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棚倉(沢田、石川沢田)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2013年10月訪問 2021/11更新  


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撮影年月日1947/11/04(昭22)(USA M627-A 104) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福島県‎石川郡‎にあった「棚倉(沢田、石川沢田)飛行場」。

福島空港の南南西約10kmに位置しています。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真と某サイト様の図(後述)から作図しました。

水色の滑走路は第一候補となった場所なのですが、最終的に黄色線の位置に落ち着きました。

同じく図によれば、この黄色線の滑走路東端付近(県道11号線、県道137号線の交差点付近)を中心として、

兵舎、炊事場、医務室、通信所、厩舎、蹄鉄鍛冶があり、

滑走路南側に三角兵舎、地下壕、通信所、誘導路、飛行機を隠す場所がありしまた。

PUTINさん情報ですが、米軍からも「沢田飛行場」としてバッチリマークされていました。

以前の記事 でも書きましたが、陸軍の史料「飛行場配當図」の中で当飛行場は、

「秘匿飛行場(と号専用)」と記載されています(「と号」:「特別攻撃隊」)。

東北地方で 「秘匿飛行場(と号専用)」として示されている飛行場は、

「岩手県水澤」、「宮城県玉城寺原」、そして当「福島県棚倉」の3飛行場のみです。

D20_0045.jpg

赤マーカー地点。

リンゴの甘い香りがしました。

 

地元紙内で当飛行場のことが非常に詳しく扱われており、ネットで閲覧することができました。

この地元紙内にあった図を作図にも使用させて頂いたのでした。

当記事を作る段階で改めて確認しようと思ったら、ヒットしなくなってしまいました。

以下閲覧して記録しておいた内容を抜粋させて頂きます。

県道に平行して建設された滑走路(1,850mx100m)は、

陸軍の建設隊と動員された石川中学校と県内の中学校(主に3年生)、近辺の国民学校高等科の生徒、

徴用された青年数百名によって4月から突貫工事で進められ、7月末にはほぼ完成しました。

空から区別がつかないように、滑走路の脇に芝生を植えたり、移動できる小屋を置いて偽装しました。

また、地下壕を造り燃料弾薬を隠したり、林の中に飛行機を隠す場所を作ったりしました。

敷き固めた砂利は阿武隈川から上げて馬車で運びました。

飛行場造りのことを満州国大連の姉に手紙を出した方がいて、

それが検閲され郡山憲兵隊に出頭を命じられ厳重に注意されたという一件もあったのだそうです。

練習機が3回着陸したのですが本格的な使用のないまま終戦。元の畑に戻すのに数年かかったのだそうです。

建設隊員の手記が紹介されており、

「毎晩地元のお宅にお風呂をもらいに行ったり、時々夕食に呼ばれた。沢田の方々の人情豊かな心に接したことが懐かしい」

と記されています。

宿泊が縁で現在でも親交が続いているケースもあるのだそうです。


      福島県・棚倉(沢田)飛行場跡地      

棚倉(沢田)飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
種 別:特別攻撃隊用秘匿飛行場
所在地:福島県‎石川郡‎石川町‎赤羽‎
座 標:N37°08′21″E140°23′19″
標 高:298m
滑走路:1,850mx100m?
方 位:06/24
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年04月 工事開始
     07月 ほぼ完成
     08月 終戦。戦後畑に

関連サイト:
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コメント 5

鹿児島のこういち

棚倉の飛行場を海軍の飛行場と勘違いしてのネットでの紹介なのでしょうか?実は浅川の飛行場は、本当に秘匿が守られていて誰も知らなかったとか(^^)
軍事施設がなかったのなら、法務局の浅川町の閉鎖字絵図をしらみつぶしに閲覧して、旧海軍の所有地がまとまって出てきたら、怪しいかもしれませんね。現実的ではないですが。労力も印紙代も馬鹿にできませんから(^^)
by 鹿児島のこういち (2013-12-12 08:20) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
勘違いというのは大いにあり得ます。
オイラも人のことはまっっったく言えませんけど(///∇///)
>法務局の浅川町の閉鎖字絵図
いろんな引き出しをお持ちですね~。流石です。
by とり (2013-12-13 04:11) 

佐藤正孝

初めてメールします。所沢在住のものです。このサイトは以前から貴重な資料として拝見しています。
さて、今回は、「浅川の飛行場跡地」の場所が分かったのでお伝えしようとメールしました。まず結論の場所ですが、浅川町役場の西方で浅川町大字浅川字背戸谷地の西端と棚倉町一色に跨いだところです。なぜ分かったのかの理由ですが、棚倉町役場が発行している「お知らせ版」2010年7/15号 No.213に「第6回棚倉平和のための戦争展」の案内に「浅川の飛行場」「石川沢田の飛行場」の跡地見学と記載されていたため、先日、役場の企画情報課を訪ねてきました。その時に戦争展の連絡先で記載してある郷土史科家の衣山氏に好意で連絡をとって頂き、突然のことなのに衣山氏がわざわざ現地に案内していただきました。現地に着きますと一部分ですが畑の地割がほぼ滑走路の幅となっていました。衣山氏も場所の特定には相当な年月がかかったとおっしゃっていました。自宅に帰ってから空中写真を見ると滑走路を彷彿させるあざ道が見えます。山歩きやオリエンテーリングで使用する方位磁石を忘れたので方位は不明です。またじっくりと訪ねたいと思っています。

別件ですが4レターコードについてもいずれ書かせて頂きます。

失礼します。
by 佐藤正孝 (2014-04-24 20:37) 

domingo

昨年夏、澤田飛行場跡地を訪問し、写真撮ってきました。
棚倉の淺川飛行場もぜひ訪問したい。衣山氏を探して、情報もらいます。
by domingo (2014-04-25 12:14) 

とり

■佐藤正孝さん いらっしゃいませ
返事が遅くなってしまい失礼致しました。
非常に貴重な情報を感謝致しますm(_ _)m
浅川飛行場、本当にあったのですね!後ほど記事修正致します。

USA M607 19 等で見ると、仰る通り浅川と一色の境界線が滑走路のようになっていますね。
ほぼ南北で、長さは丁度800m。
「空中写真を見ると滑走路を彷彿させるあざ道が見えます。」
と仰っているのはこれのことでしょうか?

以前からご覧頂いていたとのことで、どうもありがとうございます。
私はとにかく浅いので、佐藤正孝さんのような緻密に探求される方は尊敬致します。
また何かありましたらどうぞご教授下さいませ。
4レターコードについても気長にお待ちしております。
by とり (2014-04-28 17:42) 

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