台湾・苓雅寮飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
(未訪問)
台湾高雄市前鎮区にあった「苓雅寮(れいがりょう)飛行場」。
(TAIWANAIRBLOG様から許可を得て記事と作図を使用させて頂いておりますm(_ _)m 下記リンク参照)
■太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署(下記リンク参照)
によりますと、この水陸両用飛行場は1933年に開港しました。
また、もともとは海軍の空港でしたが、後に民間の空港になりました
■「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、
かつて台湾にあった水上機基地は、淡水と東港の2つだけだと考えられていたのですが、
後になって米軍の航空写真と記録等から、
淡水と東港に加えて、苓雅寮と左営にもあることが明らかになった。とあります。
詳しくはTAIWANAIRBLOG様の一連の記事をご覧頂きたいのですが、
1934年の「埋立地計画」には、「現在飛行場」(上のグーグルマップ水色のシェイプ)から、
「代用飛行場」(同緑色のシェイプ)を経て「新飛行場」(同赤色のシェイプ)を造成する計画が載せられています。
以下その計画を引用させて頂きます。
新飛行場埋立計■大要
一、位置。前鎮東南沿岸地
二、地形。高雄港の方向(北西より南東)と略々同一方向に」字形を
形造り其主要部分は 北西-南東…幅六〇〇米長一,四〇〇米なり
東北-西南…幅五〇〇米長一,〇〇〇米なり
三、面積。一,一一八,四五〇平方米
四、施工。
(イ)埋立。埋立予定地(図面A部)内全部地高二,〇米以上に埋立つ
るものとす埋立方法面は土羽打とす
(ロ)整地。上記埋立地を地均し其表面を一〇糎厚以上の粘土層
にて被覆整地するものとす
(ハ)護岸。干潮面上の部分に限り捨石を敷並べて護岸となすものとす
(ニ)浚渫。図面C部の如きT字型(フレンヂ部の幅三〇〇米長
一,二〇〇米■■■幅三〇〇米長一,五〇〇米)を水際四米
に浚渫す
但し埋立地に接する部分は全天端線より一〇米を距つるものとす
浚渫土砂は大部分は埋立に充当するも一部は対岸低地
に投棄する事あるべし
(ホ)水路開■。築港施設との交通連絡の為め現在飛行場沿岸南端
突角より幅一〇〇米(図面E部)水深二,〇米の水路を開
■す
(ヘ)代用飛行場。現飛行場の南方約五〇〇米距りたる箇所に水路に沿ひ
て幅三五〇米長さ七五〇米(図面D部)の部分を埋
立て地高一,八米以上とし其表面は一〇糎厚以上の粘土
層にて被覆整地して新飛行場完成迄の代用に
供す
1934年のこの計画は結局実現せず、
1935年6月22日付の台湾日日新報に、「日本アルミニューム会社創立手続完了」として、
「新飛行場」建設予定地が日本アルミニューム会社の用地となったのでした。
台湾・苓雅寮飛行場跡地
苓雅寮飛行場 データ
設置管理者:日本海軍
種 別:水陸両用飛行場
所在地:台湾高雄市前鎮区鎮北里
座 標:22°36'21.1"N 120°17'57.1"E
標 高:0m
飛行場:700mx350m?
(座標、標高、飛行場長さはグーグルアースから)
沿革
1933年 開港
1934年 埋立地計画
1935年 6月22日付台湾日日新報、「日本アルミニューム会社創立手続完了」と報じる
関連サイト:
TAIWANAIRBLOG/第一高雄飛行場(苓雅寮)空照圖■
太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署■
罕為人知的苓雅寮飛行場(Part 1)■
罕為人知的苓雅寮飛行場(Part 2)■
罕為人知的苓雅寮飛行場(Part 3)■
盟軍記載的二戰臺灣機場(22コマ)■
苓雅寮飛行機不時着陸場設備工事竣功の件■
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