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静岡県・和地山練兵場跡地 [├場所]

   2023年5月訪問  



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1/25000「浜松」大正6年測図「今昔マップ on the web」より作成 


静岡県浜松市中区にある和地山公園。

ここはかつて歩兵第六十七連隊の「和地山練兵場」でした。

大正6年、この練兵場でアート・スミスが曲芸飛行大会を行ないました。

当時10才だった本田宗一郎少年が約20km離れた自宅から自転車で駆け付け、

木の上から飛行の様子を見物したという逸話は余りに有名です。

この時宗一郎少年が受けた影響は非常に大きく、後にこう記しています。

「彼にあやかりたくて,学帽を後ろに向けてかぶり,夢中でペダルを踏んで家にかえったものである。それからが大変である。寝ても醒めてもスミスの影像が頭にチラついて仕方がない。とうとう竹で造ったプロペラを自転車の前につけて親父の鳥打帽に紙製の眼鏡というものものしいいでたちで村中飛び回った記憶がある」

「いつか自分も飛行機をつくりたい」という思いを、ご本人は自著の中で、

「生涯を貫くような熱心な願い、熱烈な希望」と表現しています。

会社を立ち上げた本田宗一郎氏は、「国産軽飛行機 設計を募集」という新聞広告を出しました。

社内報でも「いよいよ私どもの会社でも軽飛行機を開発しようと思っております」と語っています。

当時、この構想は結局実現しませんでしたが、

この新聞広告を見てホンダへの入社を決めたのが、大学院で航空工学を学んでいた川本氏でした。

その後、川本氏は社内に航空機の研究チームを発足。

そのメンバーの中に、後にホンダジェットの顔となる藤野氏がいました

(藤野氏も「ヒコーキがやりたい」と考えてホンダに入社した)。


後に自ら小型飛行機の免許を取得して大空を舞うようになった本田宗一郎氏でしたが、

結局最後までホンダジェットの開発を知らされませんでした。

これは、本人が知ったら喜びのあまり誰かにしゃべってしまう危険ががあるのと、

現場に乗り込んで混乱させるのを社員が恐れたからとされています。

これは、氏の天衣無縫な人となりとともに、

晩年になって尚ヒコーキへの情熱がいささかも失われなかった証左でもあります。


この場所でヒコーキを見た本田宗一郎少年の燃え盛る情熱は決して衰えず、

その情熱が約100年の時を経てホンダジェットとして結実しました。

その意味では、この場所こそホンダジェットを産んだ地なのだと思います。

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赤マーカー地点。




     静岡県・和地山練兵場跡地         
和地山練兵場 データ
設置管理者:陸軍
所在地:静岡県浜松市中区和地山3丁目
座 標:34°43'43.5"N 137°43'05.7"E
標 高:37m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1917年 アート・スミスによる曲芸飛行大会実施

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