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六三三基地、赤郷(三本木、末原)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2013年4月訪問 2022/1更新  


無題e.png
撮影年月日1947/10/08(USA M539_1 61) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

山口県‎美祢市‎にあった「赤郷(三本木、末原)飛行場、六三三基地」。

戦争末期、仙崎に上陸すると思われる米軍に備えて山間の地形を利用して作られた特攻機用の秘匿飛行場です。

■防衛研究所収蔵資料「昭和二十年 各航空基地平面図 岩国、呉、福山、長野、大浦、竹ノ下 等」

に当基地の大判の青図があり、先頭のグーグルマップはこの青図から作図しました。

青図の右上には、「六三三基地略図」と大書きしてあり、

滑走路には「 滑走路(砂利敷) 巾30M 長600M」と説明書きが、

また滑走路西側の山?には、「猪出台」と記されていました。

突貫工事の末完成しましたが、飛来したのはデモ用の1機のみだったのだそうです。

2014/8/9追記:アギラさんから情報頂きました。当飛行場すぐ西側に景清洞があるのですが、ここを天然飛行機格納庫として本土決戦のための戦力温存を図る計画があり、ここに飛行機を秘匿しておくために滑走路を造る必要があった、という資料があるのだそうです(上述の「仙崎に上陸すると思われる米軍に備えて」とはニュアンスが多少異なる)。詳しくはアギラさんのコメン(2014-08-08 08:55)をご覧ください。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:赤郷 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:600x30砂利敷 主要機隊数:小型 主任務:発進 隧道竝ニ地下施設:工事中其ノ他記事:離着陸概ネ一方向

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  呉
牧場  赤郷
滑走路 三〇×六〇〇
縣郡村 山口、美禰 赤郷村 
記事  八月末既成

D20_0037.jpg

赤マーカー地点。

現地にお邪魔した際は、ここから滑走路が始まっていると思っていました。

このちょい先から奥に向かって滑走路が伸びていたはず。

アクセルを踏まなくても50km/hが維持できる程度の下り勾配がついていました(フィットDレンジ)。


      山口県・六三三基地、赤郷(三本木、末原)飛行場跡地     
周囲が山に囲まれているため、作業中に海軍の兵隊が「ここから飛んだら降りてはこれない」と語っていたという記録が残っています

六三三基地、赤郷(三本木、末原)飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:秘匿特攻用飛行場
所在地:山口県美祢郡赤郷村(‎現・美祢市‎美東町赤‎)
座 標:N34°17′37″E131°20′14″
標 高:212m
滑走路:600mx30m
方 位:16/34
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年06月15日 全国に特攻隊基地を秘かに建設する計画が発表される
     07月15日 1か月足らずの突貫工事の末完成

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(22コマ) 
ブログ内関連記事    

この記事の資料
山口銀行「防長歴史探訪(二)」
防衛研究所収蔵資料「昭和二十年 各航空基地平面図 岩国、呉、福山、長野、大浦、竹ノ下 等」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」


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コメント 4

鹿児島のこういち

海軍の兵隊さんの話からすると、場所の選定間違いだったのでしょうか?それとも米軍が、まさかここに飛行場は造らないだろうと思わせるためだったのでしょうか?デモ機は来たんですよね、離発着は出来ないわけではなさそうですね。
by 鹿児島のこういち (2013-06-20 08:32) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
末期に作られた本土決戦用の秘匿特攻用滑走路ですから、発見し難く、離陸さえできれば良かったということで、
兵隊さんの言葉、オイラはそのままに受け取りました。
参考にさせて頂いた本の著者はグライダーパイロットの方で、
離陸はできるけど着陸は相当困難だろうということに同意しておられました。
オイラは現地で見てもピンときませんでしたが^^;
デモ機、フルストップランディングをしたという記録はないのですが、
実際に降り立って見せたのであれば、凄腕パイロットなのかもしれないですね。
by とり (2013-06-21 06:30) 

アギラ

我家は真夏の資料整理中でして、ここの資料も出てきました。
山口銀行が作った本「防長歴史探訪(二)」の中には「海軍は昭和二
十年に景清洞を天然飛行機格納庫として赤郷村末原(美東町赤郷)に
海軍の飛行機滑走路を設け本土決戦のための戦力温存を図る計画を立
てた。景清洞は佐山から出入りできることから目をつけたものらしく
洞の出口に当たる末原に簡易飛行場の滑走路をつくる必要があった。
地元民だけでなく隣村各地から村民が動員され必勝の鉢巻きで末原の
原野を切り開き銅鉱山の捨石などを敷きつめた。いまもこのとき作ら
れた滑走路の一部を確認することができる。滑走路はあまり広くない
幅で南北に延びている。そして洞内には軍需倉庫を設けた。飛行機が
飛んで来るとき以外は枯草でカムフラージュしておき軍から連絡があ
ると地元民が駆けつけてその草を取り除き着陸するという段取りで
あった。しかし実際には一機が飛んできただけでまもなく終戦を迎え
たのである。」
自然の格納庫(掩体壕)ということでとっておいた資料でした。
by アギラ (2014-08-08 08:55) 

とり

■アギラさん
ここ数日は一息つけますが、連日猛暑だと、室内で静かに資料整理がいいですね。
こちらにも貴重な情報ありがとうございました。
記事に情報追加させて頂きましたm(_ _)m
by とり (2014-08-09 05:50) 

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