アメリカ・ポートライオンズ空港 [├海外の空港、飛行場]
2017年10月作成(情報は作成時のものです)
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アラスカ州コディアック島ポートライオンズの北東約3kmにある「ポートライオンズ空港」。
アラスカ州運輸公共施設局の公用空港で、671x23m の未舗装滑走路を有しています。
2013年の統計では、週平均102便の運航があり、その内訳は、エアタクシー91%、ゼネアビ9%でした。
■航空会社 / 行先
Island Air Service / Kodiak, Ouzinkie
Servant Air / Kodiak, Ouzinkie
アメリカ・ポートライオンズ空港
ポートライオンズ空港 データ
設置管理者:Alaska DOT&PF - Central Region
種 別:公共用
3レター:ORI
標 高:52 ft / 16 m
標 点:57°53′07″N 152°50′46″W
滑走路:2,200 x 75 ft. / 671 x 23 m
磁方位:7/25
表 面:砂利/good condition
関連サイト:
Wiki/Port Lions Airport■
アメリカ・ザチャーベイ水上機基地 [├海外の空港、飛行場]
2017年10月作成(情報は作成時のものです)
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アラスカ州コディアック島ザチャーベイにある「ザチャーベイ水上機基地」。
AirNavに出てこないし、上のチャートでも(真ん中の■のトコ)特に記載がないという、ナゾの基地です。
一応Wikiによりますと、公共用になっているのですが、座標、標高以外のデータがありません。
離着水エリアのデータがないとか初めてです(@Д@)
チャートを見ての通りで、幅約1.5kmの細長い湾なので、スペースは充分ですが、風向きによっては厳しそうですね。
ホントにあるんでしょうか。。。
■航空会社 / 行先
Island Air Service / Amook, Kodiak
アメリカ・ザチャーベイ水上機基地
ザチャーベイ水上機基地 データ
サービス:Zachar Bay, Alaska
種 別:公共用
3レター:KZB
標 高:0 ft / 0 m
標 点:57°33′12″N 153°44′45″W
関連サイト:
Wiki/Zachar Bay Seaplane Base■
アメリカ・ウェストポイント水上機基地 [├海外の空港、飛行場]
2017年10月作成(情報は作成時のものです)
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アラスカ州コディアック島ウェストポイントにある「ウェストポイント水上機基地」。
1963年6月開設の JOHN & LINDA LINDBERG 所有の公共用水上機基地で、
3,048x152m の離着水エリアが設定されています。
グーグルアースで確認しても、集落的なものは見当たらず、水上機基地についても、桟橋的なものも特になくて、
資料によれば、上のグーグルマップヒコーキマーカーの小さく湾曲してる所が"Seaplane Beaching Area"とありました。
ここも同じ島内のコディアック空港に路線があります。
直線距離で約63kmなんですが、アラスカならではですね~。
■航空会社 / 行先
Island Air Service / Kodiak, Port Bailey, Uganik
アメリカ・ウェストポイント水上機基地
ウェストポイント水上機基地 データ
設置管理者:JOHN & LINDA LINDBERG
種 別:公共用
3レター:KWP
標 高:0 ft / 0 m
標 点:57°46′12″N 153°32′56″W
離着水エリア:10,000x500ft. / 3,048x152m
方 位:E/W
表 面:水
関連サイト:
Wiki/West Point Village Seaplane Base■
那覇空港・3 [├雑談]
前記事でも書きましたが、「嘉手納ラプコン」移管の経緯は、本土の空移管のそれとよく似ています。
沖縄は1972年まで占領状態が続いたため、航空管制も当然ずっと米軍が担当していました。
1972年の本土復帰の際、沖縄航空管制に関する合意が締結され、
那覇空港の飛行場管制業務は早速同1972年に、
そして沖縄周辺の航空路管制業務は2年後の1974年に日本に移管されました。
