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東京都・中島飛行機三鷹研究所跡 [├場所]

   2023年6月訪問  



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撮影年月日1944/10/16(昭19)(8911 C1 57) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

東京都三鷹市大沢3丁目。

大学、SUBARU、公園が整備されているこの場所にはかつて、「中島飛行機三鷹研究所」がありました。

前出の中島飛行機武蔵製作所の南西約4.5kmに位置しています。

米国本土爆撃機「富嶽」用エンジン(ハ54)はここで開発が進められました。

■<研究ノート>中島飛行機三鷹研究所―その建設まで―
■中島飛行機三鷹研究所―その稼働期―

というサイト様 に膨大な聞き取り調査を元にした詳細な資料があり、

拙記事を作るにあたり、大変参考にさせて頂きましたm(_ _)m

創業者の中島氏は当三鷹研究所を、単なる航空機の研究拠点としてではなく、

「航空機を含む先進技術全般の研究開発、政治・経済・社会など国家経営に資する研究も行う総合研究所」

にするという壮大な構想を持ち、世界から各分野の優れた学者を招聘するつもりだったのだそうです(@Д@)

当地の南約1kmに調布飛行場、北東約4.5kmに武蔵製作所、東北東約7.3kmに東京工場がありました。


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赤マーカー地点付近。

研究所当時の正門が現在もICUの正門になっており、

正門から敷地中央に伸びる直線道路(現マクリーン通り)もそのまま残っています。

(以下4枚とも)


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SUBARU 東京事業所。

これまでエンジン、トランスミッション、それに近年ではハイブリッドカーの開発を担ってきたのだそうです。

「ここに一大研究拠点を」という中島氏の遺志を継いだのでしょうか。


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     東京都・中島飛行機三鷹研究所跡         
中島知久平は晩年を研究所敷地南西側にある「泰山荘」で過ごしたのだそうです。

中島飛行機三鷹研究所 データ
所在地:東京都三鷹市大沢3丁目
座 標:35°41'09.7"N 139°31'55.5"E
(座標はグーグルアースから)

沿革
1940年 晩春 土地買収開始
1941年 12月 8日 地鎮祭
1944年 春頃 鉄筋三階建ての設計本館完成。その後組立工場完成
      初夏 中心となる発動機試作工場・設計本館(研究本館)・格納庫が本格稼働
1945年 終戦
1950年 泰山荘を含む周辺地が国際基督教大学所有となる

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コメント(4) 
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コメント 4

an-kazu

前回記事にもコメントしたとおり、
この前の道はよく通ります。

そうか、スバル東京事業所がココにあるのは
そういう歴史があった上でのことなのか!!

by an-kazu (2023-11-24 17:48) 

鹿児島のこういち

うちはスバルの自動車とは縁がないけど、
水平対向エンジンには興味があります。
ヘッドが横むいてるから、整備がたいへんそうとか、
シリンダーが互いに振動打ち消し合って静そうとか(;^ω^)
でもオイルパンのオイルって、横に倒れているシリンダーを
どのように流してるんでしょうね?
不思議だなぁ?
by 鹿児島のこういち (2023-11-24 17:54) 

とり

■an-kazuさん
背景知れると面白いですよね。
国家構築にも関わる中島氏の構想スケールの大きさにただただビックリでした。
氏の構想が実現してたら、この地域は、日本はどうなってたんでしょうか。
この周辺は名だなる大物の別荘地になるほど優れた環境なんだそうですね。
an-kazuさんいい所にお住まいですね^^
by とり (2023-11-25 05:52) 

とり

■鹿児島のこういちさん
水平対向はロマンですよね。
オイルの経路については、オイラも星形エンジンで気になって調べたことあります。
横向きどころか逆立ちまでありますからね。
なんかポンプ、油送管等、いろいろ設けてあるので大丈夫ということでした。
(結局ちゃんと分かってない)
星形エンジンは次の次の記事でアップします~
by とり (2023-11-25 05:57) 

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