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静岡県・掛川海軍航空基地(未完成・推定位置) [├国内の空港、飛行場]

   2023年5月訪問  



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撮影年月日1946/07/11(USA M191-A-5 7) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


静岡県掛川市にあり、建設途中で終戦を迎えた「掛川海軍航空基地」。

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」にて当航空基地について扱われていました。

以下引用させて頂きます。

掛川海軍飛行場 ①小笠郡山口村影森 ②掛川市八坂 ③海軍練習航空隊 ④50m造りかけて終戦、中止。⑥未開場 ⑦大井海軍航空隊分遣隊 ⑧茶園 ⑨掛川駅 東方約6km. 大井航空隊の特攻基地として飛行場造成していたと思われるという。⑪掛川市教育委員会掛川市史編纂室よりの資料によると、掛川海軍飛行場は滑走路らしきものを50mほど造りかけて終戦になったという。

「滑走路らしきものを50mほど造りかけて終戦」だったのですね。

気になる滑走路の位置についてなんですが、残念ながら現在のところネットではヒットせず、

この資料以上の情報がありません。

そのため、この資料から場所を推定することになりますのだ。




位置特定の手掛かりになりそうな情報としては、所在地である「小笠郡山口村影森」「掛川市八坂」

そして「掛川駅東方約6km」があります。

「影森」と「八坂」は共に掛川市内に字名があります(上のグーグルマップ青マーカー)。

掛川駅、掛川駅東方約6km地点は紫マーカー地点です。

滑走路があったおおよその範囲が分かったところで、

当時の航空写真(上に貼ったもの)で適地を探してみました。

滑走路の向きも長さも不明です。

「特攻基地」とあることから、標準的な長さである「600m滑走路が設置できる場所」

を探したのですが、周辺は起伏に富んでおり、600mの直線を確保できる場所は限られていました。

その中からオイラの独断で7つの候補地を出しました。


次にグーグルアースでこの7候補地の標高の変化を確認したところ、

そのうちの5本は勾配がきつ過ぎてとても滑走路には向かなそうです(赤いライン)。

600mの滑走路が設置できて勾配的にも(そんなには)問題ない箇所は、残る2本(緑のライン)で、

上の航空写真のA,B地点です。

この2候補からどちらか1つを選ばないといけないのですが、

A地点の周辺は工事で荒れた更地っぽい感じがする(ホントにそんな感じがするだけ)のに対し、

B地点の周辺はきちんと道路も整備され、整っている感じです。

資料では、単に「滑走路」ではなく、わざわざ「滑走路らしきもの」と表現していることからすると、

もしかしたら本格的に造成が始まったばかりだったのかも。

ということでオイラの独断ですが、整ってるB地点じゃなくて荒れてるA地点の方だったのではないかと。

仮にココだったと仮定して、先頭のグーグルマップに600mx60mの滑走路を引きました。

ということで、この滑走路位置は、オイラの独断と偏見による推定位置ですのでご了承ください。

オイラの作図は位置、方向が完全に間違っているかもしれませんが、

地元教育委員会からこれだけハッキリした資料が提供されていますから、

終戦間近の時期、この周辺で滑走路建設が実施されたのは間違いないのでしょう。

「実際に完成していたとしたら、こんな感じ」ということで。


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赤マーカー地点。

当航空基地の資料の中に「⑧茶園」とあります。

オイラが肝心な部分をコピーしてなかったのかもしれませんが、⑧の項目が何を指しているのか不明です。

但し、他の飛行場の情報を見ていくと、この⑧は「現在の状態、その他備考」のようです。

バッチリ茶畑ですね。

オイラとしましては、ここが最も可能性が高いと思うのですが…



     掛川海軍航空基地(未完成・推定位置)         
掛川海軍航空基地(未完成・推定位置) データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:掛川市八坂
座 標: 34°47'40.0"N 138°04'26.2"E?
標 高:52m?
滑走路:600mx50m?
方 位:02/20?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年08月 15日 50mほど造りかけて終戦

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この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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