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横浜水上(高知)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2014年6月訪問 2022/6更新  


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撮影年月日1947/12/15(昭22)(USA M692-1-1 81) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1/25000「高知」昭和8年測図「今昔マップ on the web」より作成

高知県‎高知市‎横浜‎にあった「横浜水上(高知)飛行場」。

浦戸湾に突き出した四角の部分(赤で囲った部分)は、水上機用の格納庫跡で、

これとその横で海面に突き出した水上機係留用の石柱(赤マーカー)が、ここに飛行場があった頃の名残です。

この四角の大きさをグーグルアースで測ってみたところ、南北方向38m、東西方向43mでした。

大きく黄色の四角で囲った部分は、アギラさん情報なんですが、

「航空年鑑昭和10年」に「滑走区域:東西七〇〇米・南北650米」とあり、その大きさです。

位置は不明なんですが、大きさとしてはこんな感じです。

アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

 

当飛行場の竣工は昭和6年8月のことで、

主に利用していたのは「高知義勇航空輸送研究所」とその付属の「高知航空学校」、そして海軍でした。

海軍は地元漁業関係者を権力でねじ伏せ、開設を推進させたのだそうです。

竣工から2年後の昭和8年4月に高知新聞社航空部が発足し、新聞創刊一万号となる同年6月17日に

海軍から中古の水上偵察機二機を購入し、月見台西に格納庫を建設しました。

当地は海岸線すぐ側まで山が迫っており、

堤防の続く海岸線に沿って、車がすれ違える程度の道路が設けられているのみです。

平坦な場所が少ないため、海面に突き出す形で格納庫を設けたのではないかと思います。

大阪から記事と写真の空輸をすることが目的で、「航空機でいち早く情報を」ということ自体は、

交通、通信未発達の当時の新聞社が普通に採用したやり方だったのですが、

地方紙としては、高知新聞社の当飛行場が全国に先駆けてのものだったようです。

水上機はクレーンで陸揚げし、格納庫へ格納されていましたが、高知新聞社以外の水上機は海上に係留させていました。

高知新聞が当飛行場を使用し始めてから3年後の昭和11年10月、日本航空輸送株式会社が当地に出張所を開設しました。

水上機による徳島経由大阪行きの旅客輸送を開始したのです。

当時の運賃は高知-徳島間が11円、大阪間が19円で、はりまや橋待合所から毎日送迎バスを運行していました。

■「高知航空史」に当飛行場の事が出ていました。

「新聞紙面というのは、おおむね県内ニュース4割、国内と世界のニュース6割で構成される。東京、大阪からのニュースだと、記事は電話で送れても、写真は郵送や汽車便を待つほかない。新しいニュースが載っても、写真はない。写真が載った時、もうニュースは古くなっている(高知新聞社の岡山-高知間電送写真開始は1937年3月22日)。そこで大阪-高知間、記事と写真を空輸しようというのが、水上機購入のおもな目的だった。(中略)水上機は…2式複座水上偵察機を払下げてもらった。同機種は戦艦、巡洋艦などに搭載して偵察に使っていた。3人乗りで、5時間の航続力を持つ。上昇力が強いので、短い水上滑走で離水できた。海軍が必要としたとき、いつでも返納に応ずるという条件がついていた。(中略)水上飛行場として浦戸湾の西岸、吾川郡長浜町横浜の月見台と巣山を見通した線から西の水域が設定された。これには、当然、船舶運航、漁船出入りに制限が加わるため、強い反対の声も出たが、海軍、内務当局のバックアップがあって実現にこぎつけた。横浜の海岸を本格的な工事で埋め立て、格納庫も完成した。2機は、高新第1号、同2号と命名された。高新号の配備をきっかけに、横浜は水上機の基地的性格を強めていく。軍用や民間の水上機の離着水にはここが使われた。1936年、日本航空輸送株式会社が水上旅客機により大阪-徳島-高知間の定期旅客輸送を開始した際、高新機格納庫の隣に発着場ができた。海軍指定のガソリン貯蔵所が建設され、1日10機を補給できる燃料が貯蔵されていた。1940年2月には、ここに高知航空無線電信局も置かれるのである。」

