種ヶ島航空基地(増田飛行場)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2016年5月訪問 2021/12更新
撮影年月日 1947/09/06(昭22)(USA M448 69)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
鹿児島県種子島にあった「種子島航空基地(増田飛行場)」跡地。
当基地の手持ちの資料として、防衛研究所収蔵資料が二点あります。
1.海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表
2.南西諸島航空基地一覧図 昭和19・11 第三航空艦隊司令部
1.の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:種ヶ島 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:1,000x300 1,000x200 主要機隊数:小型4,0 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:施設アルモ数量不明 掩体:施設アルモ数量不明 其ノ他記事:魚雷調整4本 同格納庫36本
1,000x300 1,000x200 2本の滑走路が出てきますね。
2.には、当基地の要図がありました。
明確でない部分も多々あるのですが、極力要図と航空写真の摺り合わせをしたのが先頭のグーグルマップです。
で、この要図には、如何にもな「滑走路」は描かれていません。
基地の敷地西側に南北方向(上のマップの赤線)に「1000x300」とあり、
敷地の北東側(上のマップの青線)の辺りに、「変更滑走路 200 ←1000m→」とありました。
要図に「変更滑走路」として示されている部分の長さが1,000mとあるんですが、
航空写真から作図したところ、実際には700mほどしかありませんでした。
先頭のマップの青線は、一応1,000mの長さにしてあります。
黄色マーカー地点。
県道75号線沿いにある「増田宇宙通信所」の入口。
ここで後ろを振り返ると-
こんな感じ。
広々とした畑が広がっています。
ここから見渡す限りの場所が大勢の人手によって造成された飛行場の跡地。
後述しますが、説明版には「昼夜兼行で山を削り谷を埋め」とあります。
ここに山や谷があったとは…想像を絶します。
そしてここから更に県道で西の方向に進むと-
紫マーカー地点。
こんな感じで県道沿いに碑があります。
「九州海軍航空隊種子島基地之碑 源田實書」
裏面に碑文がありました。
碑文(全文)昭和十六年十二月八日我が連合艦隊は真珠湾を攻撃し大東亜戦争に突入した 翌年十月日本海軍は増田牛之原に飛行場を建設することになった熊毛郡民は徴用を受け空襲と食糧難に堪えあらゆる困難を克服してこの建設に奉仕し小型機の発着を見るに至ったが間もなく終戦を迎へ建設工事は中止となった 中種子町在住海軍出身者は建設に従事し人々の偉業を永遠にたたえ滑走路南端にこの碑を建てる 昭和五十年五月二十七日 中種子町櫻会 土地提供者 石碑寄贈者 元隊長海軍少佐 西園善助 南種子町出身
(オイラ的に)最も気になる滑走路位置についてですが、この碑は滑走路南端に位置しているのですね。
「日本海軍航空史」(終戦時)の中では、「種子島 1,000x300(転圧)」と記されています。
当飛行場付近の航空写真は現在1947年のものしか閲覧できず、次は一気に1967年に飛んでしまい、
1967年のものだと周辺はすっかり畑地になっています。
1947年の写真で見ても、オイラにはハッキリとした滑走路の地割を見つけることができないのですが、
ここが南端として航空写真と見比べつつ「こんな感じかなあ」と1,000mx300mの線を引いたのが、
上のグーグルマップの「推定滑走路位置」です(「南端」から少しはみ出してるけど)。
滑走路の北端部分が当時の航空写真でも濃い植生になっていますが、
グーグルアースで標高を確認すると、この部分は谷や山になっていて、とても滑走路という感じではありません。
(それで碑の位置から少し南側にはみ出した)
もしかすると、特に滑走路の南側は作図のような完全な方形ではなく、場所により少し細く変形していたかもしれません。
特に北端部分がうんと細かったとすると、碑のところが南端でもギリギリ1,000mでいけるかも。
いずれにせよ1,000mあれば小型機なら十分な長さです。
個人的には、850mx75m程度なら無理なく設置できると思うんですけどね~。
ところでこの碑文の中にオイラにはどうしても読めない文字があります。
これです。
「小型機の□着を見るに至ったが」
という文の一部なんですが、何と読むのでしょうか?
ご存じの方おられましたら是非教えて下さいm(_ _)m
2016/7/6追記:発の旧字「發」と教えて頂きました。kanさんどうもありがとうございましたm(_ _)m
そしてこの碑のある場所から更に県道75号線を西に進むと(すぐ左クランクになるけど)-
赤マーカー地点。
約400mでこんな場所に出ます。
増田飛行場唯一の遺構のある場所です。
駐車場完備。
県道から案内標識に従って脇道に入っていくと、すぐ煙突前に出ます。
戸畑の煙突(全文)太平洋戦争中の一九四二年一月、増田に海軍飛行場の建設が決定され飛行場とともに地下施設・格納庫・兵舎・防空壕などが計画され、同年八月基地建設が着工された。基地内の滑走路建設は、島内の老若男女、学童や他地域の住民までが動員された。昼夜兼行で山を削り谷を埋め、終戦間近に二本の滑走路のうち一本が全て人力により完成した。しかし、終戦前の空襲で地上施設はほとんど破壊され、また数十年の時間の中で多くは解体された。ここに残るレンガ造りの煙突は、当時の面影を残す唯一の施設である。その用途は多くの兵士の食事を作って来た烹水所とも、兵舎の風呂場とも言われている。中種子町指定文化財 平成十八年一月二十六日指定 中種子町教育委員会 中種子町文化財保護審議会
煙突の所から更に奥の方に土台が残っています。
広場の一番奥まで進んで振り返るとこんな感じ。
これが風呂場なのかしらん。
鹿児島県・種ヶ島航空基地(増田飛行場)跡地
設置管理者:旧海軍
種 別:軍用飛行場
所在地:鹿児島県熊毛郡中種子町増田
座 標:N30°33′32″E131°00′40″
標 高:113m
滑走路:1,000mx300m 1,000mx200m(転圧)
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1942年01月 飛行場建設決定
08月 着工
2006年01月 26日 中種子町文化財指定
関連サイト:
ふるさと種子島/戸畑の煙突■
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この記事の資料:
現地の説明版
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵:海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表
防衛研究所収蔵:南西諸島航空基地一覧図 昭和19・11 第三航空艦隊司令部
じっくり見学したいスポットですね・・・
字はわかりません(;´д`)トホホ
by an-kazu (2016-07-01 00:16)
■an-kazuさん
確かにここはじっくりと見学したいですね~。
種子島はロケット発射場も含めてまた行ってみたい島の一つです。
字のことまでありがとうございます~m(_ _)m
by とり (2016-07-01 06:52)
このオーバル形状は、お風呂場ですよ。
足尾にも同じようなものがありますもの・・・煙突(ボイラーとの間の煙道もあったはず)まであるんですから確実!
by me-co (2016-07-03 00:47)
■me-coさん
おお、足尾にも!
どうもありがとうございました。
一度に何人も入れそうですね。
by とり (2016-07-03 06:41)
発の旧字「發」だと思います。
発着を見る、ではないでしょうか?
by kan (2016-07-05 21:28)
■kanさん
漢字の上のつくりはちょっと異なりますが、IMEパッド-手書きで書くと、
「發」が第一候補になりますね。
これで間違いないと思います。
どうもありがとうございました。
by とり (2016-07-06 02:22)
この浴場、食堂施設は軍関係のみの使用で一般人は利用できなかったということです。
by 種子島原人 (2021-05-18 19:15)
■種子島原人さん
情報ありがとうございました。
by とり (2021-05-19 08:02)