上伊保付近着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2016年6月訪問 2021/12更新
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6■■ (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚)
撮影年月日 1945/04/06(昭20)(97I9 C4 84)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
愛知県豊田市にあった「上伊保付近着陸場」。
先頭のグーグルマップは、上に貼った 「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」から作図しました。
この情報はtuka@北海道さんから情報頂きました。tuka@北海道さんありがとうございましたm(_ _)m
この資料では当着陸場について、
「昭和9年3月調査」として、400m、350mのL字型滑走路を持つ着陸場として説明されています。
更に、当着陸場でしばしば飛行が行われていたこと、
地元の方からは「飛行場」と呼ばれていたと説明されています。
で、少々ややこしいのですが当着陸場のあった場所は、
後に建設された「名古屋航空基地(伊保原、挙母飛行場)」と重なって見えます。
先頭の航空写真の白っぽい部分は三本の滑走路を有する「名古屋航空基地」なのですが、
当着陸場は赤丸の辺りに位置します。
「名古屋航空基地(伊保原、挙母飛行場)」については様々な資料の中で、
「昭和15年に愛知時計電機の試験飛行場として誕生した」
的な扱いになっています。
今までオイラも、何もなかったところに先ず愛知時計の1,000m滑走路が建設され、
後に軍民共用飛行場となり、拡充されたという認識でしたし、該当記事にもそうまとめました。
今回ネットでザッと検索してみた範囲では、「名古屋航空基地は昭和15年の愛知時計から飛行場としての歴史が始まった」
とするものばかりで、昭和9年の着陸場ついて触れたものは見つけることができませんでした。
こうなると、この着陸場の素性と後の「名古屋航空基地」との関係性が非常に気になります。
残念ながらこの小さな着陸場を誰が作ったのか不明なのですが、
「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」では、当着陸場について、
「第一、第二航空連隊はこの着陸場をしばしば飛行操縦に使用している」と記しています。
この「第一、第二航空連隊」についてはそれ以上の説明がないのですが、
同じ「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」の後の方のページでは、
ここから約37km離れた場所にある各務原の第一、第二航空連隊飛行場について扱っています。
「第一、第二航空連隊」というのが仮にここのことを指しているのだとすると、陸軍系の着陸場なのかしらん。
とすると、元々着陸場のある(あった)場所に愛知時計電機が目を付けたか、陸軍から紹介されて、
1,000m滑走路を建設し、終戦時には大規模な飛行場になったのかもしれません。
「同じ敷地内にある飛行場」ということで、一旦「名古屋航空基地」の記事内に含めたのですが、
当着陸場と「名古屋航空基地」の関係性が非常に気になるため、敢えて一つの飛行場跡地として独立させました。
この辺の経緯をご存知の方からの情報お待ちしておりますm(_ _)m
赤マーカー地点。
滑走路方向。
青マーカー地点。
滑走路方向
愛知県・上伊保付近着陸場跡地
設置管理者:陸軍?
種 別:着陸場
所在地:愛知県豊田市浄水町原山
座 標:N35°07′30″E137°08′24″
滑走路:400mx150m(08/26)、350mx100m(17/35)
標 高:92m
(座標、滑走路長さ、方位、標高はグーグルアースから)
沿革
1934年 この頃当地に着陸場があり、使用される
1939年 愛知時計電機の試験飛行場として造成
関連サイト:
ブログ内関連記事■
「日本海軍航空史」
これは面白いですね、ことの顛末を知ってる人がいればいいのですが、昭和1桁の人がとりさんのブログを読んでいてくれていたならぁ~って思っちゃいます。
by 鹿児島のこういち (2016-09-03 16:22)
■鹿児島のこういちさん
知ってると思っていたはずの場所でこんなことがあったなんて、
本当にビックリでした。
昭和1桁の方、どなたか見て下さってるといいんですけどね~。
by とり (2016-09-04 05:32)