愛媛飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2014年6月訪問 2021/12更新
1/25000「松山南部」昭和3年測図・昭和6.6.30発行「今昔マップ on the web」より作成
愛媛県伊予郡を流れる重信川の河川敷には大正時代、「愛媛飛行場」がありました。
■データベース「えひめの記憶」というサイト内に「松山空港発展史 愛媛飛行場」という項目があり、以下の通り記されていました(下記リンク参照)。
「第二次大戦前、伊予郡松前町徳丸の重信町河川敷(通称横土手)、に愛媛飛行場という小さな民間の飛行場があった。幅六〇m、長さ一㎞。河原を地ならししただけの簡単なものだったが、航空局の認可を得た正式なものとしては県下第一号で、大正一四年一月にオープンした。同時に愛媛飛行練習所も開設された。所長兼教官が曽根定丸三等飛行機操縦士。単葉機一機(後に二機)で、主にビラまきなど商業飛行中心に活動していたが、飛行機が事故で使えなくなり、一年五か月で閉鎖された。この間教えた練習生は一人だけで、松山市の藤田武明だった。」
■国立国会図書館デジタルコレクション「報知年鑑 大正15年」に、
「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」のページがあります(下記リンク参照)。
ここに当飛行場についての情報がありました。
管理人 曽根定丸
種類 陸上
位置 愛媛県伊予郡北伊予村
面積 記載無し
隣のページには、「本邦民間飛行機操縦術練習所〔大正14・8・1現在〕」がありました。
名称 愛媛飛行同志団練習所
所在地 愛媛県伊予郡北伊予村
代表者 曽根定丸
■同じく「報知年鑑.大正16年」に、本邦民間飛行場調〔大正15.8〕がありました(下記リンク参照)。
使用者 曾根定丸
種類 陸上
位置 愛媛県伊予郡北予村字徳丸字横土手
面積 72,400坪
データベース「えひめの記憶」には、「大正15年1月にオープンし、1年5ヵ月で閉鎖」とあります。
ということは、当飛行場があったのは、大正15年1月~大正16年6月ということに。
報知年鑑〔大正15.8〕に当飛行場が記載されているのはいいとして、
〔大正14・8調〕に登場するのは変な気がするのですが。。。
■面積の問題
赤マーカー地点
多分この辺から奥に向かって滑走路が伸びていたと思うのですが。。。
お邪魔した日は良いお天気で、画面奥の河川敷で警察犬のコンテスト?が行われていました。
愛媛県・愛媛飛行場跡地
河川敷で地元の方に(多分10人位)お尋ねしたのですが、オイラがお聞きした限りではここに飛行場があったことをご存知の方はおられませんでした
愛媛飛行場 データ
使用者:曾根定丸
種 別:民間飛行場
所在地:愛媛県伊予郡北予村字徳丸字横土手(現・伊予郡松前町徳丸)
座 標:N33°47′42″E132°46′13″
面 積:23.9ha
着陸帯:1,000m×60m
方 位:12/30
(座標、方位はグーグルアースから)
沿革
1925年01月 開場。愛媛飛行練習所開設
1926年06月? 飛行機事故により1年5か月で閉鎖
関連サイト:
データベース「えひめの記憶」/「松山空港発展史 愛媛飛行場」■
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正15年(183コマ)■
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正16年(225コマ)■
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この辺りは大挙として米艦載機が爆撃のため通過する場所でしたから、飛行場は必須だったんでしょうね。
by ジョルノ飛曹長 (2014-09-25 12:27)
字絵図上、常時水が流れている所は国の所有地となるので、当時は民間の飛行場のあった場所には水は流れていなかったのでしょう(^O^)
鹿児島の甲突川の中にも、所有権移転がされず川の中に地番があるところがありましたよ。川が蛇行することで水没ってことでしょうが。
ちなみに敷地が川によって二つとか三つとかに分かれてしまったら、枝番がつくんですよ(^O^)
by 鹿児島のこういち (2014-09-26 09:54)
皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m
■ジョルノ飛曹長さん
それでこの地域は戦中飛行場だらけだったのですね。
どうもありがとうございました。
■鹿児島のこういちさん
またまた知らないお話ばかりでした。
枝番がつくなんて面白いですね~。
by とり (2014-09-27 20:03)