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丸亀(飯野山)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2014年6月訪問 2021/11更新  


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撮影年月日1947/04/12(昭22)(USA M203 42) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

香川県‎丸亀市‎飯山町にあった「丸亀(飯野山)飛行場」。

この飛行場の滑走路位置がハッキリしておりません。

当飛行場位置について、「県道18号沿いである」と説明するサイトが幾つかあり、

某サイトでは、県道18号に沿って南側にあったという作図があったため、

現地にお邪魔した際、そうなのだと思い込んでいました。

ところが、とあるサイト様(下記リンク参照)で「飯山町史」の中の「陸軍飯野山飛行場」に詳しい説明があり、

「(滑走路位置は)川原土居から丸亀市飯野山町山根東に至る1,500m。

幅は、東部の川原土居付近で、道路の北側(飯野山までの間)で約100m。

西の山根東地区では、北側ににごり池があるので、道路の南側で約100m。」

とかなり具体的に説明されていました。

つまりこの資料によりますと、滑走路は単純に「道路を拡幅した」とか、「道路に沿って南側にあった」。とかではなく、

「東側では道路の北側で、西側では道路の南側」と読めます。

ということで、上に貼った航空写真を参照しながら、滑走路の位置を推測しました。

資料では「滑走路両端の幅100m」と記されているだけで、それ以外の箇所も同様に100mとは

どこにも書かれていないのですが、全て100m幅として作図しました。

滑走路自体がもうちょっとへにゃっと道路にフィットしている可能性もあるのですが。。。

 

航空写真で見ると、「山根東地区」道路の南側~「川原土居付近」道路の北側は特に障碍物が無く、

飛行場適地のように見えます。

5月中旬から周辺住民も動員して、千人規模の造成工事をしていますので、その成果でしょう。

ところが、町史には滑走路の長さが1,500mとあるのに、

「山根東地区」道路の南側~「川原土居付近」道路の北側という条件だと、滑走路の長さが1,000mしかとれません。

滑走路東端を延ばそうとすると、集落と川が問題となります。

後述しますが、飛行場建設の為に、指示された家屋は全て壊して立退くよう命令が出ています。

ところが「川原土居付近」の東側には、かなりの件数の集落が存在しています。

終戦からまだ2年足らずしか経過していない段階で、これだけの集落が戦後新たに形成されたとは考えにくく、

しかもその先には川がありますから、

滑走路の東端はやはり町史にあるように「川原土居付近」までとなり、作図の通りになると思います。

では、滑走路西端を延ばす可能性はどうかというと、

こちらはこのまま滑走路を延長しても、集落、川等特に障害となるものは見当たらず、

ずっと畑地が続いているため、 あと500m延ばしても特に問題ないように見えるのですが、

滑走路の行く手を阻むように道路が大きく曲っているため、滑走路が道路の北側に飛び出してしまうことになり、

「山根東地区では道路の南側にあった」とする条件から外れてしまいます。

それでは滑走路の角度を変えてみたらどうでしょう?

滑走路東端の位置は固定し、西端を道路から飛び出さない程度に南に下げるのです。

こうするとめでたく滑走路の長さを1,500mにしても「道路の南側にあった」とする条件は満たせるのですが、

「北側ににごり池があるので」という部分が意味をなさなくなってしまうのと、

滑走路の位置が変わると、途中で集落に引っかかってしまいます。

また、米軍情報では滑走路の向きは東西方向となっているため、これとも違ってしまいます。

以上の点から、やはり滑走路は県道に沿っているのだと思います。

【にごり池】で検索したら、地元のハザードマップがヒットして、ここからもっと東側に「にごり池」がありました。

これも非常に気になります。。。

正確な位置をご存知の方、情報お待ちしております m(_ _)m

 

PUTINさんから頂いた情報なのですが、1945年7月5日に米軍の第3写真偵察戦隊が当飛行場を撮影しており、

記録が残っています(任務番号316)。

飛行場名:丸亀
位置:丸亀の南東3.5マイル、坂出の南3.5マイル
座標:N34-16、E133-51
滑走路の長さ:3700フィート X 200フィート 東から西向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:なし
航空機:確認できず

後述しますが、当飛行場は9月末完成予定であり、見つからないように偽装工作もしていたのですが、

バッチリ補足されていたのですね。。。

米軍の報告では1,127mx61mとなっています。

仮に上述の資料通り、1,500mx100mが正しかったとすると、

6月1日起工式、 9月末完成予定であることから、7月初旬の上空からはこんな感じに見えたのかもしれません。

PUTINさんありがとうございましたm(_ _)m

 

