのひ/青戸)飛行場跡地
枕崎空港(運用当時)
枕崎空港(廃港後)
指宿海軍航空基地跡地
霧島離着陸場
鹿児島空港
第二国分基地(十三塚原海軍航空隊)跡地
国分海軍航空隊(第一国分基地)跡地
本田飛行場(本田飛行学校、住吉飛行場)跡地
海軍航空隊牧ノ原基地跡地
海軍航空隊桜島(牛根)基地跡地
岩川(八合原)飛行場跡地
海軍航空隊志布志基地(有明/野井倉飛行場)跡地
串良海軍航空基地跡地
笠之原飛行場跡地
海上自衛隊鹿屋航空基地
小川飛行機練習所跡地
薩摩硫黄島飛行場
種子島空港(コスモポート種子島)
旧種子島空港跡地
屋久島空港
安納飛行場跡地
海軍航空隊種子島基地(増田飛行場)跡地
中種子町営高嶺(高嶺)飛行場跡地
(馬毛飛行場・訪問不可)
奄美空港
旧奄美空港跡地
奄美大島水上基地(古仁屋基地)跡地
喜界空港
喜界航空基地(喜界ヶ島航空基地)跡地
徳之島空港(徳之島子宝空港)
徳之島飛行場跡地
浅間飛行場(徳之島北飛行場)跡地
沖永良部空港
与論空港
伊平屋連絡用飛行場跡地
伊是名場外離着陸場
奥間レストセンター飛行場跡地
伊江島補助飛行場
伊江島空港
ビースリーフィールド小飛行場跡地
上本部飛行場跡地
宮里飛行場跡地
金武(チム)飛行場跡地
ボーロー飛行場跡地
読谷補助(沖縄北/読谷山/読谷/楚辺)飛行場跡地
嘉手納(中/屋良)飛行場
泡瀬飛行場跡地
ハンビー飛行場跡地
瑞慶覧飛行場跡地
普天間飛行場
牧港(南/仲西/城間/マチナト/浦添)飛行場跡地
石嶺飛行場(首里秘密飛行場)跡地
西原(東/小那覇/与那原)飛行場跡地
那覇空港(旧海軍小録、那覇飛行場)
海軍与根(糸満)秘密飛行場跡地
福地飛行場跡地
粟国空港
久米島空港
慶良間空港
北大東空港
南大東空港
旧南大東空港跡地
宮古空港
多良間空港
旧石垣空港(運用当時)
波照間空港
与那国空港