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台湾・台中西(豐原西)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




(TAIWANAIRBLOG様から許可を得て作図を使用させて頂いておりますm(_ _)m 下記リンク参照)

台湾台中沙鹿区にあった日本陸軍の「台中西(豐原西)飛行場」。

現在は台中国際空港敷地の西側に当り、ターミナルビル、駐機場、誘導路があります。




     台湾・台中西(豐原西)飛行場跡地         
台中西(豐原西)飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾台中沙鹿区西勢里
座 標:24°15'26.9"N 120°36'07.5"E
標 高:198m
滑走路:1,230mx210m
方 位:02/20
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
TAIWANAIRBLOG/台中飛行場西跑道■ 
盟軍記載的二戰臺灣機場(30,31コマ) 
日治下臺南永康機場的時空記憶(5コマ) 
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台湾・桃子園水上機基地跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾高雄市左営区にあった「桃子園水上機基地」。

先頭のグーグルマップは、

■U.S. Army Map Service/Formosa (Taiwan) City Plans/Toshien

から作図しました(以下AMS。下記リンク参照)。

■「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

当飛行場は連合軍によりASS(Auxiliary Seaplane Station:補助水上機基地)に分類されていました。

また、かつては台湾にあった水上機基地は、淡水と東港の2つだけだと考えられていたそうのなですが、

後になって、米軍の航空写真と記録等から、淡水と東港に加えて、

苓雅寮と左営にもあることが明らかになった。とあります。
 
■太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署(下記リンク参照)に、

「日本占領期の高雄の空港と航空施設」として11の飛行場が挙げられているのですが、

この中に「桃子園(とうしえん)水上機基地」があります。

但し、この資料には水上機基地がドコにあったのかを示す地図等はありません。

この水上機基地の情報として、

「現在の左営軍事港の南側港」とあります。

先頭のグーグルマップに桃子園飛行場滑走路の作図がありますが、

そのすぐ西側の湾になっている部分が現在の左営軍事港です。

AMSで確認すると、当時もここは湾になっていて、海岸線は若干異なるのですが、

湾の南側にスロープらしきものが描かれています。

このAMSから、グーグルマップに作図しました。

赤線で当時の海岸線を、オレンジのシェイプで、スロープを描いています。

スロープ部分には、"probable seaplan ramp"(水上機滑走台の可能性)とあります。

(AMSは大戦末期の時期に米軍が航空写真から作成しているので、個々の場所が何のためのものなのか、

写真から判断しなければならず、「~の可能性」的な表現がちょいちょい出てきます)


AMSには、この湾内のもっと南側(グーグルマップ赤マーカー)にも"Slipways"として、

スロープ状のものが描かれていました。




     台湾・桃子園水上機基地跡地         
桃子園水上機基地 データ
設置管理者:日本海軍
種 別:水上機基地
所在地:台湾高雄市左営区明建里
座 標:22°41'20.6"N 120°16'29.5"E
滑走台:100mx50m
(座標、滑走台長さはグーグルアースから)

沿革
1938年 この年以降開場

関連サイト:
U.S. Army Map Service/Formosa (Taiwan) City Plans/Toshien 
太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署 
盟軍記載的二戰臺灣機場(22,23コマ) 
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台湾・新社飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

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台湾台中新社(しんしゃ)区にある新社基地。

かつては日本海軍の「新社飛行場」でした。

■「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

当飛行場は連合軍によりMAD(Medium Bomber Airfield:中爆撃機飛行場)に分類されています。

地元のサイト様(下記リンク参照)によりますと、

現在の誘導路(赤マーカー)がかつての滑走路だと思われ、

恐らく1,500mか、もしかしたら2,000mあったかもしれないとのことです。

現在の誘導路の舗装面は、長さ1,500m、幅は狭いところは20mしかありませんので、

当時はもっと幅があったはずです。   




     台湾・新社飛行場跡地         
新社飛行場 データ
設置管理者:日本海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾台中新社区復盛里
座 標:24°13'32.7"N 120°48'55.2"E
標 高:462m
滑走路:1,500m?
方 位:17/35
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
Anderson's Airdrome 
盟軍記載的二戰臺灣機場(21コマ) 
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台湾・塩水(南)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

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 (TAIWANAIRBLOG様から許可を得て記事と作図を使用させて頂いておりますm(_ _)m 下記リンク参照)

