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岡山練兵場着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2019年10月訪問 2022/1更新  



無題4.png
撮影年月日1947/10/07(USA R516-3 68) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

岡山駅の北約1.5kmに県総合グラウンドがあります。

ここはかつて岡山練兵場でした。

■「南国イカロス記 かごしま民間航空史」55pによれば、

大正元年12月20日から3日間、奈良原三次率いる一行による興行飛行が行われています。

操縦士は白戸栄之助、飛行機は奈良原式鳳号でした。

■防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」

の中に当着陸場の地図があり、先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

岡山練兵場(昭和10年2月調)
岡山県岡山市上伊福(岡山市北部)

着陸場の状況
高さ 平均水面上約4米。
広さ及形状 本練兵場は東西約700米、南北約400乃至600米にして総面
積約46萬平方米なり・着陸地域は図示の長さ北東-南西約500米、幅北西-
南東約140米の細長き平行四辺形の地区なり(付図参照)。
地表の土質 粘土。
地面の状況 本練兵場は水田埋立地にして多少の凸凹あるも概ね平坦地な
り・硬度尋常にして粘着性なく各種飛行機の離着陸に適す・殆ど全面に通稱道
シダ(羊歯植物)と称する根株大なる草及「クローバー」類密生す・着陸地域付
近は排水概ね良好なるも場周縁より内方約100米の地域は概ね不良なり特に図
示の東端より内方約70米の地区、南東側堆土付近の地区及南西隅付近の3地
区は排水不良にして地面諸処稍不齊なり・降雨は草地なる為全面的には影響な
きも大雨の際は諸処に水溜を生じ局処的泥濘と為ることあり。
場内の障碍物 着陸地域内にはなし・場内の北西部付近に徒歩障碍物、障
碍通過場、鉄條網、柵杭、記念碑、厠及高さ約10米の松の記念樹あり・南東
側に堆土あり・南側に乗馬隊障碍飛越場あり。
適当なる着陸方向及着陸上注意すべき点 北東又は南西・場の南西隅より
南西方約500米に高さ約50米の煙突1あり・練兵場は軍隊常時使用す。
其の他
本練兵場は民間定期航空路の不時着陸場にして軍用機及民間機屢使用す。 

ここは元々水田だったんですね。

周辺には県庁もあり、今からではとても想像つきません。

第二次大戦後、練兵場は接収され、米軍の飛行機発着場となりました。

上に貼った1947年の航空写真には、クロスした2本の滑走路的なものが見えますが、

これは米軍が建設したものではないかと。

DSC_0071.jpg
赤マーカー地点。

着陸場方向。

現在はこんな感じ。



     岡山県・岡山練兵場着陸場跡地         
岡山練兵場着陸場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:着陸場
所在地:岡山県岡山市上伊福(現・岡山市北区いずみ町)
座 標:N34°40′43″E133°55′03″
標 高:4m
滑走路:500mx140m
方 位:04/22
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1912年12月 20日から3日間、奈良原三次率いる一行による興行飛行実施
1935年   この頃練兵場内に着陸場が設定されていた
1945年   接収。米軍の飛行機発着場となる 

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


コメント(2) 
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コメント 2

福井成範

岡山練兵場は 昭和12頃 歩兵10聯隊の練兵っでした。
歩兵10聯隊は姫路10師団隷下、昭和12年上海へ出撃その後転戦につぐ転戦 最後昭和20年比島 マニラ北バレタ峠で善戦全滅 解体
岡山にはその後 広島部隊隷下の48部隊が編制されたが終戦で解体
by 福井成範 (2024-01-22 20:53) 

とり

■福井成範さん
情報ありがとうございました。
by とり (2024-01-23 20:12) 

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