愛知県・築地の水上飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2023年5月訪問

①1/25000「蟹江」大正9年測図「今昔マップ on the web」から作成

②1/25000「蟹江」昭和7年修正「今昔マップ on the web」から作成

③1/25000「蟹江」昭和13年三修「今昔マップ on the web」から作成
大正から昭和にかけて、名古屋港に「水上飛行場」がありました。
この水上飛行場の正確な所属/名称が不明のため、
便宜的に「築地の水上飛行場」として以下話を進めさせていただきます。
■シリーズ 戦争を考えるための遺跡②◆ 愛知時計電機 殉職者之墓
というサイト様にこんな一文がありました■
「航空機工場は広大な面積を必要とするため、現在の熱田区「千年船方」に新工場が建設されます。大正11(1922)年に飛行機組立工場、機械工場が完成し、格納庫は築地4号地につくられました。」
水上機で名を馳せた愛知時計電機ですが、大正時代から航空機製作に携わっていたのですね。
新工場が建設された熱田区「千年船方」は、上に貼った築地3号地、4号地の北東約4kmに位置しており、
現在も愛知時計電機の工場があります(黒マーカー地点)。
築地3号地、4号地の東側に「中川」若しくは「中川運河」と表記がありますが、
更にもう1本東側に「堀川」という川があって、
熱田区「千年船方」の工場はこの「堀川」の上流沿いにありました。
組立工場で完成した水上機は、堀川を下って築地4号地の格納庫に運ばれたのかも。
また、格納庫があるのが砂浜なら、砂浜が天然のスリップとして使えるかもしれませんが、
ここは埋立地であり、「愛知永徳スリップ跡」のようなものも見当たらないため、
海上からやってきた水上機は、山口県の仙崎水上飛行場■ みたいに、
クレーンで引き上げて格納庫に運び入れたのだと思います。
4号地の格納庫がいつ完成したかについての直接的な記述はありませんが、
文脈からすると新工場が完成した同年か、それほど時を経ずして完成したと受け取れます。
上に貼った3つの地図のうち、先頭の①は大正9年測図です。
格納庫が完成したのは早くても大正11年ですから、地図上にも当然まだ何もありません。
で、次に閲覧可能な地図は②昭和7年の地図で、一気に12年も飛んでしまいます。
②昭和7年の地図で格納庫が作られたはずの4号地を見ても、特に「格納庫」的な記載はありませんが、
代わりに「水上飛行場」とあります。
更に、次に閲覧可能な③昭和13年の地図では、「水上飛行場」が消え、
今度は3号地に「飛行機製作所」が出現しています。
築地3号地、4号地から荒子川挟んで西隣に「稲永新田」があるのですが、
この稲永新田地先には、大正14年に愛知時計電機の水上機飛行場があります(次の記事で登場します)。
またこの後、同社はすぐ近くに永徳工場という巨大な工場を建設するなど、
周辺はすっかり「愛知時計電機王国」と化しています。
冒頭述べた通り、上に貼った地図上の「水上飛行場」、「飛行機製作所」の正式名称/所属について、
地図からは不明ですが、
地図上に飛行機関連施設が登場する時期と場所が愛知時計電機のこの地区への進出と重なること、
周辺が愛知時計電機王国と化すという状況からすると、
地図上の「水上飛行場」、「飛行機製作所」は愛知時計電機の施設である可能性が高いと思います。
この水上飛行場の正確な所属/名称が不明のため、
便宜的に「築地の水上飛行場」として以下話を進めさせていただきます。
■シリーズ 戦争を考えるための遺跡②◆ 愛知時計電機 殉職者之墓
というサイト様にこんな一文がありました■
「航空機工場は広大な面積を必要とするため、現在の熱田区「千年船方」に新工場が建設されます。大正11(1922)年に飛行機組立工場、機械工場が完成し、格納庫は築地4号地につくられました。」
水上機で名を馳せた愛知時計電機ですが、大正時代から航空機製作に携わっていたのですね。
新工場が建設された熱田区「千年船方」は、上に貼った築地3号地、4号地の北東約4kmに位置しており、
現在も愛知時計電機の工場があります(黒マーカー地点)。
築地3号地、4号地の東側に「中川」若しくは「中川運河」と表記がありますが、
更にもう1本東側に「堀川」という川があって、
熱田区「千年船方」の工場はこの「堀川」の上流沿いにありました。
組立工場で完成した水上機は、堀川を下って築地4号地の格納庫に運ばれたのかも。
また、格納庫があるのが砂浜なら、砂浜が天然のスリップとして使えるかもしれませんが、
ここは埋立地であり、「愛知永徳スリップ跡」のようなものも見当たらないため、
海上からやってきた水上機は、山口県の仙崎水上飛行場■ みたいに、
クレーンで引き上げて格納庫に運び入れたのだと思います。
4号地の格納庫がいつ完成したかについての直接的な記述はありませんが、
文脈からすると新工場が完成した同年か、それほど時を経ずして完成したと受け取れます。
上に貼った3つの地図のうち、先頭の①は大正9年測図です。
格納庫が完成したのは早くても大正11年ですから、地図上にも当然まだ何もありません。
で、次に閲覧可能な地図は②昭和7年の地図で、一気に12年も飛んでしまいます。
②昭和7年の地図で格納庫が作られたはずの4号地を見ても、特に「格納庫」的な記載はありませんが、
代わりに「水上飛行場」とあります。
更に、次に閲覧可能な③昭和13年の地図では、「水上飛行場」が消え、
今度は3号地に「飛行機製作所」が出現しています。
築地3号地、4号地から荒子川挟んで西隣に「稲永新田」があるのですが、
この稲永新田地先には、大正14年に愛知時計電機の水上機飛行場があります(次の記事で登場します)。
またこの後、同社はすぐ近くに永徳工場という巨大な工場を建設するなど、
周辺はすっかり「愛知時計電機王国」と化しています。
冒頭述べた通り、上に貼った地図上の「水上飛行場」、「飛行機製作所」の正式名称/所属について、
地図からは不明ですが、
地図上に飛行機関連施設が登場する時期と場所が愛知時計電機のこの地区への進出と重なること、
周辺が愛知時計電機王国と化すという状況からすると、
地図上の「水上飛行場」、「飛行機製作所」は愛知時計電機の施設である可能性が高いと思います。

