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鳥取県・YS-11の胴体跡地 [├場所]

   2023年12月訪問  




9.png
撮影年月日2021/06/01(令3)(CCG20211 C5 21) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

鳥取空港の滑走路西端すぐ近くに長いことYS-11の胴体が置いてありました。

【鳥取県 YS-11】等で検索すると、多数の記事がヒットします。

…が、オイラがお邪魔した2023年12月には、キレイさっぱり無くなっていました。

(少なくとも2023年3月まではココにあったらしい)

一足遅かった!! つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

ではなぜここにYSの胴体があったかというと、事故を起こして廃棄となったのでした。

事故調から133Pの調査報告書が出ており、閲覧できます 

事故について一言でまとめると、「離陸時に機首上げができずオーバーランしてしまった」ということです。

調査報告書にザっと目を通してみたのですが、

おおよそ次のようなことでした(詳しくは直接報告書をご覧ください)。


事故の概要

事故が発生したのは、昭和63年(1988年)1月10日。

事故機は美保飛行場発 大阪国際空港行き 東亜国内航空670便のYS-11型機(JA8662)でした。

胴体は永く鳥取空港近くに置かれていたのですが、事故が起きたのは、美保飛行場(米子空港)だったんですね。

同機は9時34分、美保飛行場R/W25から離陸滑走開始したのですが、

V₂コール後も機首上げができず、R/W07側過走帯の末端からオーバーランし、中海に突入してしまいました。

この事故で乗客8名が軽傷、機体は中破しました。

なぜ機首上げができなかったのか。

V₂コールの後、操縦輪を握っていた副操縦士の「重いなぁ」という音声が記録されています。

操縦輪を引き、機首上げ操作をしたにもかかわらず、機首は上がりませんでした。

直ちに離陸断念操作に移ったものの、機体は滑走路内で止まりきれず、中海に突入してしまいました。


なぜ機首は上がらなかったのか

ではなぜ機首上げ操作をしたのに、機首は上がらなかったのでしょうか。

結論から言うと、当時の気象状況からくる昇降陀の動作不良でした。

事故発生当時、YS-11は就航から20余年経過していたのですが、

実はYS-11型機、寒冷時の運航中に今回の事故と類似した昇降陀の異常事例が十数軒報告されています。

異常事例のうち12件は、今回の事故と同様に離陸滑走時に発生しています。

異常事例発生時に共通していたのは、

・10月~2月で冬期がほとんど
・空港の気象状況は、しゅう雪(止み間のある雪、みぞれ混じりも含む)又は降雪後の曇り
・全天が雲に覆われている状況
・雪質:湿り雪
・気温:1℃~-2℃

というものでした。

全ての事例を通じ、エプロンでの飛行前点検、及び離陸滑走直前のコントロール・チェックでは、

昇降陀は正常に作動していました。

ところが、離陸滑走の終期に近い速度付近で、昇降舵作動に異常を認知しています。

(操縦士は、「昇降陀が重い」「動かない」「動きが悪い」「効きが悪い」等表現している)

そして離陸を中止してエプロンに引き返す途中、及び、エプロンでのチェックでは、

昇降陀の作動は、正常な状態に回復しています。

直前まで正常に動作していたのに、肝心の機首上げの時だけ動作不良を起こし、

すぐまた正常に戻る。

不思議ですね。

まるでワイエスが「離陸したくない」という意志を持っているかのようです。

事故調では、他機種を含めて、同種事例についての照会をICAO、NTSB、FAA、NASAに行ったのですが、

いずれも資料には記載されていないとの回答でした。


今回の事故に話を戻します。

事故当時は気温1℃ 露点温度-1℃。

天候は弱いしゅう雪(止み間のある雪)で、滑走路面はウエット。

8時の時点で、R/W07側、滑走路中央に積雪なし、R/W25側の滑走路には1mmのスラッシュがありました。

事故報告書にはこの「スラッシュ」という言葉が度々登場するのですが、

同報告書内で「水分を含んでいる雪で、踏みつけたり蹴ったりするとハネが上がる状態の雪」(9コマ)

