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茨城県・水戸つばさの塔 [├場所]

   2019年9月訪問 2022/1更新   



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撮影年月日1946/06/07(USA M158-A-5 30) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

茨城県ひたちなか市那珂湊運動公園の周辺は戦時中「水戸陸軍飛行場」でした(下記リンク参照)。

■防衛研究所収蔵資料:「陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.1 水路部」に

水戸飛行場の要図(昭和18年1月調)があり、先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

下に貼ったのは、昭和21年6月撮影の航空写真。

敷地の形を比較してみると、終戦までの数年間で特に北側に大きく拡張したようですね。


ところでこの記事の主役は当飛行場ではありません。

記事タイトルにある通り、現在公園に隣接して整備されている「水戸つばさの塔」です。

グーグルマップ黄色マーカーの位置に「水戸つばさの塔」があります。

昭和18年1月の要図では、ここは飛行場敷地の外なんですが、

航空写真で見ると、すぐ西側に2つの格納庫が目立っており(ここも要図では敷地外)、

明らかに飛行場関連っぽいです。

お邪魔した際、実際に当飛行場におられた方を含む、自衛隊OBの方々が除草作業をしておられました。


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この日章旗は、寄せ書きをして貰って実際に戦地に持っていったものなのだそうです。

きちんと確認しておけば良かったのですが、作業に併せての掲揚だったかも。


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由来記(全文)
 昭和十三年 ここ前渡の地に千二百ヘクタールに及ぶ水戸飛行場を設定し翌年水戸陸軍飛行学校が開校 通信 戦技 武装 高射 化学戦 自動車 特操 佐尉官等の教育と研究を実施し 東部に陸軍航空審査部水戸試験場が設置された
 昭和十五年 水戸南飛行場に陸軍航空通信学校が開校され 通信教育と研究を移管した
 戦局の要請により昭和十八年八月 明野陸軍飛行学校分校が開校 水戸校は仙台に移駐した 昭和十九年六月に至るや 分校は常陸教導飛行師団に改編 精鋭空中戦士の養成と研究に加え 本土防空の作戦任務を付与された
 この地にあってその職に殉ずる者および 昭和二十年二月十六 十七日の艦載機群邀撃等により身命を捧げた者のその数百八十余柱 また南飛行場に於ても電鍵を片手に華と散った者数知れず 更に昭和十九年十一月以降特別攻撃隊一字隊 殉義隊 第二十四振武隊第五十三振武隊 第六十八振武隊 平井隊 誠三十五飛行隊の有志七十余人は 相ついで進発レイテ沖に 台湾 沖縄海域に敵艦船を求めて突入し国難に殉じた
 昭和二十年四月 師団主力は群馬県新田飛行場に移動し終戦に至った
 ここに終戦三十周年を期し 関係者ならびに有志相計りこの戦跡を後世に伝え 殉国英霊の偉業を顕彰し 祖国永遠の平和を祈念して この塔を建立する
 昭和五十年 五月三日 水戸飛行場記念会


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由来記の ■ 部分、それぞれこういう漢字なんですが、何と読むのでしょうか?

撮影の時から気になってたんですが、(自宅に戻ってIMEパッドですぐ分かるだろ)

と高を括ってたものの、分かりませんでした。

すぐにその場でお聞きすれば良かった (-"-;)

どなたかご存知の方教えてください~m(_ _)m


追記:PUTIN様より「撃」の略字と教えて頂きました。どうもありがとうございましたm(_ _)m


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     茨城県・水戸つばさの塔         
水戸つばさの塔 
所在地:茨城県ひたちなか市新光町

関連サイト:
ブログ内関連記事:
旅行記  
水戸陸軍(水戸東)飛行場跡地  


この記事の資料:
現地の碑文、説明版
防衛研究所収蔵資料:「陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.1 水路部」


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茨城県・大津風船爆弾打ち上げ基地跡 [├場所]

   2019年9月訪問 2022/1更新  



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撮影年月日1946/10/10(USA M283-A-10 53) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

