群馬県・中島飛行機小泉製作所跡 [├場所]
2023年4月訪問 2023/9更新
群馬県邑楽郡大泉町にあった「中島飛行機小泉製作所」。
1940年に海軍専用工場として誕生しました。
中島飛行機株式会社その軌跡■ によれば、
1939年~1945年の中島飛行機の機体生産機数21,664のうち、小泉製作所は8,907機を生産しました。
これは全体の41%に達し、まさに「東洋一」と謳われる大工場でした。
1940年に海軍専用工場として誕生しました。
中島飛行機株式会社その軌跡■ によれば、
1939年~1945年の中島飛行機の機体生産機数21,664のうち、小泉製作所は8,907機を生産しました。
これは全体の41%に達し、まさに「東洋一」と謳われる大工場でした。
青マーカー地点。
工場北東の角から。
巨大工場の地割はそのまま残り、現在も工業団地として使用されています。
赤マーカー地点。
当時はこの門から生産された機体が搬出されました。
現在はPanasonicの「北門」。
当初は1機完成する度に君が代と社歌が演奏され従業員みんなで見送ったのだそうです。
当時はこの門から続々と零戦(など)が出てきて、
当時はこの門から生産された機体が搬出されました。
現在はPanasonicの「北門」。
当初は1機完成する度に君が代と社歌が演奏され従業員みんなで見送ったのだそうです。
当時はこの門から続々と零戦(など)が出てきて、
同じく赤マーカー地点(180°回頭)。
現在も残る専用道路を使って太田飛行場に運ばれてました。
現在も残る専用道路を使って太田飛行場に運ばれてました。
黄マーカー地点。
工業団地の東にある「緑と彫刻の道」。
現在は西小泉駅止まりの東武小泉線ですが、当時はこの工場に従業員を運ぶため、この先まで線路が続いてました。
この道路はその線路跡です(だから前記事の東武杭がそこここに残ってる)。
小泉線、もう少しで利根川を越して、熊谷方面からの従業員も運ぶハズだったんですけどね~。
小泉線が利根川越してれば、ここは今も線路だったのかしらん。
工業団地の東にある「緑と彫刻の道」。
現在は西小泉駅止まりの東武小泉線ですが、当時はこの工場に従業員を運ぶため、この先まで線路が続いてました。
この道路はその線路跡です(だから前記事の東武杭がそこここに残ってる)。
小泉線、もう少しで利根川を越して、熊谷方面からの従業員も運ぶハズだったんですけどね~。
小泉線が利根川越してれば、ここは今も線路だったのかしらん。
群馬県・中島飛行機小泉製作所跡
中島飛行機小泉製作所 データ
所在地:群馬県邑楽郡大泉町坂田1丁目1
座 標:36°15'07.9"N 139°24'02.3"E
標 高:36m
面 積:132ha
(標高はグーグルアースから)
沿革
1938年 新設決定
1940年04月 20日 開設
1945年02月 25日 初空襲
08月 15日 終戦
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