と説明しています。

出発前の整備士、機長によるエプロンでの点検の時点では、主翼上、水平尾翼上に明らかな積雪はなく、

防氷作業は実施されませんでした。

離陸開始約9秒前に実施したコントロール・チェックでも特に異常はなし。

ところが、Vʀで機首引き起こし操作を行ったものの、エレベータ・コントロールが重くて動きません。

V2に達しても機首上げが困難であったため、離陸断念操作に入ったと推定されています。

後に行われた凍結に関する模擬風洞試験の結果から同報告書内では、

水平安定板には水、スラッシュが付着していたと考えられ、

地上走行時(約3分間)、そして特に離陸滑走時(約24秒間)、プロペラ後流の影響もあり、

水、スラッシュの一部で凍結、氷着が進行したと考えられる。

水平安定板、昇降舵、タブ表面にこれらの現象が起ると、

操舵力の増大、気流の乱れ、ヒンジ部の固着の可能性がある。

と結論されています。


なぜ止まれなかったのか

事故機は離陸滑走開始から約370mの地点でV₁、470mの地点でV₂がコールされ、

600mのちょい手前からはタイヤ痕跡が付き始めています。

現在は2,500mなのですが、当時の滑走路は1,500mで、更に60mの過走帯がありました。

つまり事故機は、滑走路長の半分に満たないところからブレーキをかけ始め、

そこから滑走路の残り900m、更に60mの過走帯を減速に費やしても止まりきれず、

そのまま中海に突入してしまったことになります。

このため、YS-11型機の離陸断念時の特性に関する資料を得る目的で、

秋田空港にて実機による飛行試験を実施しています。

秋田空港での実機による試験の際、

離陸断念時、スロットル・レバーを全開位置から全閉位置へ操作するのに要した時間の平均値は、

3.6秒(最短1.6秒~最長4.8秒)でした。

これは、スロットル・レバーを急激に絞った場合のエンジン・ガスタービン温度の急激な上昇を危惧して、

計器を注視しながら操作を行う必要があるためです。

これ以外にも、ターボプロップ機特有の問題があり、素早い減速はなかなか難しい事情があります。

このため報告書では、

滑走路内に停止できなかったことについては、離陸断念時の速度が大きかったこと並びに滑走路面にスラッシュがあったこと、主脚分担重量が小さかったこと等によるブレーキ効果の現象があったことの関与が考えられる。

とあります。

他の記述も総合すると要するに、操縦士の操作(スロットル全閉、ブレーキ)は適切であったと思われ、

この条件下では、止まりきれなかったのはやむを得なかったと考えられる。

と結論されています。

車みたいに、「危ない!!」と思ったら即ブレーキペダルに踏みかえ。とはいかないんですね。


事故後に講じられた措置

運輸省航空局は定期運航各社に対し、

運航、整備関係の諸規定の遵守の徹底を図る等、万全を期するべきであるとの通達しました。

東亜国内航空の行った改善措置は、

冬期運航時の安全確保に関して運行、整備関係者に対し注意喚起の実施
メンテナンスマニュアル「航空機の某除雪・防除氷・防除霜」の一部改訂、作業を行う気象条件等を明確化
またこれと関連して、「水平尾翼の防氷措置」の発行、「航空機の防除雪氷について」の一部改訂
昇降舵タブ・ヒンジ部の凍結防止のためのグリース塗布の項を追加
フライト・コントロールの離陸前点検の方法を明確化