本土の場合は、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を取り戻したのが1952年4月、
日本が空を取り戻したのが1959年7月。
前述の通り、これには7年強を要しています。
それと比べると、沖縄の本土復帰の際は(部分的にではありますが)、同年空を取り戻しています。
これは、日本人航空管制官の育成が進んでいたからこそ可能になったのだと思います。
ただし、「沖縄本島上空及び周辺の進入管制業務」については、
日本が実施することができるまでの暫定期間、米国が実施することとされました。
これがその後ズルズルと残ることになった「嘉手納ラプコン」です。
つまり「嘉手納ラプコン」は、「日本が出来るようになるまで、暫定的にアメリカがやってあげるから」
一応そういう性格のものだったのでした。
2000年3月、河野外務大臣・コーエン国防長官(当時)会談にて、
コーエン国防長官が「米軍の運用所要を満たすことを条件に(嘉手納ラプコンを)返還する」旨表明。
この時、「嘉手納ラプコンを日本に移管する」ということが正式に表明されました。
とは言っても即日移管という簡単な話ではなく、
コーエン氏の文言にある通り、「米軍の運用所要を満たすこと」という条件付きのものでした。
この条件である「運用所用」には、
・緊急事態における米軍機のスクランブル(緊急発進)を妨げない
・国土交通省の航空管制官が米軍方式の管制業務を訓練する
が含まれていました。
このコーエン国防長官の「嘉手納ラプコン」返還表明から9か月後の2004年12月、
日米両政府は、おおむね3年後の移管を目指し、施設整備及び管制官訓練に着手する旨合意。
早速2004年12月15日から嘉手納ラプコンに国交省の管制官5人を派遣し、訓練が始まりました。
・1人10カ月から12カ月の訓練で米空軍の管制資格を取得、管制官40人を3年かけて次々と派遣する。
・訓練開始から3年後を目途に移管を実施する。
という計画だったのですが、この訓練に手間取ってしまい、遅れが生じました。
(管制方式の違いが想像以上に大きかったらしい)
このため2008年1月、日米両政府は、2009年度末までに移管を完了すること、
運用所要が満たされることを前提に、できるだけ早期の移管に向けて努力を継続することについて改めて合意しました。
こうして当初の計画より2年以上遅れてしまいましたが、嘉手納ラプコンは2010年3月31日に日本に正式に移管され、
国交省の管制官が沖縄本島上空及び周辺の進入管制業務を担当することになったのでした。
やっと沖縄の空が日本に戻ったのです\(^o^)/ワーイ
これにて一件落着。
めでたしめでたし。
とはなりませんでした。
-このままでは、管制官がアメリカ軍人から英語をしゃべる日本人に代わるだけだ-
ラプコン返還前から関係者が抱えていた懸念が現実のものとなりました。
返還後も沖縄の空の主は相変わらず米軍機のままで、
現在でも嘉手納離着陸機とかち合ってしまう場合、那覇発着の民間機は高度300mの低空飛行を強いられています。
そもそも純粋に沖縄の空が日本に戻されるというだけなら、
日本人の管制官がわざわざ5年以上かけて米空軍基地で訓練を行い、
米空軍の管制資格を取得する必要なんて全然ない訳で、現状を見る限り、
航空管制は日本人が実施しているものの、主権は実質的に米軍がガッチリ握ったままです。
実は那覇に移管後も、「米側管制官数名が那覇空港にて業務を行う」と決まっていました。
アメリカ、首輪繫ぐ気満々ですやん(XДX)
きっと訓練期間中にあんなことやこんなことを徹底的に叩き込まれたんでしょうね~。
管制権が米軍から日本に移管したということは、沖縄の空にとっては間違いなく大きな変化だったと思います。
那覇空港への着陸機の画面です。
2017年11月1日 羽田空港発那覇空港行き JL919便 B777-300型機
高度を下げつつ県北部の名護辺りの上空で本島を横断して日本海から太平洋側に出て、南下。
その後、県南部糸満沖で右旋回して180°変針。
そしてファイナルアプローチ。
今回いろいろと那覇着陸機の航跡を見たのですが、これがR/W36着陸の代表的なパターンでした。
軌跡の色は高度を表しており、
20,00ft以上→濃い青
20,000~10,000ft→水色
10,000~1,000ft→黄緑
1,000ft以下→黄色
と思います。
画像一番下の赤の矢印は、ヒコーキのシンボルが位置している時点での高度です。
色の変化の通り、徐々に高度を落としているのですが、ファイナルアプローチに入っているのに、
この時点でまだ1,925ftもありますね。
