広野の飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2012年10月訪問 2021/7更新
撮影年月日1947/04/26(昭22)(USA M265 40)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
2013/6/1追記: 川崎航空機の飛行場ではなく、海軍の秘匿飛行場かもしれません。詳しくはPUTINさんのコメントをご覧くださいませ。
兵庫県神戸市西区神にある広野ゴルフ場。
歴史と格式のあるゴルフ場で、戦前は「廣野ゴルフクラブ」でしたが、戦時中に閉鎖されて飛行場建設が始まりました。
川崎航空機の第2明石工場が計画され、滑走路建設中に終戦となったそうです。
残念ながら当飛行場の名称が不明なため、一応「広野の飛行場」ということにしてあります。
情報お待ちしております m(_ _)m
赤マーカー地点。
この先に滑走路が伸びていたはずです。
兵庫県・広野の飛行場跡地
廣野ゴルフクラブは英国の世界的名設計家C・Hアリソン氏が来日していたのを機に氏に設計を依頼して完成したもので、戦後アリソン氏設計のゴルフ場を復活させました。 現在でも世界名ゴルフ場ランクでは常に三十番台(国内ではトップ)にランクしており、「廣野でプレーしてから死ね」などという言葉もあり、各界トップがメンバーに名を連ね、そういう方と一緒でないと入れないという、非常に高貴なゴルフ場なのだそうです。ゴルフ好きの方なら、「このゴルフ場ですら戦時中は潰されて飛行場にされた」という事例で当時の時代背景を窺い知ることができるのではないでしょうか
広野の飛行場 データ
設置管理者:川崎航空機(旧海軍?)
種 別:秘匿飛行場
所在地:兵庫県神戸市西区神出町五百蔵
座 標:34°45'52.2"N 135°01'24.6"E
標 高:159m
滑走路:520mx60m?
方 位:14/32
(座標、標高、滑走路長、方位はグーグルアースから)
沿革
1932年 廣野ゴルフクラブ完成。戦時中一時閉鎖され飛行場建設
1945年08月 飛行場建設中に終戦
1948年06月 部分開場
1949年06月 全ホール開場
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空からの写真では、完全にゴルフ場ですね。
歴史的な経緯を踏まえれば、忌々しい戦争の記憶なんて欠片すらも残したくはないでしょうからね。
by tooshiba (2013-01-10 10:27)
手持ちの情報に間違いがなければ、この基地の設営に当たったのは呉鎮守府所属の第319設営隊とのこと・・・
海軍が設営しようとしていた秘匿基地の一つでは・・・
もし、仮に川崎航空機向けの滑走路であれば、飛燕や屠龍、キ102向けに1000メートルを越える滑走路を準備しなければなりませんので、そのことを考えると海軍の秘匿基地向けだったのではと愚考します。
by PUTIN (2013-06-01 17:51)
■PUTINさん
この飛行場については地元図書館の市史でも記述を探すことが出来ず、情報が非常に少ないです。
数少ない資料の中から「川崎航空機の飛行場」としましたので、
PUTINさん仰る通り、海軍の秘匿基地かもしれません。
当初は民間の飛行場として計画されていたものが軍の飛行場になるケースもありますから、
もしかしたらどちらも「アリ」なのかもしれないですね。
ただし、特に建設が末期であることと、超名門のゴルフ場を潰して建設したことから、
一航空機メーカーの所業とは考えにくく、
今回PUTINさんからの情報で初めて海軍の名前が挙がりましたが、
仰る通り海軍の飛行場である可能性の方が高いと考えが変わりました。
滑走路の長さについては、当時の不鮮明な航空写真から
「おおよそこの程度であろう」という推測の元割り出しました。
ですので「滑走路長1,000m」という数字は精度が低く、もっと長かったかもしれませんし、
短かったかもしれません。
あやふやで申し訳ないです。
by とり (2013-06-01 21:34)
住んでたとこの電車の駅がちょうどA地点あたりでした。
川崎重工の飛行機工場の疎開先でもあったので完成部品を闇に乗じて運んでいたそうです。
by 新妻王朗 (2021-06-12 09:45)
■新妻王朗さん
貴重な情報をありがとうございました。
by とり (2021-06-13 06:59)