「1936年10月1日から水上旅客機が毎日運航で飛んだ。旅客のほかに航空郵便も輸送した。(中略)使用機は、フォッカー・スーパーユニバーサル水上旅客機が使われた。単発、高翼、単葉、ジュピター420馬力エンジンを装備、旅客6人、乗員2人を乗せ、最高時速235キロ、巡航時速185キロ、航続5時間という性能を持っていた。当時、世界で最も安全性に優れた、操縦がしやすく、信頼できる旅客機といわれた。同機種は、オランダ人フォッカーの設計だが、アメリカのアトランチック社がライセンス生産していた。日本航空輸送株式会社が6機購入し、1929年から国内線に使い始めた。水陸交換式で、陸上用にも水上用にも使えた。その後、中島飛行機株式会社がライセンス生産を始め、1931年に国産1号機を完成、陸軍、海軍向けを含み40機以上が作られた。日本の航空定期旅客輸送を本格化した旅客機といえる。」同書には当飛行場の写真が載せられており、海上に張り出した四角の高知新聞社格納庫の東側の海岸に水上旅客機発着場が設けられ、フォッカー・スーパーユニバーサル水上旅客機が2機浮かび、大勢の人が集まっている様子が映っていました。」

ところがその後旅客輸送開始から3年も経たない昭和14年8月、国策による官民共同の「大日本航空会社」が発足すると、

日本航空輸送社は解散し、高知の旅客輸送も休止してしまいました。

高知新聞航空部も徴兵により部員が取られ、消滅してしまい、事実上、横浜水上飛行場の歴史も幕を閉じたのでした。

高知新聞社の格納庫は戦後、「四国建機株式会社」が工場として利用していましたが、

90年代に同社は撤退し、格納庫も撤去されました。

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行
の中で、「本邦定期航空現況(昭和十三年十二月現在)」として以下記されていました(6,7コマ) 

経営者 大日本航空株式会社
航空線路 大阪-高知
区間 大阪-徳島間 毎日一往復
   徳島-高知間 毎日一往復
線路開設年月 昭和十一年十月

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行

の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」非公共用飛行場 として以下記されていました(9コマ) 

名 称  高知飛行場
経営者  高知新聞社
所在地  高知縣吾川郡長濱町大字横濱字孕小脇
水陸の別 水
滑走区域 東西七〇〇米 南北六五〇米
備 考  (記載無し)

ここまでが発足から現在までのあらましなんですが、

上に貼った航空写真と地図を比較すると、海岸線の形が異なっています。

上述の「高知航空史」には当飛行場の写真が何点も掲載されているのですが、

地図に示されている通りの、海岸線がえぐれ、埋立た四角部分も小さい時期と思われるものが写っています。

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高知新聞社水上機格納庫跡

新聞社以外の水上機は、格納庫の手前側の海上に係留していました。

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海岸線に沿ってずっと堤防が続いており、格納庫跡に立ち入ることが出来ません。

この格納庫跡のある位置の堤防裏手に回ってみると-

D20_0075.jpg

こんな感じ。

D20_0074.jpg

D20_0066.jpg

赤マーカー部分。

水上機係留用の石柱が海面に顔を出しています。


      高知県・横浜水上(高知)飛行場跡地      

アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和10年」の中で当飛行場が出ていました。「高知飛行場(水上)高知縣吾川郡長濱町大字横濱孕小脇三番地ノ五(滑走区域:東西七〇〇米・南北650米)」アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

横浜水上(高知)飛行場跡地 データ
設置管理者:高知新聞社(格納庫部粉)
種 別:水上機用飛行場
所在地:高知縣吾川郡長濱町大字横濱孕小脇三番地ノ五(現・高知市‎横浜‎)
座 標:N33°31′46″E133°33′33″
滑走区域:700mx650m
(座標はグーグルアースから)

沿革
1931年08月  飛行場竣工
1933年04月 高知新聞社航空部が発足
     06月 17日 海軍から中古の水上偵察機二機を購入。格納庫建設
1936年10月 01日 日本航空輸送、高知~徳島~大阪線開設
1939年08月 国策による官民共同の「大日本航空会社」が発足。日本航空輸送社解散、高新航空部消滅

関連サイト:
戦争遺跡ハイキング(16)横浜水上飛行場(リンク切れ)  
ひまわり乳業株式会社/浦戸湾、月見台横の不思議なオブジェ    
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
航空年鑑昭和10年(アギラさんから)
高知航空史
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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コメント 2

Takashi

水上機を係留。後々のメンテナンスが大変そうですね。
厚木のP-3Cも着陸後に噴水みたいな装置で機体洗浄をしていました。
それだけ海水の影響があるんだと思います。
by Takashi (2014-09-08 23:02) 

とり

■Takashiさん
>P-3C
水上機でもないのに(@Д@)
潜水艦探すときはどの位の高度で飛ぶのかしらん。
長い目で見ると、やっぱり塩分大敵ということなんでしょうね。
ありがとうございました。
by とり (2014-09-10 04:57) 

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