茨城県北茨城市にあった「大津風船爆弾打ち上げ基地」。

現在跡地には「わすれじ平和の碑」が建立され、放球台跡が現存しています。

前記事の通り、風船爆弾打ち上げ基地は、千葉、茨城、福島の三カ所だったのですが、

連隊本部はここ茨城県大津におかれ、第二大隊が千葉、第三大隊が福島でした。

千葉と福島の放球台が12だったのに対し、ここ大津は18ありました。

上の航空写真は当時の基地周辺のもので、明確に「ここが放球台」と明示した資料が見つからなかったため、

如何にも放球台っぽいものを赤矢印で示してあります。

オイラは6個しか見つけられなかったのですが、18あったので、本当は周辺にまだまだあったはずです。

千葉と福島の基地は、水素を昭和電工川崎工場に供給して貰っていたのに対し、

ここ大津では自前の水素ガス発生装置、水素ガスタンクを備えていました。

しかも他の2基地と比べて放球台の数が1.5倍でしたから、

人員、施設もその分大規模だった訳で、ここに映っている建物や道路は、

もしかしたら当時は全体的に基地で使用していたのかもしれません。


■戦史叢書81巻に、特に大津(と勿来)についての記事がありましたので、引用させて頂きます。

339~340p
10月18日、19日に大津と勿来付近の主力部隊陣地を視察
大津付近
敷地 27万坪
南谷 陣地9
水素発生装置 冷却水-海水より
中谷 同右
北谷 同右
目下瓦斯「タンク」を除き完了 電力-関東配電
地域内民家なし(殆んど立退き)
兵器費(製造用)900万
 大津 550万円
 勿来 170万円
 一宮 180万円
鋼材 1,500屯
懇談 迷彩偽装 放球100~150(日)
 

風船爆弾の打ち上げは、3基地とも11月3日未明だったのですが、

当日未明、当基地では爆発事故が起きてしまい、死亡3名、負傷4~5名という被害を出しています。

「わすれじ平和の碑」から少し離れた場所に鎮魂碑があります。


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碑の横にある案内板

この案内板だと小さくしか映っていないんですが、真ん中に放球台までの行き方が図示されています。


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放球台跡。

案内板に従って、ぬかるんだ草ボーボーの小道を進むと、何重にも張り巡らされたクモ(大)の巣が。

それを突破して約160m先、やっとたどり着きました。


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来た道を引き返すのが嫌だったので、すぐそこに見えている県道に出ると-


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県道の斜め向かいに鎮魂碑がありました。


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鎮魂碑の近くから。

画面奥に放球台跡があります。

画面右側に見えている建設会社の資材置場脇に小道があり、ここを通ると放球台の目の前に出ます。

わすれじ平和の碑から案内板に従った方が移動距離は短いんですが、特に夏場はこっちからの方が楽かも。




     茨城県・大津風船爆弾打ち上げ基地跡         
大津風船爆弾打ち上げ基地 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:風船爆弾打ち上げ基地
所在地:茨城県北茨城市平潟町
座 標:N36°50′32″E140°47′48″
標 高:6m
(座標、標高は国土地理院から)

沿革
1944年11月3日 放球開始

関連サイト:
風船爆弾 
ブログ内関連記事
 福島県・勿来風船爆弾打ち上げ基地跡 
 千葉県・一宮風船爆弾打ち上げ基地跡 
 旅行記 

この記事の資料:
現地の碑文、説明版
戦史叢書81巻339~340p


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福島県・勿来風船爆弾打ち上げ基地跡 [├場所]

   2019年9月訪問 2022/1更新  



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撮影年月日1946/07/24(USA M205-A-7 143) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福島県いわき市にあった「風船爆弾打ち上げ基地」。

