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人吉神殿原飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2016年5月、2024年1月訪問 2024/1更新   


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撮影年月日 1947/12/07(昭22)(USA M685 28)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

熊本県球磨郡には球磨川の支流免田川や井口川が作った扇状地が広がっており、

「神殿原(こうどんばる)」と呼ばれています。

昭和20年、ここに陸軍の「人吉神殿原飛行場」が建設されました。

■「熊本の戦争遺跡」に位置図があり、先頭のグーグルマップはこの位置図を参考に作図させて頂きました。

同書に当飛行場について詳しく説明されていました。

一部抜粋させて頂きます。

「本飛行場の名称は戦史叢書内には記載されていません。小字名から神殿原飛行場とも呼称します。ただし陸軍資料『睦作命甲第二号 飛行場配置要図』には、秘匿飛行場を丸破線で標記しており本箇所に『人吉』と記載があることから『人吉飛行場』が軍の名称と想定されます。」

■「九州の戦争遺跡」によりますと、昭和20年4月に陸軍が地元の人々、生徒、朝鮮人労働者を使役して、

東西1,300m、南北500mの飛行場を三か月で完成させたのだそうです。

滑走路には近くのアンチモニー鉱山の鉱滓を敷き、芝張でした。

ここでは練習機による特攻隊員の訓練が行われていましたが、

終戦直前にはこの練習機にも後部に爆弾を積んだ特攻機に改造されていたのだそうです。

終戦となり、1946年から引揚者や空襲で家屋をなくした方々等に供用されたのだそうです。

DSC_0134.jpg

赤マーカー地点。

滑走路方向。

現在飛行場跡地はこんな感じ。

 


(以下2024年1月撮影)

 

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紫マーカー地点にある平和記念碑。

碑文(全文)
 平和区は熊本県の第一次開拓地として昭和二十一年から二十三年にかけ二十二戸が入植し二十六年に地区が誕生した。入植者は松の生い茂る原野を人力のみで開墾し幾多の困難を乗り越え肥沃な農地を擁するに至ったのである。以来、村営住宅平和団地が建設されたほか、数多くの転入者を迎えて、新旧の人々老若男女が一致団結して、よりよき平和郷を築こうと昭和六十年に平和宣言を行った。
 平和区創設五十周年にあたり、区民一同が平和を願う心を確かめ合い、更なる連携と融和を誓い、記念碑を建立するものである。
 平成十三年八月十五日

以下黄色マーカー地点にある1号掩体壕基礎跡。

「陸軍人吉秘匿飛行場木製有蓋掩体壕の系譜」 を参考にさせて頂きました。

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基礎があったのはこんな場所でした。

ぐーっと大きく囲むように基礎が残っています。

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      熊本県・人吉神殿原飛行場跡地     

人吉神殿原飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:熊本県球磨郡あさぎり町
座 標:N32°13′31″E130°54′47″
標 高:174m
滑走路:1,450m×85m
方 位:06/24
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:
「熊本の戦争遺跡」
「九州の戦争遺跡」


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