この記事を作るにあたり、朝から夕方まで様々な時間帯、様々な日の那覇着陸機を見たのですが、
「高度1,000ft 以下で延々と~」というケースは見つかりませんでした。
是非見つけて貼りたかったんですが。。。
少し以前にoldman様からご指摘頂いていたのですが、
離陸機も含め、延々1,000ft以下を維持するケースはかなり少くなっているようです。
こちらは離陸機です。
2017年11月4日 那覇空港発福岡空港行き NH1200便 B767-300ER型機
離陸後すぐに左旋回、その後進路を北に戻し、本島西側に沿って日本海を上昇。
離陸後あっという間に1,000ft を突破して、1,850ft に達しています。
R/W36離陸の代表的なパターンです。
離陸後直ちに左旋回するのは、嘉手納にむやみに近寄らないためでしょうか。
離陸からここまで3分間、ずっと1,000ft 以下を維持し、この後一気に高度を上げ始めました。
ここまでは高度制限の指示が管制管から出ていたんでしょうね。
但し、こうしてしばらく1,000ft以下を保つケースはかなり少なくて、
ほとんどの機は離陸後すぐに1,000ftを突破しています。
ちょっと余談なんですが、「ピーチ機のインシデント」について。
嘉手納ラプコン時代から引き継がれた「民間機が高度300mの低空飛行を強いられる危険性」については、
2014年4月28日に発生した「石垣発那覇行きピーチ機の重大インシデント」が引き合いに出されることがあります。
このピーチ機は、那覇空港に着陸しようとしていたのですが、
那覇空港のずっと手前から延々高度1,000ft(300m)以下を指示されていました。
そして、まだ高度1,000ft(300m)を維持しているべき地点で異常降下(高度72mまで下がった)してしまい、
対地接近警報装置が作動して緊急に機首を上げる回避操作を取り、着陸をやり直したというものです。
・ピーチ機が異常に高度を下げてしまった
・那覇空港は元々低空飛行を強いられている
この二点を結び付けてしまうのは無理からぬことかもしれず、
→だから沖縄の空を取り戻せ!
という論調のサイトが散見されます。
沖縄の空が本当の意味で日本に戻り、民間機が低空飛行を強いられる状態が解消されて欲しい。
というのがオイラ個人の願いであることをまずハッキリ述べた上で、この論調は微妙と思います。
運輸安全委員会から当インシデントについての調査報告書が出ており、
重大インシデントに至る経緯、原因、再発防止策が出されています(下記リンク参照)。
この異常降下の原因は、オートパイロットで高度1,000ftにて那覇空港に向け飛行中、
機長が降下開始には早過ぎるタイミング(通常、接地目標点の5.6km手前から降下開始するところ、10.5km手前)
でオートパイロットに「毎分900ftの降下率で降下せよ」という指示をしてしまった。
というものでした。
1,000ftで飛行中、「毎分900ftの降下率」ですから、計算上では66.7秒で海面です。
オートパイロットで昇降の操作をする具体的な方法については、メーカーや機種によって違いがあるのかないのか、
マニアとは無縁の健全な一般人のオイラは知らないのですが、インシデントを起こしたA320の場合、
報告書によれば、まず「VSノブ」というつまみを回して昇降率をブリセット(前もってセットしておくこと)します。
次いでこのノブを引っ張ると、ブリセットした昇降率に従ってヒコーキは昇降を開始します。
ピーチ機の機長はこのVSノブを「毎分900ftの降下率で降下」にプリセットし、
次いでこのノブを早過ぎるタイミングで引っ張りました。
この操作が重大インシデントを引き起こした直接の原因な訳ですが、
なぜこんなことをしてしまったのかについて機長はこう証言しています。
「操作した記憶はないが同機が降下したことを考えると、PF(操縦担当)である自分が操作したことは間違いなく、なぜこのようなことをしたのかわからない」
操作をした当の本人が「わからない」と述べているのですが、
なぜこの操作をしてしまったか、その理由について、報告書はこう推測しています。
「那覇空港の着陸に使用するレーダー誘導はPARという特殊なもので、
機長にとっては久々のPAR(この時乗務したA320型機では初めて)であり、PARの方に余りにも注意が向き過ぎたため、
降下開始の意図なくVSノブを引いた可能性が考えられる」
そして機長の操作通りヒコーキは降下を開始したのですが、一連の操作の際機長はコールアウトをしなかったため、
副操縦士も機長の操作に気が付くことができませんでした。
機長自身が「なぜこのよのようなことをしたのかわからない」と述べており、