常磐線勿来(なこそ)駅から引込線が建設され、倉庫、三角兵舎等の諸施設があり、

「放球台」が12あったのだそうです。

ここは基地跡の資料が最も充実していて、ググるといろいろ出てくると思います。

上の航空写真に(ある程度)反映させましたが、お陰で基地の規模、様子について知ることができました。

上に貼った終戦から11ヵ月後の航空写真の赤矢印が放球台なんですが、

「多分ここもそうなんじゃないだろうか」というものまで含めても、

10しか見つかりませんでした。


今更なんですが、「風船爆弾を打ち上げた場所」と聞いてオイラが勝手に想像していたのは、

波打際で2~3人がパッと手を放す。というラジオゾンデ的なものでした。

放球台の数は、ここと千葉の一宮が12、茨城の大津が18で、

総勢2,000名ともされる隊員は、放球台の数に合わせて編成されました。

3ヶ所で1944年11月から翌年3月までの間に、合計9,300もの打ち上げがありましたから、

単純計算で、1つの放球台につき221.4発の打ち上げがあったことに。

ここ勿来は12の放球台でしたから、合計2,657発の打ち上げがあった計算になります。

それだけの数の直径10mにもなる気球を満たすのに必要なだけの水素、膨大な物資の搬入、保管、組み立て、

それらを実施する隊員のための施設等々、打ち上げのための施設は、

オイラが想像していたよりずっとずっと大規模でした。


他の2基地同様、当基地でも昭和19年11月3日未明から打ち上げを開始したのですが、

同月1日に爆発事故が起きてしまい、死傷者が出ています。


■戦史叢書81巻340pの中に、

昭和19年10月18日、19日に大津と勿来付近の主力部隊陣地視察についての記述があります。

当基地についての部分を以下引用させて頂きます。
 
勿来陣地 
立派なり
呉羽化学工業錦町工場
水素発生能力 2430㎥x2  1940㎥x1
コンプレッサー 100㎥/M24時間=2400㎥x2

また、風船爆弾にどの程度の効果があったのかについても記されていました。

81巻457p
米西部防衛司令部参謀長W・Hウィルバー代将の報告
内輪に見積もっても900~1,000個がアメリカ大陸に到達した。
風船爆弾が落下した区域はアラスカからメキシコに至る広範囲にわたり、
太平洋北西地帯から西部カナダにかけて200個近くが発見され、その外75
の風船の破片が陸場や海中から拾われた。
なお少なくも100個の風船が上空で爆発したのを見た人々がいる。
この攻撃はたいしたものではないと人々に思わせようと努めたが、実際にはこれは戦争
技術上の目覚ましい一進展を画したものであった。世界で初めて飛び道具が人間に
導かれないで海を渡ったのである。しかもそれが大損害をもたらす可能性が十分にあった。
幸いにも冬で雪のため山火事は少なかった。
軍隊式の消化班がいくつも編成された。また植物や獣、人間等に対する細菌を運んで来るのでは
あるまいかと心配し、アメリカ政府が動かした細菌学者は4,000名に及び、
要所要所に防毒マスクや薬が準備される騒ぎであった。
風船爆弾が米国本土でどれ程の効果を上げているかをかくすため、米国はこれを秘密にし、
国民に警告を与えることもできなかった。新聞もラジオも検閲によって
これを報道しなかったからである。

■旧陸軍登戸研究所見学記というサイト様(下記リンク参照)によれば、

当時の日本は、アメリカの牛を殺すための牛の伝染病原ウイルスの分離、乾燥、感染の実験に成功し、

この牛疾病毒粉末を風船爆弾に積んで実践に応用できると参謀本部の会議で意見が一致したのですが、

結局は報復を恐れ実行しなかったのだそうです。

米国の恐れたシナリオ、本当は実行可能だったのですね。


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現地にある案内板と碑(先頭のグーグルマップ黒マーカー)




     福島県・勿来風船爆弾打ち上げ基地跡         
勿来風船爆弾打ち上げ基地 データ
設置管理者:陸軍
種 別:風船爆弾打ち上げ基地
所在地:福島県いわき市勿来町
座 標:N36°52′35″E140°47′3″
標 高:10m
(座標、標高は国土地理院から)

沿革
1944年11月1日 未明、暴発により死亡3名、負傷3名。3日、放球開始

関連サイト:
旧陸軍登戸研究所見学記 
風船爆弾 
ブログ内関連記事
 茨城県・大津風船爆弾打ち上げ基地跡 
 千葉県・一宮風船爆弾打ち上げ基地跡 
 旅行記 
 
この記事の資料:
戦史叢書81巻340p,457p


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東北・4 [■旅行記]


