神奈川県・陸軍相模(中津)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
*当飛行場には2010年5月にお邪魔したのですが、今回新たに見学してきた遺構のご紹介です。
遺構の場所情報は、ブログ:kanレポート「相模陸軍飛行場」■ から頂きました。
kanさんどうもありがとうございましたm(_ _)m
2010年5月にお邪魔した際の記事は全面差し替え致しました■
飛行場全体図。
1947年の写真(下記リンク参照)でこんな風に見えるのでその通りに線を引いてみました。
ご覧の通りで行場敷地南西側が膨らんでいますが、ここに格納庫はじめ、種々の基地機能が集中していました。
そしてこの部分に当時の遺構が多数現存しています。
・A地点にある門柱。これは移設したものだそうです。
*以下私有地にあるものは全て撮影許可を求め、快諾頂きました。どうもありがとうございましたm(_ _)m
・B地点にある門柱
・C地点。通信室なのだそうです。
・D地点。中津工業団地第2公園内にあるこんもりとした物体。
これも格納庫跡だと言われています。
同じく・D地点にある碑。
「開墾記念碑」(全文) 中津村は古くから専ら養蚕を営み此の耕地の大半は桑林帯であったが支那事変が擴大し昭和十五年二月突如陸軍省は飛行場設置の為約三百町歩を買収した 農民は晴天の霹靂に呆然自失し職を失い業を轉ずるに到るも国家の危急に際し犠牲を忍び涙を呑んで耕地を提供したのである 昭和二十年八月終戦と同時に施設は解体せられ全用地の管理を中津村農業會に委託せられたが前年来未曾有の凶作が連続し極度の食糧飢餓となり農民すら食を草根に求むる惨状を呈した為農業會は国内混乱のさ中に在て上司の許可を待たず技術官を聘して測量を進め区画を整理し無耕地農民を優先とし労力を参酌し未復員者を考慮して配分し開墾せしめたのである 農家は直ちに実施を挙って鍬を揮い田匙を踏み堅土を起こし食を割いて種子とし乏しき肥料を施して作付したのであるが其悲壮なる努力は筆舌に絶し辛くも若干の収穫を得て命の糧としたのである かくして此の耕地は農民の手に復帰し本村の命脈とし幾多の生存の危惧を脱し茲に十年の星霜を閲し今や整然たる区画と豊穣の作況を現実に展望し往時を回想し専た感慨無量なり よって概況を誌し後世への記念とする 昭和三十一 年八月 中津村農業委員會 中津村農業共同組合 (ものすごく読み取りにくかったので誤字脱字あると思います。ご了承くださいませ)
・E地点にある排水路橋
飛行場から中津川へ廃水を流すためのものだそうです。
・F地点。ここから排水路を見下ろすことが出来ます。コッチ側
アッチ側
・G地点。格納庫基礎
ここから少し離れた所に「神奈川県立あいかわ公園」があり、公園内に「愛川町郷土資料館」があります。
資料館で当飛行場についてかなり詳しく扱われていました。
一面桑畑だったところが突然買収され、飛行場となりました。
農地を失った人々の不満をなだめる為に飛行場勤務の軍属募集が行われたのだそうです。
戦後再び開墾。更に現在では工業団地となりました。
時代と共にガラリと様子を変え、今に至るのですね。
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いつも参考にさせて頂いてます。
わざわざ、拙ブログをご紹介くださいまして、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。
by kan (2016-05-19 21:51)
排水路は見てみたい!
あいかわ公園(てか宮ヶ瀬ダム)には何度か行きましたが、
そうですかそんな展示もあるのですねφ(..)メモメモ
by an-kazu (2016-05-19 23:16)
■kanさん
こちらこそ宜しくお願い致します。
今回は本当にありがとうございましたm(_ _)m
■an-kazuさん
排水路、今なお現役なんですよね~。
>宮ヶ瀬ダム
さすがan-kazuさん(o ̄∇ ̄o)ニヤ
by とり (2016-05-20 07:03)