八色原飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2015年7月訪問 2021/12更新
撮影年月日1947/11/01(昭22)(USA R446 69)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
新潟県魚沼市十日町にあった「八色原(やいろっぱら)飛行場」。
陸軍の秘匿飛行場でした。
先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。
西側に上越新幹線の浦佐駅があり、滑走路上を走る国道17号は、2014年11月に部分開通した浦佐バイパス。
現行の17号線は冬季に除雪障害が発生する事から建設を進めているのだそうです。
■市報うおぬま2007年8/10号(下記リンク参照)には、「幻の八色原飛行場」が特集されていて、
そこに「八色原飛行場滑走路計画予想図」が載っています。
本当にこの計画図の通りに完成させたとすると、総延長4.4kmもあり、
スペースシャトルも余裕で降りられるという長大な滑走路になります。
■小出町史に八色原飛行場関連の記述がありました。
昭和20年6月下旬、役場に陸軍将校がやってきて、山の上から視察を行い、
7月初めに八色原に飛行場を建設することが決まりました。
滑走路の長さは、1,500mx50m
「飛行場作りは、ブルドーザーで畑をならし、そこに縦・横・斜めとノシバを植えつけて、ローラーで圧してコンクリートのように固め、滑走路を作った。上から見るとちょうど畑の畦(うね)形のように見える偽装であった。
ノシバはぎには国民学校の児童が動員された。林の中や荒れ地・道端のノシバを鍬(くわ)で起こし、幅二〇㌢㍍、長さ四〇㌢㍍くらいにはがして、地元の牛車を動員して運ばせた。」
「人海戦術で盆前に大浦新田から水無川までの滑走路はほぼ完成した。十日町から浦佐に通じる県道水無川橋の木橋も、幅を二倍に広げる工事がほとんど完成するところであった。
一方、水無川の滑走路は川底をコンクリートで固め、夕立の出水はその上を流して、後は砂利を片づけて元通りにする方法といわれていたが、着工するには至らなかった。」
滑走路の南端部分は水無川のすぐ手前まで迫っています。
町史の記述からすると、この川を越えて滑走路を建設する計画であったものの、計画止まりだったようです。
赤マーカー地点。
前述の「市報うおぬま」によれば、子供たちは飛行場を畑に偽装するための芝張に動員されたのだそうです。
滑走路もほぼ完成に近づいた盆休み、東北出身の兵隊と共に、村人や児童らも参加し、
軍民合同演芸会が国民学校の校庭で開催されました。
奇しくもその日は終戦の日だったのでした。
新潟県・八色原飛行場跡地
設置管理者:陸軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:新潟県魚沼市十日町
座 標:N37°10′31″E138°56′42″
標 高:132m
滑走路:1,200m?
方 位:01/19
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年
6月下旬 陸軍将校が現地視察
7月初旬 建設決定
8月15日 ほぼ完成。終戦
関連サイト:
市報うおぬま2007年8/10号(pdf)■
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この記事の資料:
小出町史
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