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都野津町付近着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



無題3.png
撮影年月日1947/10/03(USA R514-4 119) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


島根県江津市都野津(つのづ)町、二宮町にあった「都野津町付近着陸場」。

防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」に当着陸場の地図があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

都野津町付近(昭和10年2月調)
島根県那賀郡都野津町、同郡二宮村(都野津町北西方約0.8粁)

着陸場の状況
高さ 平均水面上約3米。
広さ及形状 着陸地域は都野津町西方海岸波打際に沿う開示?の長さ北東-
南西約700米、幅北西-南東約80米の細長き長方形地区なり(付図参照)。
地表の土質 沙。
地面の状況 海岸波打際に沿い緩除なる波状の起伏あるも凸凹なし・概し
て海岸に向け緩傾斜を成す平坦地なり・着陸地域の地表は細き沙浜にして普通
の歩行にて靴を約3糎沙に没入する程度なるを以て車輪は相当に没入すべし・
潮差は平均約0.6米にして大なる影響なきも高潮時波浪高きときは使用し得ず
・同地域の南東外側は沙丘にして起伏及凸凹あり・西半部を横断する小流は降
水時以外は常時殆ど涸川にして此の下流は「コンクリート」造の排水暗渠と成
り上面は沙を以て覆われ視認し得ざるも着陸に支障とならず。
場内の障碍物 着陸地域付近の海岸に漂着物、網小屋、乾燥中の漁網及陸
揚しある漁船等あることあり。
適当なる着陸方向 海岸線に並行に進入着陸するを適当とす。
着陸上注意すべき点 車輪没入の処あるを以て重飛行機は特に注意を要す
・嘗て民間機着陸の際車輪を沙中に没入し□□を小破せしことありと言う又陸
軍機は離着陸に支障なかりしも発動機内に多量の沙塵を吸入せるものの如しと
言う。

砂浜を利用した飛行場は幾つか事例がありますが、

青森県の淋代海岸のように、「ハーフ・ベイクド・クレイ」と称される程硬くしまっている砂浜があるかと思えば、

ここは普通に歩いても靴が3cm沈むとか、ヒコーキが壊れるとか、エンジンに砂大量に吸い込むとかありますから、

フカフカですね^^;

これは余程のことがないと降りたくないかも。

資料内には、当着陸場がドコの管理下に置かれているか記されていません。

乾燥中の漁網、陸揚した漁船があるかも。などとあり運用も結構ゆるゆるな感じなので、

地元の漁村前の砂浜を文字通り不時着陸場に設定している(させて頂いている)。

という感じなのかもしれません。

いつからいつまでここが「不時着陸場」として設定されていたかも不明なんですが、

上に貼った1947年の航空写真を見る限り、

昭和10年の地図にある着陸場としての状態を維持しているような気がします。

昭和10年当時暗渠化されていたところ、グーグルマップで見ると、

現在は海岸に向かっていた水路が直角に曲がってますが、これは排水暗渠の名残なんでしょうか。

現在は一部緑地化していますが、掘ればコンクリの構造物が出てくるのかしらん。

この暗渠も、純粋に離着陸のための工事だったかは不明なんですが、

ほったらかしのような、それなりに手の込んでいるような、不思議な着陸場です(個人の感想です)。


DSC_1767_00001.jpg

赤マーカー地点。

滑走路方向



     島根県・都野津町付近着陸場跡地         
都野津町付近着陸場 データ
種 別:不時着陸場
所在地:島根県那賀郡都野津町、同郡二宮村(現・江津市都野津町都野津、二宮町神主)
座 標:N34°59′19″E132°10′59″
標 高:3m
着陸場:700mx80m
方 位:04/22
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1935年 この当時不時着陸場だった  


関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」


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島根県・北浜防空監視哨跡 [├場所]

   (訪問不可)  



島根県出雲市にある「北浜防空監視哨」跡。

現在跡地周辺一帯はユーラス新出雲ウインドファームの用地になっており、立ち入りができません。

2013年3月 出雲市教育委員会から報告書がが出されました。

これは風力発電建設に伴い、2007年度に実施した北浜防空監視哨跡の発掘調査の報告書で、

【出雲市文化財調査報告書 北浜防空監視哨跡 高島城跡】で検索すると閲覧できます。

この報告書から監視哨関連を以下抜粋させて頂きました(詳しくは直接報告書をご覧ください)。

 太平洋戦争末期には、十六島町の北側の半島稜線上に防空監視哨が建設された。主に西から進入してくる敵機を哨戒することが目的であり、学生たちが監視の任務にあたった。くしくも現代では、北浜防空監視哨から東へ3.3キロメートルの半島稜線上に、航空路監視レーダーが建設されており、今は昔と違い、航空機の安全航行の監視を担っている。

 当初は聴音壕のある尾根上に風力発電施設、建物跡に管理用道路を通す予定で、北浜監視哨跡全体が取り壊される計画だったため、現地保存できるよう計画変更をお願いした。

 聴音後は、尾根の最上部の標高212mの地点に築かれたコンクリート製の構造物である。保存状態について観察したところ、ほとんど劣化をしておらず、良好な状態を保っていた。外径は3.7m、内径は3mあり、深さは2.2mある。外壁の構築法をサブトレンチで確認したところ、10cmx6cmのコンクリートブロックが互目の積み方であると判明した。壕の内壁はモルタル仕上げがされている。

 小ブロックを二重に積み上げ、その間を空洞にして、飛行機の爆音を反響しやすくした構造になっている可能性が高い。

 床面はコンクリート敷きである。床面の壁に沿いに高さ50cm、長さ80cm、幅30cmの方形の台座が設けられている。監視員の腰掛であり、東西南北4方にあるのは、敵機の飛行方向に関する的確な情報を探知するためであろう。

 北浜防空監視哨は、昭和16年(1941)に設置され、終戦まで監視体制がとられていた。勤務は哨長1名、副哨長3名、哨員18名で構成され、哨長は不定期であった。勤務は副哨長1名に哨員の6名を1班とした3班編成で、3交代制の24時間勤務であった。勤務内容は立哨2名、通信2名、休息2名の2時間交替の繰り返しであったようである。哨員は北浜、西田、鰐淵3地区の16歳から18歳の男子で、青年学校の生徒が勤務に当たっていた。

 聴音壕は戦後60有余年経っているにもかかわらず、保存状態が良好であった。佐香と小田の監視哨のものと構造・規模が同じであることから、同一の設計図を基に施工されたと考えられる。


二重構造、腰掛の位置等、思いもよらぬ工夫がなされていたのですね。




     島根県・北浜防空監視哨跡         
北浜防空監視哨 データ
所在地:島根県出雲市十六島町1486-1ほか
座 標:35°28'09.5"N 132°45'03.8"E
標 高:212m
(座標はグーグルアースから。所在地、標高は資料から)

沿革
1941年 設置。終戦まで監視体制がとられる


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