当飛行場について非常に詳しく扱った同サイト様から、当時の様子について引用させて頂きました。

1945年4月下旬 坂出市での事務打ち合わせ会にて、坂本村役場吏員が軍関係者から、

「近々、貴村に軍の機密施設を作るから、取り急ぎ、牛馬用荷車を八十台準備するように」

との内示を受けました。

5月中旬、航空軍総軍司令部から、陸軍飯野山飛行場急設の命令が下り、5月18日、着工。

大字西坂本字国持、山の越、西沖、大字川原字土居の四地区に対して、

「この地区内にある水田は、麦(未熟)を刈り取り、指示された家屋は全部壊して立ち退く事」との命令が下されました。

面積は約21町6反余り。

飛行場の付属施設として、東坂元三の池、西坂元高柳に格納庫が、東坂元秋常に兵舎が、

そして東坂元秋常に調理室と浴場が建設されました。 

飛行場建設に当たり、全部で17戸が立ち退きを命じられました。

内訳は、土居14人、山の越1人、国持2人となっています。

5月19日 陸軍施設部隊一個大隊約500人到着。

5月20日 学生勤労奉仕隊到着。高松中学校291人、三豊中学校153人、坂出工業学校203人、

尽誠中学校202人、丸亀中学校169人、飯山農業学校300人、合計1,318人。

軍隊、学生(遠方の人)は、付近の学校、公民館、民家などに宿泊し作業に当たりました。

5月21日から綾歌、仲多度郡内の一般勤労奉仕隊員約1,000人動員。
 
6月1日 飛行場予定地にて起工式。

同日、坂本村村長、吏員に対し、航空総軍丸亀工事隊本部隊長から、

「航空総軍丸亀工事隊事務ヲ嘱託ス」という辞令交付がありした。

6月中旬、飛行場作りのために香川県下の三豊郡、仲多渡郡、綾歌郡の牛馬車用奉仕隊

約80台を動員して土砂の運搬や飛行時用の整地作業。

連日数千人という大量動員による物量作戦で、六月、七月、八月の炎天下、突貫作業が続き、

完成予定は九月末とされていました。

現在の飯山南小学校が建設部隊の宿舎となり、児童は島田寺、原川十王堂、長郷庵等に移動しました。

6月4日 空第五百七十一部隊先遣隊、綾歌郡法勲寺村来村。

法勲寺国民学校(現在の飯山南小学校)内部を見て回り、割り振りを決定しました。

6月6日 空第五百七十一部隊の松木場隊五百人が来村。

下士官以下は特別幹部候補生と志願者が多く、九州出身者が大半でした。

6月7日から空第五百七十一部隊の松木場隊の兵は飛行場へ作業に行きました。

朝食後運動場に集まり、軍歌をうたいながら行進していったのでした。

飛行場建設は昼夜兼行の突貫工事で行われました。

暑さの中一日の重労働に空腹を我慢して(飯盒八分目位入ったのが二人分の昼食)の毎日で、

日を重ねるにつれて元気がなく足も重かったようでした。

6月16日 隊と役場合同で、餅搗をして二個づつ渡す。

17日は将校達幹部を招き、村会議員と役場職員で歓迎会を開き、日頃の労をねぎらいました。

23日 一宮青年団が慰問に見え、講堂で演劇・歌を発表し、隊から飛び入りもあって、賑やかな夕となりました。

まず、地域内のすべての水田の麦の刈り取り。

次いで立ち退き家屋の解体作業、その用材や瓦の取り片付け、移転先への運搬。

地域内の小川や水路には、飯野山と土器川河岸から切り取った松の丸太を小川や溝に渡して、

その上に土を敷き詰め、飛行場の原型づくりとしました。

平坦にした地面に飯野山の土、近隣の水田から掘って来た土を積み重ねて敷き詰めます。

「もっこ」と「じょれん」を使った、人力だけが頼りの作業でした。

土器川から砂や小石を運び、これを拡散して固め、地面を水平固定化。

米軍機の来襲に備え、完成したところから順次、松、カシ、クヌギなど雑木の小枝などを等間隔に挿し木して

偽装工作も施しました。



7月30日 松原隊となり、高知部隊から召集兵と思われる年配の者ばかりが来村しました。

隊は代わっても、連日の作業は変わりなく続き、終戦の日を迎えました。

飛行場の完成も見ず、行くべき道も見当たらず、ただ呆然としながら、校舎の整備を終えて故郷へ帰って行ったのでした。

転属した兵達も、今一度学校へ立ち寄り、「一言も兵を責め給はぬに生きて帰る不甲斐なさよ」と語って、

父母のいる九州へ帰って行きました。



現在の丸亀市立飯山北小学校、当時の坂本国民学校出身で、飛行場建設当時三年生だった方の

「回想」という文章が残っています(以下抜粋)。

学校の運動場はいも畑に変わり、狭くなった。

岡の宮でも松の幹に傷をつけ、傷口の下に空き缶を縛り付け松根湯を採るような時代であった。

県内勤労奉仕の生徒に学校を明け渡すため、私たちは村内の神社やお寺に分散して授業を受ける事とされた。

三年生の私は久米氏の八幡様が教室で、机や椅子を運んだ。

山の谷から高柳に通じる道路の北側から飯野山の麓まで滑走路となり、

