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南恵庭駐屯地場外離着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問)  



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撮影年月日1962/05/15(昭37)(MHO623X C12 7) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1/25000「恵庭」昭和30年二測「今昔マップ on the web」より作成

北海道恵庭市にある南恵庭駐屯地。

この駐屯地にはかつて滑走路がありました。

■新千歳市史通史編下巻1040p
 特化団航空隊の創隊 昭和29(1954)年1月10日、保安隊訓令第46号による北方般命第7号に基づき札幌駐屯地に敵情偵察と弾着観測のため北部方面特科団航空隊が新設された。隊員は保安隊航空学校航空機操縦および整備課程修了者を主体としたが、定数54人に対し充足は32人だった。
 29年7月1日、保安隊を陸上自衛隊に改組し特科団は第1特科団、航空隊も第1特科団航空隊と改称された。6日にL-19A(L=liaison=連絡機/セスナ305A)初号機を受領し、観測記録班は門別シノダイ岬米軍高射砲射撃場で弾着観測の教育を実施した。9月10には航空隊の編成改正が完結した。

 9月30日、北千歳飛行場(場外離着陸場)が完成、11月26日には航空隊を札幌駐屯地から北千歳(団本部東千歳/S37北千歳移駐)に移したが、基地飛行場は南恵庭駐屯地にあった転圧300㍍級を主用していた。航空隊はL機のほか、落下傘、L機用橇・覆などの資器材を分散受領、少しずつ隊容が整い道内各地の災害に対して空中偵察を支援した。
 31年1月現在の航空隊充足率は定員100人に対して84㌫、航空機はL-19が7機、L-21B(パイパーPA-18)3機となっていた。
 北千歳飛行場 昭和32年5月7日、基地飛行場を南恵庭から北千歳に移したが、

札幌駐屯地に北部方面特科団航空隊が新設され、実際の飛行は当南恵庭駐屯地を主用していたのですね。

この市史の中で、当南恵庭の滑走路は、「転圧300㍍級」とあるのですが(他サイト様でも恵庭300mとある)、

上に貼った航空写真と地図では、どちらも700mあるんですよね。

市史の中で「転圧300㍍級」とあるのは昭和29年の話。

上に貼った航空写真と地図はそれぞれ昭和37年、昭和30年。

昭和29年まで300mだったものが翌年には700mに延長したのでしょうか。

当時は広々とした荒地で、滑走路は転圧ですから、やろうと思えばすぐなんでしょうが。



     道央・南恵庭駐屯地場外離着陸場跡地         
南恵庭駐屯地場外離着陸場 データ
設置管理者:防衛庁
種 別:場外離着陸場
所在地:北海道恵庭市恵南
座 標:42°51'14.8"N 141°34'22.6"E
標 高:52m
滑走路:300m→700mx25m?
方 位:17/35
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1954年11月 26日 航空隊を札幌駐屯地から北千歳に移す。特化団航空隊が主用する
1957年05月 7日 特化団航空隊、基地飛行場を北千歳に移す

関連サイト:
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この記事の資料:
新千歳市史通史編下巻


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北海道・5 [■旅行記]


Ⓐ新潟港→Ⓑ湯沢IC→ⓒ自宅//

5日目

3:10 起床(早起きする必要ないのにすっかりクセついた)。

流れる海を大窓から見ながら記録付け。

二度寝三度寝と記録付けを繰り返しながらまったり過ごす。

8:45 車両甲板に案内のアナウンス。


DSC_1179_00001.jpgDSC_1180_00001.jpg


9:15 下船。

北海道では随分雨に悩まされたけど、こちらは眩しいほどの青空でした。

本日新潟の最高気温は38℃(XДX)

道内ではいっても30℃だったので、やっぱりこっちは暑いなあ。と思っていたのですが、

今回の旅行から約2か月後の8月下旬には、

札幌市の観測史上最高気温の36.3℃、北見市で37.1℃(こちらは道内史上4位タイ)