赤マーカー地点

青マーカー地点
ストリートビューのが当時の様子が分かり易くて良い画ですね(o ̄∇ ̄o)フフ
本当はこの橋からこの画が撮りたかったのですが、
ちょっと向きを変えれば分かりますが、ここは停車はおろか、徒歩では来れない場所なのです。
本当はこの橋からこの画が撮りたかったのですが、
ちょっと向きを変えれば分かりますが、ここは停車はおろか、徒歩では来れない場所なのです。
愛知県・築地の水上飛行場跡地
築地の水上飛行場 データ
設置管理者:愛知時計電機?
種 別:水上機飛行場
所在地:愛知県名古屋市港区築地町10
座 標:35°05'24.8"N 136°52'17.1"E
標 高:6m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1922年 愛知時計電機、飛行機組立工場、機械工場完成。築地4号地に格納庫建設
関連サイト:
ブログ内関連記事■
港湾エリアは制限されていることが多いですからね〜
大観覧車に乗るというのはどうだったのでしょう?
・・・南極観測船ふじはココにいたのですね_φ(・_・
by an-kazu (2023-08-17 21:30)
■an-kazuさん
その発想はなかった(@Д@)
>ふじ
事前に知ってたら見に行ってたかも。
あでもGW中だったから激込みかな。
この周辺だったと思うんですが、1つの交差点通過するのに
10分位かかったような。
by とり (2023-08-19 05:08)
この橋って、歩道も無ければ路側帯も無い。
故障車や事故車があっても No Good ですな(≧▽≦)
by 鹿児島のこういち (2023-08-20 14:48)
■鹿児島のこういちさん
そうですね~。
こんな所で立ち往生したら絶対泣く(つД⊂;)
by とり (2023-08-20 18:05)