等がありました。

YS-11は北海道でも普通に飛び回っていました。

冬の道内といえば、-10℃、-20℃は当たり前。

事故機だって、当日上空10,000ft、-20℃を降下し、米子空港に着陸しています。

そんな低温と比べたら、1℃なんて余裕っしょ。

報告書を読みながらそんなことを考えていたんですが、

昇降陀の動作には影響を及ぼすはずのない水とスラッシュが、

地上走行、プロペラ後流が当たるという条件変化で、

たちまち凍結して重大事故の原因になってしまったのでした。

これが粉雪だったら簡単に吹き飛ばされるでしょうし、

この微妙な雪質と気温が曲者だったんですね。


まとめ

「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」という神サイト様に当機についての記事があり 

事故当時、解体、船具店の事務所等に使用していた当時の非常に貴重な写真が掲載されています。

また、頭部は川崎市にある「電車とバスの博物館」に展示されています。


タキシング中のヒコーキが動翼をパタパタさせるのは、空港では当たり前に見る光景ですが、

こんな事故例があったのだと知ると、決して疎かにはできない重要なチェックなんですね。

実機を使って試験をしたり、風洞実験をしたり、これが製造者(国)の責任ということなんでしょうか。

 
事故調から調査報告書が出たのは、事故発生から9ヵ月後のことでした。

報告書全体を通して、当時の状況、物証の収集と分析、再現実験、専門家からの意見収集等、

丹念な調査、考察が多岐にわたって実施されており、これだけの期間を要したのも納得です。

あらゆる可能性を1つ1つ検証してゆくため、報告書が出るまで数年かかることもあるのだとか。

こうやってキチンと事故原因の究明と対策を決める方がいて、

その対策を日々実践する方がいて、そんな積み重ねの上に今があるのですね。

DSC_1649_00001.jpg

キレイさっぱり。



     鳥取県・YS-11の胴体跡地         
YS-11の胴体 データ
所在地:鳥取県鳥取市伏野
座 標:35°31'39.2"N 134°08'58.6"E
(座標はグーグルアースから)

沿革
1988年01月 10日 事故発生
1989年02月 10日 抹消登録、解体。その後胴体は鳥取空港近くに置かれる
2023年12月 消えていた

関連サイト:
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和歌山県・スペースポート紀伊 [├場所]

   2023年10月訪問  




和歌山県東牟婁郡串本町にて建設中の「スペースポート紀伊」。

日本初の民間ロケット射場で、

契約から打ち上げまでの「世界最短」、打ち上げの「世界最高頻度」(2020年代半ばには年間20機)

の小型衛星の商業射場とする計画なのだそうです。

・地元の理解と協力が得られる
・射点の南に、陸地や島がない
・射点の周りに、建物や人がいない
・本州の工場からアクセスがよい(機体の運搬がしやすい)

などの条件からここが選ばれたそうです。

当初、2022年末に初の打ち上げが予定されていたのですが、

コロナ禍による物流の混乱等により、海外からの部品調達が影響を受けている等から、

計画はこれまでに3度延期しており、現在は「遅くとも2ヶ月以上前に知らせる」とのことで、

打ち上げ時期未定となっています。


DSC_1591_00001.jpgDSC_1595_00001.jpg赤マーカー地点(上2枚とも)。


DSC_1597_00001.jpg
黒マーカー地点。


DSC_1602_00001.jpgDSC_1601_00001.jpg
DSC_1603_00001.jpg

黄色マーカー地点(上3枚とも)。

国道42号線から。

見えている建屋が総合指令棟。

オイラがお邪魔した時、大型トラックが2台待機中でした。



     和歌山県・スペースポート紀伊         
スペースポート紀伊 データ
運営者:スペースワン株式会社
所在地:和歌山県東牟婁郡串本町田原
座 標:33°32'39.1"N 135°53'22.3"E(射点)
標 高:27m(射点)
面 積:15ha
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
2018年07月 スペースワン発足
2019年03月 串本町が射場予定地に選定される
2022年10月 19日 2022年末に予定されていた初号機の打ち上げ、2023年2月末に延期
2023年01月 31日 打上時期、2023年2月末から、夏頃に延期
     08月 24日 延期。打上時期未定。今後は遅くとも打上げの2ヶ月以上前に報告へ

関連サイト:
スペースワン公式サイト 
串本町/「スペースポート紀伊」について 
ロケット「カイオス」初号機打ち上げ応援サイト 
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奈良県・防災用飛行場(計画) [├場所]

