シノダイ岬離着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2023年7月訪問
撮影年月日1947/05/27(昭22)(USA M342 39)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
朝鮮戦争時、北海道日高町のシノダイ岬付近に、米軍の連絡機用離着陸場がありました。
■新千歳市史通史編下巻996p
高射砲大隊は日高門別富浜のシノダイ岬に73町歩を対空射撃演習場として接収し、付近の牧場を連絡機の離着陸場とした。
この一節、時期は朝鮮戦争時、昭和26年6月前後のことで、米軍の話です。
気になる連絡機の離着陸場の場所については、「付近の牧場」としかないため、明確な位置が不明なのですが、
上に貼った航空写真、白矢印部分がなんとなく滑走路っぽいです(個人の感想です)。
少し前に特科団の記事■ をアップしましたが、その中で
■新千歳市史通史編下巻1040p
29年7月1日、保安隊を陸上自衛隊に改組し特科団は第1特科団、航空隊も第1特科団航空隊と改称された。6日にL-19A(L=liaison=連絡機/セスナ305A)初号機を受領し、観測記録班は門別シノダイ岬米軍高射砲射撃場で弾着観測の教育を実施した。
とありました。
米軍がシノダイ岬周辺を演習場、離着陸場としたのが昭和26年6月前後。
そして陸自特科団がこの演習場で連絡機による弾着観測の教育を実施したのが昭和29年7月。
米軍が「付近の牧場を連絡機の離着陸場とした」同じ場所を陸自機も使用したのかもしれません。
シノダイ岬周辺
北海道・シノダイ岬離着陸場跡地
シノダイ岬離着陸場 データ
設置管理者:米軍
種 別:連絡用
所在地:北海道沙流郡日高町富浜
座 標:42°29'23.4"N 142°01'45.2"E?
標 高:10m?
滑走路::80m?
方 位:05/23?
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1951年06月 この頃シノダイ岬付近に米軍の連絡機用離着陸場建設
1954年07月 陸自第1特科団航空隊観測記録班、L-19Aによる弾着観測訓練実施
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この記事の資料:
新千歳市史通史編下巻