前記事の続きです。

台湾嘉義県にあった南北飛行場のうち、今回は南側にあった「塩水(南)飛行場」についてです。

現在はこちらも美しい田園が広がっています。

北と同じくこちらも陸軍の飛行場です。

■日治下臺南永康機場的時空記憶

によれば、北飛行場が終戦後すぐ廃止になったのに対し、

こちらは特にそうしたことが書かれていません。

■「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)には、

戦時中台湾にあった各飛行場について連合軍の分類表があり、

FAD(Fighter Airfields:戦闘機飛行場)のカテゴリー蘭に、

「鹽水(滑走路2本)」とありました。

この資料には、塩水の南北飛行場の1945年の航空写真も掲載されているんですが、

先頭のグーグルマップの通りで、滑走路はそれぞれ1本ずつ。

もしかしたら未知の西飛行場は滑走路が2本という可能性もあるんですが、

この資料には西飛行場の写真等ないため確認できません。


南北飛行場はどちらも陸軍の飛行場で、近接していて誘導路で結ばれているので、

現在入手できている情報では、飛行場2つまとめて「鹽水(滑走路2本)」と記しているのかも。

と考えるのが最も可能性高いように思います。


連合軍による飛行場の分類には基準があり、

例えば「FAD(戦闘機飛行場)の滑走路の長さは3,000ft(約914m)以上」とあります。

で、南北の滑走路の長さは、北:1,900m、南:2,100m で、条件的には十分です。



     台湾・塩水(南)飛行場跡地         
塩水(南)飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾嘉義県義竹郷東光村
座 標:23°21'59.6"N 120°15'20.1"E
標 高:7m
滑走路:2,100mx300m(不定形)
方 位:18/36
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
TAIWANAIRBLOG/塩水(北)飛行場平面圖 
盟軍記載的二戰臺灣機場(21,36コマ) 
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台湾・塩水(鹽水)北飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

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(TAIWANAIRBLOG様から許可を得て記事と作図を使用させて頂いておりますm(_ _)m 下記リンク参照)

台湾嘉義県にあった「塩水(鹽水)北飛行場」。

現在周辺は田んぼが広がり、農道に沿って用水路が張り巡らされています。

先頭のグーグルマップをご覧の通りで、南北2つの塩水飛行場がありますが、

今回は北側の「塩水(鹽水)北飛行場」を取りあげ、次の記事で南側の飛行場を取りあげます。

■日治下臺南永康機場的時空記憶というサイト様には、日本が台湾に造った71の飛行場を挙げていて、

このリストには、塩水の飛行場として、鹽水(北)、鹽水(南)、鹽水(西)と3つの飛行場が記されているのですが、

「塩水西飛行場」はドコにあるのか不明です。

ともあれ、「塩水北飛行場」「塩水南飛行場」共に日本陸軍の飛行場であり、

「塩水北飛行場」の方は終戦時にすぐ廃止になったのだそうです。




当飛行場唯一のコンクリート製の遺構と思われるものがあります。

地下指揮所跡(赤マーカー地点)です。

■「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)には、

戦時中台湾にあった各飛行場について連合軍の分類表があり、

FAD(Fighter Airfields:戦闘機飛行場)のカテゴリー蘭に、

「鹽水(滑走路2本)」とありました。

この資料には、塩水の南北飛行場の1945年の航空写真も掲載されているんですが、

先頭のグーグルマップの通りで、滑走路はそれぞれ1本ずつ。

この資料には西飛行場の写真等ないため、どういうことなのか確認できません。

南北飛行場はどちらも陸軍の飛行場で、近接していて誘導路で結ばれているので、

現在入手できている情報では、飛行場2つまとめて「鹽水(滑走路2本)」と記している。

と考えるのが最も可能性高いように思います。

連合軍による飛行場の分類には基準があり、

例えば「FAD(戦闘機飛行場)の滑走路の長さは3,000ft(約914m)以上」とあります。

で、南北の滑走路の長さは、北:1,900m、南:2,100m で、条件的には十分です。




     台湾・塩水(鹽水)北飛行場跡地         
塩水(鹽水)北飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾嘉義県鹿草郷竹山村
座 標:23°24'17.4"N 120°16'41.6"E
標 高:10m
滑走路:1,900mx335m
方 位:18/36
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
TAIWANAIRBLOG/塩水(北)飛行場平面圖 
盟軍記載的二戰臺灣機場(21,36コマ) 
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