   2023年10月訪問  




奈良県五條市のプレディアゴルフ(2023年5月末閉鎖)。

ここを中心として、「奈良県大規模広域防災拠点」の整備計画がありました。

2021年6月、奈良県は「奈良県大規模広域防災拠点整備基本計画概要」を発表 

これによりますと、「南海トラフ地震」「奈良盆地東縁断層帯地震」等、

今後発生が予想される大規模災害に対し、紀伊半島は防災拠点の空白地域であるとし、

奈良県五條市の有利な立地を活かし、ここに拠点を整備すべきとしています。

具体的には、物資の集積が可能な約5haの平場を有する「Ⅰ期」、600m級滑走路を有する「Ⅱ期」、

2,000m級滑走路を有する大規模広域防災拠点を「Ⅲ期」として、段階的に整備を進める。

としており、

「Ⅰ期」~「Ⅱ期」ではヘリ、セスナ機、「Ⅲ期」ではC-2輸送機、B767の運用を想定していました。

ところが、この計画を推進していた当時の知事が2023年4月の知事選で落選。

新知事は同年7月に開かれた紀伊半島知事会議にて、広域防災拠点計画について、

既存空港(南紀白浜、伊丹、八尾等)を活用するなど見直し案を提示しました。

実はこの新知事、選挙期間中に「知事になったら大型プロジェクト(当計画含む)を見直す」と明言していました。


防災拠点の是非について、よそ者のオイラが口を挟むつもりはないですけど、

この防災拠点整備計画について反対派の方(新知事ではなく別の方)の主張の中にこんなものがありました。

「C-2は500mで離着陸可能なので、2,000m滑走路は不要」

滑走距離の相場をご存じの方でしたら既にお気付きでしょうが、

この500mというのは、恵まれた条件下でたたき出した数字で、

最大離陸重量だと、2,300m必要というのは、ちょっと調べればすぐ出てきます。

この2,300mだって、条件によってはもっと延びますからね。

仮にここに滑走路を作ったとして、災害時にC-2運用で想定されるのは、

救援物資を満載しての着陸、若しくはけが人、要介護者を乗せての離陸と思います。

長距離を飛ぶ必要はないはずですから、燃料はそこそこしか搭載しないとしても、

2,000mというのは必要最小限の長さだと思います。


DSC_1540_00001.jpg

赤マーカー地点。


DSC_1536_00001.jpgDSC_1537_00001.jpg

青マーカー地点。




     奈良県・防災用飛行場(計画)         
奈良県防災用飛行場(計画) データ
設置管理者:奈良県
種 別:陸上飛行場
所在地:奈良県五條市大野町
座 標:34°19'22.6"N 135°41'22.0"E?
標 高:164m?
滑走路:2,000m
方 位:08/26?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
2021年6月 「奈良県大規模広域防災拠点整備基本計画概要」発表
2023年4月 知事選
     7月 新知事、紀伊半島知事会議にて見直し案提示

関連サイト:
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兵庫県・国土交通省神戸航空交通管制部 [├場所]

   2023年10月訪問  



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撮影年月日2009/05/26(平21)(CKK20093 C38 28) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


兵庫県神戸市西区にある「国土交通省神戸航空交通管制部」。

なじみの薄い管制部ですが、西日本の低高度空域の航空管制を担当しています(詳しくは下記リンク参照)。

元々当施設は「国土交通省大阪航空局 神戸航空衛星センター」で、

運輸多目的衛星(MTSAT-1R)の運用をしていたのですが、

同センターが廃止となり、改修して新たに「国土交通省神戸航空交通管制部」として運用されることに。

上に貼った2009年の航空写真、下側に3基の巨大パラボラアンテナが見えてますが、

これは運輸多目的衛星(MTSAT-1R)運用当時使用していたもので、現在は撤去されています。


DSC_1464_00001.jpg



     兵庫県・国土交通省神戸航空交通管制部         
国土交通省神戸航空交通管制部 データ
設置管理者:国交省
所在地:兵庫県神戸市西区井吹台東町7丁目6-2
座 標:34°42'19.8"N 135°02'42.3"E
標 高:118m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1999年04月 大阪航空局神戸航空衛星センター発足
2005年02月 26日 運輸多目的衛星(MTSAT-1R)打ち上げ。
2017年04月 センター内に神戸管制部準備室を設置
2018年10月 1日 施設内に神戸航空交通管制部発足
2019年    神戸航空衛星センター廃止

関連サイト:
国土交通省 航空局/航空管制の現状 
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滋賀県・におの浜観光港(せとうちSEAPLANES試験飛行場) [├場所]

   2023年10月訪問  




前記事の通り、大津市では1972年まで水上機による遊覧飛行が行われていたのですが、

2020年11月24日、この場所から東南東約2kmの場所に仮桟橋が設けられ、水上機の実証飛行が実施されました。

水上機による遊覧飛行を50年ぶりに復活させようとする大津市が、

「せとうちSEAPLANES」社に運用実験を依頼したもので、

市がJTBに委託して募集した結果、16人の乗客が集まりました。

(「せとうちSEAPLANES」社は2022年に会社清算、全機登録抹消済み)

