福山航空基地跡地 [├国内の空港、飛行場]
2012年12月訪問 2021/8更新
撮影年月日1948/03/03(USA M816 73)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
広島県福山市にあった「福山海軍航空基地」。
約5km東側に「笠岡ふれあい空港」があります。
県道3号線南側に広がるJFEスチールの広大な敷地は戦後埋め立てられたもので、
大雑把ですが県道3号線の南側は海で、ここに水上機専用の基地があったのでした。
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)
の中に、「福山海軍航空隊全般平面図」があり、先頭のグーグルマップはこの図から作図しました。
図には、
設備要目一覧表
名称 記事
滑走台 巾80M長92M 1,巾40M長92M 2基(運輸省)
格納庫 1棟8,400㎡壊(運輸省)
居住施設 約6,400㎡(運輸省建物を含む)
とあり、凡例には、「海軍敷地境界」「運輸省用地境界」とか、
「航空隊建物」「運輸省建物」とあり、航空隊の建物は斜線で、運輸省の建物は白抜きで区別してあります。
そして海軍敷地内の建物にはちゃんと斜線が、運輸省用地内の建物は白抜きになっています。
てっきりここは海軍専用と思っていたんですが、東側は運輸省の用地なんですね。
三つの滑走台が目立っているんですが、ここも運輸省。
また、同資料には、別表 航空基地施設史実調査資料表がありました。
基地名 福山(水)
所在地 広島県深安郡引野村
最寄駅 東海道線?大門駅
飛行場 滑走路(台)
主要機種 中、小型、練習機
収容力 人員 終戦時 三角兵舎三〇棟 一,八五一平米
飛行機 終戦時 掩体小三〇
其の他の主要施設 隧道等
とあり、「飛行場 滑走路(台)」のところ、欄外に矢印が引っ張ってあり、
「乗員養成所 航空局高等 巾50 80 100各一基」とありました。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:福山(水上基地) 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:92x80 92x40x2コンクリート 主要機隊数:小型1.0 中型1.0 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:各種用1.851平米 掩体:小型隠蔽30 其ノ他記事:一部運輸省管理(高等乗員養成所)
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「福山開隊(S20.3.1)(昭19建)」とありました。
正門跡(赤マーカー)
ここからカメラを右に振ると…
こんな感じ。
広島県・福山航空基地跡地
福山航空基地 データ
設置管理者:逓信省、旧海軍
種 別:水上機用飛行場
所在地:広島県深安郡引野村(現・福山市大門町津之下)
滑走台:92mx80m 1基、92mx40m 2基
座 標:N34°28′44″E133°25′55″
(座標はグーグルアースから)
沿革
1943年04月 逓信省福山地方航空機搭乗員教育所開設
1944年06月 1日 詫間海軍航空隊福山分遣隊となる
1945年03月 1日 福山海軍航空隊として独立
04月 631空編成。伊号四〇〇潜水艦に搭載する晴嵐隊が訓練実施
08月 10日 福山空神風特別攻撃隊”菊水偵隊”編成
1946年 大英帝国陸軍、英連邦オーストラリア陸軍進駐
1952年 保安隊福山駐屯地となる
1959年 日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール西日本製鉄所福山地区)が進出。基地跡地も敷地となる
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)
「日本海軍航空史」(終戦時)
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
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