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尾上陸軍(加古川、三角)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2012年10月訪問 2021/7更新  


無題5.png
撮影年月日1947/08/20(昭22)(USA M417 30) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

兵庫県‎加古川市にあった「尾上陸軍(加古川)飛行場」。

現在はオーミケンシ、日清鋼業、メガディスカウントストア等になっています。

地元ではその独特の形状から「三角飛行場」とも呼ばれていました。

■防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」の中に当飛行場の地図があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

開発がすすみ、もうすっかり飛行場があった当時の地割は消えてしまったと思いきや、

作図して気が付いたんですが、飛行場敷地の地割は勿論のこと、滑走路の地割も結構残ってます。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

「尾上陸軍飛行場 兵庫県加古郡尾上村」

面積 南北1,700米 東西1,200米 総面積117萬平方米
地面の状況 舗装滑走路(780米x100米)1條 (500米x100米 2條 其の他の地域は一面に植芝密生す
目標 加古川、高砂町、相生橋
障碍物 建物敷地内に無線電信柱、海岸に松並木等あり
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 格納庫(間口45米、奥行50米)4棟
照明設備 障碍物標示燈あり
通信設備 陸軍無線電信所あり
観測設備 陸軍気象観測所あり、航空気象を観測す
給油設備 場内にて補給し得
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり
地方風 全年を通じ西北西風又は北東風多し
地方特殊の気象 3月中旬より6月中旬間に大阪方面より煤煙霧襲来し視界狭少ならしむ
交通関係 省線加古川駅より「バス」の便あり
其の他 本場は飛行第2戦隊飛行場にして場内に陸軍航空廠加古川分廠あり
(昭和18年4月調)

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  加古川
位 置   兵庫県加古郡尾上村
規 模   要図(南北1550 東西550)
舗 装   五〇〇×一一〇米
      基礎表層アスファルトコンクリート
付属施設
 収容施設 八〇〇名分
 格納施設 飛行機庫六棟
      二〇〇〇平方米 四棟
      二一〇〇平方米 二棟
      掩体 二〇ヶ所
摘 要   施設軍有

■アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、加古川中學校々友會滑空部が当飛行場を使用していたという記録があります。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m 

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で当飛行場について扱われていました。

以下引用させて頂きます。

先祖伝来の美田をつぶして飛行場にする前に、もっと適当な原野を飛行場にできなかったものか、1937年(昭和12年)2月26日の第70帝国議会予算委員会で、杉山元治郎代議士は質問している。
 「…私共ハ素人デ能ク存ジマセンガ、私共ハ寧ロモウ少シ他ノ方面ニ行クナラバ原野デ適当ナ所ガアルト考ヘテ居ルニ拘ラズ、非常ニ美田ニ飛行場ヲ置クトコヲ見テ居ルノデアリマス…若シ出来ルナラバ今日ノヨウニ土地ガ少ナク困ッテ居ルトイウ時ニ、モウ少シ山ノ手ヘ行ケバ、アスコニハゴ承知の原ガアル、ソウイウ所ヲ選ンデハドウカ」トイウ抗議ニ対シテ、元陸相ノ杉山国務大臣ハ「…アノ土地ハ彼処デナケレバアノ土地ノ任務を尽スコトノ出来ヌ土地デアッタノデアリマス…ヤムヲ得ズ…」トイウヨウナ。答弁ヲシテイル万事軍部優先ノ世ノ中デアッタ(加古川市史」より)

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黄色マーカー地点

三菱製紙工場のくびれた煙突。

離着陸の支障になるからと一旦切断されたものなのだそうです。

マップで確認すると、煙突は三本の滑走路のどれとも、延長線上に入っていないんですが、

着陸機が最終進入コースにのせるための回り込みとか、離陸後旋回の際に、ちょうど引っかかりそうなのかも。

それとも「飛行場周辺の高いものはとにかく全部ダメ」ということなんでしょうか。

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赤マーカー地点

某大型ディスカウントストア前。

この辺りから奥に向かって、画面左側に滑走路が伸びていたはずです。

オイラが立ち入れそうな滑走路跡地を探して、ここから撮りました。

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紫マーカー地点。浜の宮公園入口付近(以下3点同様)。

陸軍航空第百十四教育飛行連隊発祥之地碑

裏面に碑文がありました。

(全文)昭和十八年八月三十一日 戦闘第百一教育飛行連隊を基幹として編成 昭和十八年九月十九日 北支南苑に到着 同地に於いて戦闘機基本戦技操縦教育を実施 昭和十九年三月七日第十四教育隊と改称 部隊長陸軍中佐 浦川八郎 昭和二十年六月三日 特攻第百十一振武隊を沖縄西方海上に出撃散華せり 平成七年五月吉日 隼○一会会長 友成久徳

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陸軍航空通信学校尾上教育隊跡

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門柱らしきものが倒されていました。特に説明板等はありませんでした。

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青マーカー地点。浜の宮公園内(以下3点同様)。

C地点から石畳に沿って奥に進んで行くと、右手にこんな基礎があります。

説明版がありました。

(全文)当公園内には、戦前、旧陸軍(大阪陸軍航空通信学校尾上教育隊)の兵舎が建設され、約1,500人の隊員が駐留していました。戦後間もなく建物は取り壊されましたが、最近まで数多くの基礎石が存在していました。ここにあの不幸な歴史を二度と繰り返さないことを誓い、基礎石の一部を保存し、後世に伝えることにしました。

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細かく区切られた不思議な遺構。

腰位の高さがあります。 何なんでしょうか。


      兵庫県・尾上陸軍(加古川、三角)飛行場跡地      

尾上陸軍飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:兵庫県加古郡尾上村(現・加古川市‎尾上町池田‎)
座 標:N34°44′12″E134°49′05″
標 高:5m
面 積:117ha(南北1,700m 東西1,200m)
滑走路:700m×100m,500m×100m,500m×100m
方 位:01/19,12/30,14/32
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1937年 開設
1940年 この当時、 加古川中學校々友會滑空部が当飛行場を使用

関連サイト:
ブログ内関連記事     

この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」
現地の碑文
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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