私の家を含め、近所の家十三軒が壊される事となった。

レールが敷かれ、トロッコで砂利が運び込まれ、整地が進んだ。

資材にするために飯野山の松が切り取られたが、今もその跡が鉢巻き状に残っている。

夏になり、順番に家の取り壊しが行われた。

私の家の取り壊しは最後で、八月十四日、十五日、正に終戦の日であった。

近所の人や父が勤めていた栗熊学校(今は、丸亀市立栗熊小学校)の高等科の生徒が、

大八車を引いて手伝いに来てくれた。

終戦の玉音放送は、作業中で誰も聞くことができなかった。

壊した木材を岡の宮の東側の引っ越し予定地へ運んだ帰り道、生徒たちから聞いて戦争が終わり負けたらしいことが判った。

当時の私の目に大人びて見えた生徒達が口々に

「放送はおかしい、負けるはずがない」「俺たちが居る。降参はしない」と声高に話すのが頼もしく見えた。

午後二時頃、負けたことがはっきりした。取り壊し途中の我が家は一階部分の骨組みを残していたが、

台風の心配もあり全部壊した。滑走路造りはその日で終わった。

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赤マーカー地点。

画面左側の道路が県道18号線。

この辺りまでは道路のこちら側に滑走路があり、この先道路をはさんで反対側に移ったと思うのですが。。。

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赤マーカー地点から見える飯野山。

D20_0055.jpg

青マーカー地点。

高柳橋。

ここの河原から石を採り、牛馬に引かせた荷車で現場まで運びました。


      香川県・丸亀(飯野山)飛行場跡地      

未完のため1機もこないうちに終戦となりました

丸亀(飯野山)飛行場跡地 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:香川県‎丸亀市‎飯山町西坂元‎
座 標:34°15'59.3"N 133°50'43.2"E
標 高:17m
面 積:21.4ha
滑走路:1,500m×100m?
方 位:09/27?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年04月 下旬 軍の機密施設を作ると内示を受ける
     05月 中旬 航空軍総軍司令部から陸軍飯野山飛行場急設の命令
       18日 着工
       19日 陸軍施設部隊一個大隊約500人到着
       20日 近隣の学生勤労奉仕隊1,318人到着
       21日 一般勤労奉仕隊員約1,000人動員 
     06月 1日 坂本村村長、吏員に対し、「航空総軍丸亀工事隊事務ヲ嘱託ス」と辞令交付
           飛行場予定地にて起工式
           現在の飯山南小学校が建設部隊の宿舎となり、児童は島田寺、原川十王堂、長郷庵等に移動
       04日 空第五百七十一部隊先遣隊綾歌郡法勲寺村来村
       06日 空第五百七十一部隊の松木場隊五百人が来村
       07日 この日から空第五百七十一部隊の松木場隊の兵は飛行場で作業
       16日 隊と役場合同で餅搗
       17日 将校達幹部を招き、村会議員と役場職員で歓迎会
       23日 一宮青年団が慰問
     07月 30日 松原隊となり、高知部隊来村
     08月 15日 未完のまま終戦

関連サイト:
道路を拡張してつくられていた香川県の三つの陸軍秘匿飛行場(ほとんど資料がない中、当飛行場について非常に詳しく扱っておられます)    
ブログ内関連記事       


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コメント 2

鹿児島のこういち

「回想」を書かれた三年生の鶴岡俊彦さんは、将来、食糧庁の長官になるなどと、当時は思ってもいなかったでしょうね。当時の食料事情を経験していたら、こういう思いを子々孫々にさせてなるもかって一生懸命だったのでしょう。しかし家を解体されたのが終戦日とは、なんともはや・・・・・

by 鹿児島のこういち (2014-09-01 18:58) 

とり

■鹿児島のこういちさん
こちらにもコメント頂いていたのにすみませんm(_ _)m
リンク先もチェックして頂いたのですね。
>子々孫々にさせてなるもかって一生懸命
きっとそうなんでしょうね。
>なんともはや・・・・・
こういう一日違いの出来事が全国であったのでしょうね。
by とり (2014-09-03 07:15) 

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