報告書の推測通りなら、機長はハッキリ意図せずに操作してますから、コールアウトはなくて当然ですよね。
また、たとえハッキリ意図して操作したとしても、当時のピーチの社内規定では、
この操作の際にコールアウトの義務はありませんでした。
そして二人とも着陸前の慌ただしさに忙殺され、高度はオートパイロットで1,000ftを維持していると思い込み、
管制官からの注意喚起もなく、やっと副操縦士がそれに気が付き、警報も発動し、
最終的に72mまで下がったところで上昇に転じました。
非常に忙しくて余裕をなくしている時に、ついうっかりポカミス。
なんてのは、そそっかしいオイラもよくやっちゃうので気持ちはよく分かります。
幸いなことに今回はインシデントに留まり、海面に突入してしまうという最悪には至りませんでしたが、
始まりは小さなほころびで、それを修正するチャンスはその後何度もあったのに、修正には至らず、
ついには回避不能の事態に陥ってしまう。というのは、航空機事故の典型例です。
再発防止策として、ピーチ社はパイロットにコールアウト、タスク処理の優先順位の徹底を決めました。
そして報告書は那覇空港管制官に対し、こうした事態が起こり得ることを念頭に置き、
レーダーから外れる管制機に対しては、注意喚起を徹底することを勧告しました。
要するに、「ピーチのパイロットと管制官は次から気をつけましょうね」。というもので、
「ラプコン時代の~」とか「米軍ガ~」とか「低空飛行を強いられるから~」的なことは、
全96pの報告書では一言も出てきません。
まあ、「米軍優先の現状ではこれは仕方ない。これは構造問題だ」的なことを書いても何の解決にもなりませんしね。
ただ、「オートパイロットの不適切な操作」及び、「危険な状態にあること(なりつつあること)への気付きの遅れ」
という原因だけ切り出してみると、これはラプコン云々は関係のない話で、那覇空港でなくても起こり得ることです。
低空飛行により余分な負荷を強いられるという状況がこのインシデントの遠因になっている可能性は否定しませんし、
延々低空飛行を強いられる状況のせいで、たちまた危うい状況になってしまうのですから、
やっぱりこういう現状は解消して欲しいです。
(続きます)
アメリカ・ポート ベイリー水上機基地 [├海外の空港、飛行場]
2017年10月作成(情報は作成時のものです)
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アラスカ州コディアック島北部ポートベイリーにある「ポート ベイリー水上機基地」。
1962年5月開設の、PB ENERGY INC が所有する公共用水上機基地で、
3,048x610m の離着水エリアが設定されています。
■航空会社 / 行先
Island Air Service / Kodiak, Uganik, West Point
アメリカ・ポート ベイリー水上機基地
ポート ベイリー水上機基地 データ
設置管理者:PB ENERGY INC
種 別:公共用
3レター:KPY
標 高:0 ft / 0 m
標 点:57°55′48″N 153°02′26″W
離着水エリア:10000 x 2000 ft. / 3048 x 610 m
方 位:E/W
表 面:水
関連サイト:
Wiki/Port Bailey Seaplane Base■
アメリカ・ポート ウィリアム水上機基地 [├海外の空港、飛行場]
2017年10月作成(情報は作成時のものです)
skyvector.com
アラスカ州シュヤック島ポートウィリアムにある「ポート ウィリアム水上機基地」。
1962年5月開設の、BRUCE & YVONNE COOPER が所有する公共用空港で、
3,048x1,219m の離着水エリアが設定されています。
2013年には1年間で15便の運航があり、全てエアタクシーでした。
1年で15便。。。
これまでで最も少ないです。
月1回ちょいですね(@Д@)
■航空会社 / 行先
Island Air Service / Kitoi, Kodiak, Seal Bay
アメリカ・ポート ウィリアム水上機基地
ポート ウィリアム水上機基地 データ
設置管理者:BRUCE & YVONNE COOPER
種 別:公共用
3レター:KPR
標 高:0 ft / 0 m
標 点:58°29′24″N 152°34′56″W
離着水エリア:10,000 x 4,000 ft. / 3,048 x 1,219 mft/m
方 位:E/W
表 面:水
関連サイト:
Wiki/Port Williams Seaplane Base■