となったのでした。

この先大丈夫か。

船など撮って、ターミナルでお土産を買い足して、下道で自宅に戻ることに。

しばらく走って、どうしても自宅の35km手前でガス欠になってしまうことが判明。

これから新潟と群馬の県境谷川岳(標高1,000m超)がひかえているのだ。

峠を越えるまではガソリン余分に消費するし、

峠を越えると、早々に満充電状態になって位置エネルギーを回収しきれず、

無駄に捨てることになる。

35km手前どころかもっと手前でガス欠になるはず。

ということで、途中で15L給油。

12:00 セブンで冷し中華。

昨日の昼過ぎに港に着いてから、今朝まではまったり過ごして体力回復に努めたつもりだったのに、

体が重くて疲労感が酷い。

本当はこのまま下道で走り続け、夜までに埼玉の自宅に着ければいいや。

と考えてたけど、湯沢ICから関越に乗ることに。

今回の5日間の旅行のうち、初日と最終日は移動だけなので、

忙しく動き回ったのは、実質2.5日だけ。

それでこんなにヘロヘロになるなんて、オイラも歳をとったなぁ(´・ω・`)

連続車中泊5泊6日で九州なんて、もう無理かしらん。

体力面に不安を感じつつ、無事自宅最寄りのIC着。

15:20 給油。

25Lで満タンに。ア、アレ??

途中で給油しなくてもここまで来れたジャン。

FIT4ハイブリッドは、満タン状態で埼玉出発して、道内で1回満タンにすれば、

道内一周して埼玉まで戻ってこれるのだ。結果論だけど。

買い物などして15:55 自宅着。

3日間で道内一周して、新規は無事全部行けたけど、12ヵ所積み残してしまった。

次はまた3年後かな~。


本日の走行距離:295km
総走行距離:2,370km
総燃費:30.77km/L

これにて北海道旅行記はおしまいです。

長々とお付き合い、ありがとうございました。

(もう続かない)


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苫小牧飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年7月訪問  



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撮影年月日1944/10/15(昭19)(91ハ C1 2) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


北海道苫小牧市、苫小牧港のすぐ西側に、陸軍の「苫小牧飛行場」がありました。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に1/7,500の要図があり、先頭のグーグルマップは、この要図から作図しました。

恒風は、冬:北西、夏:西南と書き込みがありました(共に滑走路方向)。

情報にも出てくるのですが、1,000m級滑走路を2本も有しているにしては、

かなり狭い範囲に押し込められ、拡張の余地のない飛行場です。

というか、諸施設、線路、海岸道路に囲まれた範囲内で、

恒風を考慮に入れて敷地内を目一杯滑走路にしたら、必然的にこうなると思います。

資料の情報を以下引用させて頂きます。

位置
北海道勇払郡苫小牧町
滑走地域
整地転圧完了しありて中型機以下の使用に適す
施設
掩体九機分完成しある外施設なし
気象
恒風夏季西南風、冬季北西風を主とす
冬期間は降雪量少く雪踏することに依り使用し得
交通
苫小牧駅より約二粁にして自動車通過容易なり
其の他
東部に工業学校及日高線 西部に国民学校在り
拡張不能なり 尚是等建築物及電柱は飛行場他
積狭小なるため離着陸に注意を要す

■新千歳市史通史編上巻919pにも、

苫小牧
一一〇〇x二〇〇 転圧舗装
一〇〇〇x二〇〇 転圧舗装+無蓋掩体壕9
(市立苫小牧東中、総合体育館一帯)

とありました。


DSC_1104_00001.jpg


赤マーカー地点。

滑走路方向。

目の前にババーンと体育館が。


DSC_1115_00001.jpg


青マーカー地点。

滑走路方向。



     道央・苫小牧飛行場跡地         
苫小牧飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道勇払郡苫小牧町(現・苫小牧市末広町)
座 標:42°37'56.9"N 141°36'43.1"E
標 高:9m
滑走路:1,100mx200m(07/25)、1,000mx200m(14/32)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:
新千歳市史通史編上巻
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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