Ⓐ道の駅はなわ→Ⓑ勿来風船爆弾打ち上げ基地跡→Ⓒわすれじ平和の碑→Ⓓ水戸つばさの塔→Ⓔつくば滑空場→Ⓕ自宅


4日目

3:00 起床

3:40 出発

5:30 福島県勿来風船爆弾打ち上げ基地跡


DSC_0114.jpg

6:00 @茨城県・大津わすれじ平和の碑

ここからアメリカに向かって風船が飛んでった。

戦史叢書に残されているふ号攻撃の命令書によれば、

地元住民に対しても極力秘匿するため、放球は極力夜間や薄暮時が望ましい。

とあったので、実際こんな感じの時もあったかも。

6:50 給油

8:50 水戸飛行場跡地へ


ここは8年前にもお邪魔していたんですが、防衛研究所の収蔵資料できちんと作図したところ、

撮影地点がイマイチであることが判明したので撮り直しと、飛行場の碑があるとのことだったので、

久々に再訪したのでした。

碑は那珂湊運動公園に隣接する「水戸つばさの塔」敷地にまとまっており、

早速撮ろうと思ったのですが、ちょうどお年を召した方々が除草作業の真っ最中で、

エンジン音がけたたましく鳴り響いていました。

シルバー人材センターかしらん。

碑の撮影は後回しにして先に跡地の撮り直しをし、改めて「水戸つばさの塔」に行ってみたんですが、

まだエンジン音が響いています。

一人の方に恐る恐る、中に入って写真撮っても構わないかお尋ねしたところ、

なぜかもの凄い歓迎ぶりで、「どうぞどうぞ」とわざわざ中まで案内してくださり、

わざわざ埼玉から見に来たのだと作業している他の方々に紹介までされてしまいました(゚Д゚;≡;゚Д゚)

てっきりシルバー人材センターの方だと思っていたのですが、

当飛行場に実際に所属しておられた方を含む自衛隊OBの方々でしたΣ(゚Д゚;)


その後つくば滑空場を見学し、今回の見学ポイントはすべて周りました。

埼玉の自宅へ。

14:50 自宅近くで給油

ということで自宅に戻ったのでした。

長々とお付き合い、ありがとうございましたm(_ _)m


本日の走行距離:298km
総走行距離:1,739km

(もう続かない)

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栃木県・JUIDA・那須塩原試験飛行場 [├場所]

   2019年9月訪問 2022/1更新   



栃木県那須塩原市にある「JUIDA・那須塩原試験飛行場」。

JUIDAの飛行場は2022年現在、栃木、茨城、埼玉、京都にあり、最北に位置しています。


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     栃木県・JUIDA・那須塩原試験飛行場         
JUIDA・那須塩原試験飛行場 データ
設置管理者:JUIDA
種 別:電動マルチコプター飛行場
所在地:栃木県那須塩原市塩原2162
座 標:N36°57′41″E139°48′19″
標 高:864m
飛行可能エリア:77mx66m
場内面積:1.0097ha
(座標、標高は国土地理院から)

沿革
2019年04月1日 開設

関連サイト:
公式サイト 
旅行記 


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福島県・南相馬滑走路(福島ロボットテストフィールド内) [├場所]

   2019年9月訪問 2022/1更新   




福島県南相馬市にある「福島ロボットテストフィールド」。

公式サイトによりますと、当施設は、

「陸・海・空のフィールドロボットを主対象に、実際の使用環境を拠点内で再現しながら研究開発、実証試験、性能評価、操縦訓練を行うことができる、世界に類を見ない一大研究開発拠点」

とありました。

そしてこの敷地西側に無人航空機エリアがあります。

400m×20m・南北方向の「南相馬滑走路」の他、

ヘリポート、150m×80m×有効高さ15mの緩衝ネット付飛行場

風洞棟等の施設があります。


現在のところ当地のグーグル画像が滑走路開設以前に撮影されたもののため、

上のグーグルマップは、公式サイト内の鳥観図から作図した大まかなものです。

将来画像が更新されたら修正します。

ご了承くださいませ。


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浪江滑走路 R/W19側


DSC_0083.jpg
緩衝ネット付飛行場


DSC_0086.jpg


DSC_0087.jpg

因みに当施設の西南西約5km、常磐線をはさんだ場所には、陸軍の「原町飛行場」がありました(下記リンク参照)。

それから「福島ロボットテストフィールド」の滑走路は、当記事の「南相馬滑走路」ともう一つ、

「浪江滑走路」があります(下記リンク参照)。




     福島県・南相馬滑走路         

南相馬滑走路 データ
設置管理者:福島ロボットテストフィールド
種 別:無人機用滑走路
所在地:福島県南相馬市原町区萱浜赤沼61
座 標:N37°37′55″E141°0′28″
標 高:4m
・滑走路:400m×20m(01/19) アスファルト舗装
・緩衝ネット付飛行場:150m×80m×有効高さ15m ロングパイル人工芝
(座標、標高は国土地理院から)

