別府の水上機飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2016年5月訪問 2022/6更新
1/25000「別府」大正3年測図「今昔マップ on the web」より作成
撮影年月日 1939/12/05(昭14)(B25 C2 15)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
大正から昭和初期にかけて、大分県別府市に水上機飛行場がありました。
当時の鳥瞰図等で確認すると、上の航空写真の↓の辺りに飛行場格納庫があったようです(グーグルマップの紫マーカー)。
水上機はクレーンで海上に降ろされていました。
■国立国会図書館デジタルコレクションに「報知年鑑.大正16年」があり、
この中に、本邦民間飛行場調〔大正15.8〕として27の民間飛行場の一覧がありました。
当飛行場関係箇所を引用させていただきます(下記リンク参照)。
使用者 日本航空株式会社
種類 水上
位置 大分縣別府市北濱公園817番地の77地先海面
面積 1,000米平方の海面
■同「報知年鑑 大正15年」に「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」のページがあります。
記載内容は大正16年版とほぼ一緒なんですが、使用者の項目の代わりに管理人の項目があり、
「川西龍三」とありました(下記リンク参照)。
■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行
の中で、「本邦定期航空現況(昭和十三年十二月現在)」として以下記されていました(7コマ)■
経営者 日本航空輸送研究所
会社創立 大正十一年六月
資本金 三〇〇,〇〇〇円
所長 井上長一
航空線路 大阪-別府
区間 大阪-高松間 毎日一往復
高松-松山間 毎日一往復
松山-別府間 毎日一往復
線路開設年月 大正十ニ年七月
黄色マーカー地点。
格納庫があったと思われる前からみるとこんな感じ。
現在はビーチとして整備されていますが、当時はここまで海面で、この辺りに水上機を降ろして運用していたはず。
大正12年頃、当時の日本航空株式会社によりここから水上機で大阪や福岡と空路で結ばれていました。
また定期航空路の他に、別府市上空の遊覧飛行も行われていたのだそうです。
紫マーカー地点。
飛行場があった埋め立て地の反対側から。
奥の矢印を付した建物のあたりに飛行場格納庫があったと思われます。
現地にお邪魔した当時、きちんと飛行場の場所をつめることができておらず、微妙な距離感の写真になっております。
先頭の航空写真で見れば一目瞭然ですが、当時は格納庫のあった埋立地が海に方形に突き出す形で目立っており、
「鶴水園」と呼ばれる別荘地だったのだそうです。
現在は旅館街に変貌しています。
大分県・別府の水上機飛行場跡地
設置管理者:日本航空株式会社
種 別:水上機飛行場
所在地:大分縣別府市北濱公園817番地の77地先海面(現・別府市北浜3丁目)
座 標:N33°16′56″E131°30′21″
面 積:0.1ha
(座標はグーグルアースから)
沿革
1923年 飛行場開設。定期便運航
関連サイト:
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正15年(183コマ)■
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正16年(225コマ)■
ブログ内関連記事■
写真見てて、海水浴に行きたくなったな(*´▽`*)
by 鹿児島のこういち (2016-07-28 10:37)
■鹿児島のこういちさん
ちょうどシーズン真っ盛りですね~
オイラも海でビール飲みたい。。。
by とり (2016-07-29 06:54)
別府タワーからも俯瞰されたのでしょうか?
by an-kazu (2016-07-31 09:27)
■an-kazuさん
はっ、しまった!
そうすればよかったΣ(゚Д゚;)
by とり (2016-08-01 04:57)