台湾・屏東(北)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
(未訪問)
前記事の続きです。
台湾屏東県にある中華民国空軍の屏東空港、北側にある滑走路は、
日本陸軍の「屏東(北)飛行場」でした。
「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、
当飛行場は連合軍によりMAD(Medium Bomber Airfield:中爆撃機飛行場)に分類されていました。
南北共に日本陸軍の飛行場だったのですね。
南の飛行場は台湾で最初期に造られましたが、
「屏東(北)飛行場」については、手持ちの資料にはまったく出てこないので、
末期の時期に造られたのだと思います。
「日治下臺南永康機場的時空記憶」には、日本が建設した台湾の71の飛行場が挙げられていて、
ここには南北の屏東飛行場が揃って登場するのですが、
様々なサイト様で地図付きで扱われている南の飛行場とは異なり、
北の飛行場はドコにあったのか、ずっと不明だったのですが、
洪致文氏の「不沈空母: 臺灣島內飛行場百年發展史」という書籍に出ていました。
但し、これは図示してあるだけで滑走路の長さ等不明のため、
位置決めは目測、滑走路の長さは、一応1,500mx100mにしてあります。
おおよそこんな感じ。ということでご了承ください。
台湾・屏東(北)飛行場跡地
屏東(北)飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾屏東広興里
座 標:22°41'56.8"N 120°28'40.4"E
標 高:25m
滑走路:1,500mx100m?
方 位:08/26
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
関連サイト:
日治下臺南永康機場的時空記憶■
盟軍記載的二戰臺灣機場(21コマ)■
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この記事の資料:
不沈空母: 臺灣島內飛行場百年發展史
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