六甲飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2019年10月訪問 2022/1更新

撮影年月日1948/08/31(USA M84-1 52)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
兵庫県神戸市灘区を走る山手幹線。
ビルや住宅が所せましと立ち並ぶ文字通り幹線ですが、
第二次世界大戦後の昭和22~昭和24頃、六甲口交差点から石屋川までの間が、
「六甲飛行場」として駐留米軍が使用していました。
上に貼った航空写真は昭和23年のものなので、まさに飛行場として使用していた頃のものです。
また、広報誌「なだなだ」に飛行場当時の写真が掲載されています(下記リンク参照)。
この情報はミルキーさんから頂きました。
ミルキーさんありがとうございましたm(_ _)m
六甲台には当時、通称チューリップ村という将校ハウスがあって、周辺は米軍関係者の出入りで賑わっており、
これら米軍の生活用品、食料品などの輸送物資を運ぶのが主目的の飛行場だったのだそうです。
実際にグーグルマップで確認してみると、六甲口交差点から石屋川まで約840mの直線が続いていて、
小型機なら十分な長さと思います。
上に貼った航空写真はトリミングしてしまったんですが、元の航空写真で確認すると、
山手幹線は六甲口交差点の西側に向かって、都賀川のもっと先まで、約1,340mも直線が続いています。
広さも十分で、ここも滑走路として使用可能なように見えるんですが、
使用目的からして「この長さで十分」という米軍の判断だったのかも。

赤マーカー地点。
六甲口交差点から石屋川方向。
ここをヒコーキが飛んでいたとは。。。
兵庫県・六甲飛行場跡地
六甲飛行場 データ
設置管理者:米軍
種 別:米軍用陸上飛行場
所在地:兵庫県神戸市灘区弓木町
座 標:N34°47′6″E135°14′31″
標 高:29.7m
滑走路:840m
方 位:07/25
(座標、標高、滑走路長さ、方位は国土地理院から)
沿革
1947年 この頃から1949年頃にかけて飛行場があった
関連サイト:
広報誌「なだだな」■(リンク切れ)
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この記事の資料:
神戸新聞総合出版センター 長島孝次氏著 神戸昭和レトロ集P125
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