沿革
2019年04月26日 南相馬滑走路、ヘリポート開所

関連サイト:
公式サイト 
ブログ内関連記事:
旅行記 
原町飛行場跡地 
浪江滑走路  


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東北・3 [■旅行記]


Ⓐ道の駅大家海岸→Ⓑ福島ロボットテストフィールド→Ⓒ浪江滑走路→Ⓓ黒磯滑空場→ⒺJUIDA那須塩原飛行場→Ⓕ道の駅はなわ(車中泊)


3日目 15℃

3:40 起床

4:20 道の駅大家海岸出発。

福島県に向かいました。


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7:00 途中、仙台のジョイフルで七種の和朝食


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10:00 福島ロボットテストフィールド到着(下記リンク参照)。

流石ロボットテストフィールドだけあって、

早速黒い自走式ロボットが不審な男の周囲を警戒してました。

続けて、15km程先の浪江滑走路(下記リンク参照)も見たかったのですが、

ドコからどう入ろうとしても、一般車は「工事関係車両以外進入禁止」で入ることができず、

近づくことが出来ませんでした。残念。

公式サイトによれば、2020年3月にアクセス道路開通予定とのことです。

10:55 次の目的地に向かいました。


DSC_0090.jpg

浪江滑走路から約10km先に福島第一原発があります。

現在オイラは原発から離れる方向に向かって走行中なんですが、

それでもしばらくの間、そこここに放射線量の関係で通行止めの看板、

それにタオル巻いただけ(に見える)誘導員さんが立っています。

12:00 セブンで海苔巻きと野菜ジュース

栃木県の黒磯滑空場(下記リンク参照)にも寄ったのですが、昨年通れた道が通れなくなってて、

行けませんでした。残念。

16:20 JUIDA那須塩原飛行場

17:30 地元スーパーで夕食の調達

何にしようかと見ていたら、ちょうど割引シールを張り始めたから揚げ弁当ゲット。

謳い文句に違わずから揚げが多くて食べきれない

19:15 道の駅はなわ

19:35 寝る

おやすみなさい

本日の走行距離:501km


南相馬滑走路(福島ロボットテストフィールド内) 
浪江町滑走路(福島ロボットテストフィールド) 
黒磯滑空場 

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台風19号後のホンダエアポート [├国内の空港、飛行場]


埼玉県桶川市のホンダエアポートは荒川河川敷にあって、

先日の台風19号ではここも完全に濁流に呑まれてしまいました。

飛行場のすぐ南側に小さい橋があって、時々利用するんですが、

ここもしばらく通行止めになってました。

先週仕事で通りかかったら、通行止め解除になってたので、

(ホンダエアポートはどうなったかしらん)と心配で様子を見てきたのでした。


IMG_20191030_123051.jpg
下流方向になぎ倒されてます(@Д@)


IMG_20191030_123133.jpg
飛行場敷地。

まだ水が残ってます。

こちらも草が下流方向→に倒れてました(つД⊂;)



IMG_20191030_122633.jpgIMG_20191030_122530.jpg

IMG_20191030_122533.jpg

飛行場無事だったんだあ~つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

普通にゴーアラウンド繰り返してて安心しました。

向こう側に駐機中の機体がたくさん見えてますが、

他SNS様によりますと、台風の時は土手上にある事務所側にエバケーション(でいいのか?)してました。



IMG_20191030_122131.jpg

IMG_20191030_122033.jpg

車輪のついた管制塔(左下の白っぽいのはオイラのユビ(;´Д⊂))。

(この車輪を使うことなんてあるんか?)とずっと思ってたんですが、

今回はこの管制塔もエバケーションしました。


IMG_20191030_121557.jpg

飛行場お隣のスポーツランドでは、普通にバイクが轟音を轟かせていました。



ブログ内関連記事:
ホンダエアポート 
桶川陸軍飛行学校跡地 

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