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台湾・埔里臨時飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   (未訪問)  




台湾南投県埔里(ほり)鎮。

現在は建物がぎっしりと建ち並んでいますが、かつてここは埔里練兵場で、「埔里臨時飛行場」がありました。

(TAIWANAIRBLOG/霧社事件中的埔里飛行場 様から許可を得て記事と作図を使用させて頂いております)

iPULI 愛埔里生活地圖/埔里梅仔腳飛行場 というサイト様(下記リンク)に、

この臨時飛行場が設定されたいきさつが出ていました。

それによりますと、昭和5年10月27日に「霧社事件」が発生した際、

山に立てこもった蜂起グループに対する偵察と攻撃作戦を実行するため、屏東の飛行第八連隊が投入されました。

余談ですが記事には単発複葉機の写真が掲載されていて、垂直尾翼には「乙式一型偵察機」とあります。

(日本陸軍はサルムソン2を購入、ライセンス生産して「乙式一型偵察機」として使用していました)




この作戦に投入された「飛行第八連隊」は、元々台湾南部高雄市の屛東飛行場(紫マーカー)にいました。

ここから蜂起グループが立てこもった山(赤マーカーの辺り)までは150km以上あります。

そのため「飛行第八連隊」を鹿港飛行場(青マーカー)に移し、ここから作戦を実施することにしました。

ところが、(台湾)ー霧社事件の今昔ー には、

屏東飛行隊の基地を鹿港に移したが、
鹿港飛行場からは往復二時間かかるため、
埔里練兵場を臨時飛行場とした。
滑走路の長さ300m

とありました。

屏東から鹿港に移動したんですが、それでも往復2時間かかるため、更に埔里練兵場を臨時飛行場としたんですね。

鹿港飛行場から埔里臨時飛行場までは、直線距離で60km弱しかないんですが、

飛行隊は作戦期間中連日の出動だったのだそうで、前進基地を造った方が良いとの判断だったんでしょうね。




     台湾・埔里臨時飛行場跡地         
埔里臨時飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上臨時飛行場
所在地:台湾南投県埔里鎮
座 標:23°58'11.9"N 120°58'21.1"E
標 高:462m
滑走路:300m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1930年10月 27日 「霧社事件」発生
    11月 7日 埔里臨時飛行場完成

関連サイト:
TAIWANAIRBLOG/霧社事件中的埔里飛行場 
iPULI 愛埔里生活地圖/埔里梅仔腳飛行場  
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