当時の記事等総合すると、実証飛行当日はおおよそ以下の流れだったと思います。

第1便は午前9時ごろ、乗客4人を乗せて関西空港を離陸。

京都市上空などで遊覧飛行を行い、約50分後、琵琶湖に着水(直行すれば25分程度らしい)。

におの浜に設置された仮桟橋発着で、2~4便が約30分間フライトしました。

第4便には佐藤健司市長ら行政関係者らが搭乗。

「光る琵琶湖が美しかった」「着水は普通の旅客機が着地するときより衝撃が少なくて驚いた」

等、搭乗客の評価は上々で、実験は成功裏に終わりました。


「小型船や水草の繁茂、ホテルとの連携など課題は多いが、琵琶湖は水面のうねりが少なく都会も近い。富裕層やインバウンドに需要があると思う」(せとうちSEAPLANES社長・当時)

「新たな人の往来が生まれることを期待し、事業者の皆さんと一緒に方法を模索したい」(佐藤市長)

とのことで、この成功を受け市としては「なぎさ公園周辺魅力向上プロジェクト」として、

遊覧飛行の事業化を探る。としていました。

前述の通り、1972年まで11年間水上機の遊覧飛行が行われていたのですが、

残念ながら利用低迷で廃止となった過去があります。

実はその後、県内の経済界や県も含め、復活を目指す動きがあったのですが、

河川法、自然公園法、漁業関係者との調整等の課題から実現していなかったのだそうです。


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におの浜観光港(におの浜観光桟橋)


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琵琶湖汽船の公式サイトには、

同社の「ミシガン」という外輪船がこの桟橋に接岸している様子が掲載されています。

写真はどれも船首を陸向きに桟橋につけているものばかり。

外輪が船尾についているせいで、バックで接岸すると接岸の停船時や出港時、

陸側にしぶきが降りかかって大変なことになるからかしらん。

それはともかく「接岸は左舷側」なので、上の写真の場合、船首から入って来ると、

船は桟橋のこちら側(西側)に接岸することになります。


DSC_1414_00001.jpg
実証飛行当時の記事を見ると、水上機の発着場所について、「におの浜桟橋」とするものと、

「仮桟橋」とするものがあります。

そして実際に桟橋に繋留している画像を見ると、「におの浜桟橋」の途中辺りから、こちら側(東側)に、

桟橋に対して直角に仮の桟橋を設けているように思います。

国土地理院の航空写真、グーグルアースの過去画像、ストリートビューで探しても、

「におの浜桟橋」に仮桟橋がくっついている画像は見当たらないのですが、

個人的には角度的にそう見えてなりません。

なんで外輪船が桟橋のドッチ側につけるかとかわざわざ触れたのは、

入港の際、船が船尾から入って来るとしたら、接岸は桟橋のこっち側になるため、

仮桟橋なんて余計なものをつけてる場合じゃないからです。

で、公式サイト等画像検索したところ、外輪船は桟橋の西側を使用しているため、

フリーな東側なら、仮桟橋の設置が可能だと考えたのでした。


実証飛行当時はコロナ禍真っただ中だった訳ですが、

「コロナ禍だからこそ、少人数移動というニーズの開拓が見込める」的な意見も見られました。

ところが肝心の「せとうちSEAPLANES」社自体がコロナ禍による需要低迷等からなくなってしまいました。

ANA総合研究所が2023年2月28日に「水上飛行機ビジネスの実現性について」と題する論文を出しており 

この中で「せとうちSEAPLANES」社を引き合いに出して、どうして日本で水上機ビジネスが厳しいのか、

非常に分かり易く解説しているのですが、

同時に湖沼等での運用が如何に水上機(を運用する航空会社)にとって有利かも示しています。

曰く、海面で運用の場合、毎日の水洗、週に一度の防錆作業の際は半日運用ができなくなるのだそうです。

琵琶湖発着の遊覧飛行が定着すれば、若しくは運用を淡水域に限定できればこれが不要となり、

航空会社の負担が相当軽減されます。

また水上機は天候に左右されることが陸上機よりはるかに多いのだそうで、

たとえば「せとうちSEAPLANES」社の規定では、波高30cmで運行不可だったのだそうで、

琵琶湖ならばこの面でも海よりはマシなのではないかと。

「せとうちSEAPLANES」社がなくなってしまったのは非常に残念なのですが、

琵琶湖での水上機運用については、同社ではなく、地元大津市に事業の意志があるため、

オイラとしましては、どこかが名乗りを挙げてくれることを願います。



     滋賀県・におの浜観光港         
におの浜観光港 データ
所在地:滋賀県大津市におの浜
座 標:35°00'22.8"N 135°53'17.5"E
標 高:84m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
2020年11月24日 「せとうちSEAPLANES」機による運用実験

関連サイト:
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