八丈島の飛行場・補足 [├雑談]
一連の記事で取りあげた八丈島の飛行場、候補地をまとめて載せました。
「旧飛行場」と「第一」は1949年の航空写真から、
「第二/第三」と「第四」は「八丈島の戦史・付図3」から作図しました。
既に前記事に書きましたが地元役場の教育課の方情報として、
実際に建設されたのは、「旧飛行場」と「第一」のみ、
「第二/第三」、「第四」は、「『ここがいいのではないか』と参謀が考えた候補地に過ぎない」とのことです。
Aircraft Action Report No. 1 1945/02/16 : Report No. 2-d(36): USS Hornet, USSBS Index Section 7(国立国会図書館ウェブサイトから転載)■
PUTINさんから教えて頂いた1945年2月作成の米軍戦闘報告書添付の地図(使い回しですが)。
こうして全体図で比較すると、「旧飛行場」と「第一」、
そして候補でしかない「第二」がビックリするほど正確に把握されていたことが判ります。
半面、「第三」、「第四」が抜けており、
しかも島の南西側には日本側の資料には出てこない位置に飛行場が描かれています。
流石の米軍といえども情報収集にはやはり限界がありますね(o ̄∇ ̄o)
Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)■
…と思ったら僅か3ヵ月後の地図ではすっかり正確な情報に更新されているという。。。(XДX)
文字通り全国規模で飛行場/施設の秘匿化、秘匿飛行場の建設に周辺住民総動員でまい進した日本と、
収集した情報を恐ろしい程の精度で解析し、「ここも飛行場かも」といろいろ考えていた米軍。
まさにイタチごっこですね。
ここまで、「第一」とか「第二」とかいう各飛行場の名称は、
防衛研究所収蔵資料:航空基地-115 海軍航空基地位置図
に出ている1/50,000「八丈島航空基地」青図(以下「青図」)の記載に則ってきました。
でもこの名称、実は絶対的なものではないです。
例えばすぐ上の米軍作成の地図では、No.1は合ってるとして、「第二/第三」はまとめてNo.2としているせいで、
「第四」がNo.3と記載されてます。
「まあ米軍が作った地図だから日本軍の名称と異なるのは当然」と言ってしまえばそれまでなんですが、
日本側が作成した資料でも名称がバラバラになっているのです。
このバラバラ名称について、「ここで『第二』となってるのは、本当は『第三』じゃないかしらん」とか、
ここでまとめてぐだぐだとオイラの妄想交えて述べてみたいと思います。
キチンとした資料を持ち合わせていないので、妄想垂れ流しになってしまうのも致し方なし。
ご意見、情報お待ちしておりますm(_ _)m
■NO NAMEさん情報
「第903空が昭和19年12月15日 八丈島に派遣隊
第一飛行場は1200x200と旧飛行場300x600
別記録には第一飛行場は1200x200とすぐ横に1500x100
第二飛行場は1500×200と1500×200
第三飛行場は300×500」
これは「東京都・八丈島海軍飛行場(旧飛行場)」記事にNO NAMEさんから頂いた情報です。
前半部分の
「第903空が昭和19年12月15日 八丈島に派遣隊
第一飛行場は1200×200と旧飛行場300×600」
これはそのまま受け取って問題ないとして、後半部分が問題です。
「別記録には第一飛行場は1200×200とすぐ横に1500×100」
1200×200というのは、「第一」の作り直しで完成した飛行場の最大の長さとピッタリ一致します。
続けて「すぐ横に1500×100」とありますが、
この長さは「第一」の工事中断した飛行場の最大の長さとピッタリ一致します。
ということで、「別記録には第一飛行場は1200×200とすぐ横に1500×100」とは、
「第一」の完成した部分と中断した部分それぞれを指していると思います。
次に、「第二飛行場は1500×200と1500×200」
とありますが、これはV字になっている「第二」と「第三」のことでしょう。
滑走路の長さと幅はどちらも 1500×200 となっていますが、
この数字は上の米軍資料に出てくる数字とピッタリ同じです。
最後に「第三飛行場は300×500」とあります。
青図「第三」は既に登場していますから、
この「第三飛行場」とは、残る青図 「第四」か、「旧飛行場」のいずれかということになります。
他が細長くて、いかにも滑走路的なアスペクト比であるのに対し、
この「第三飛行場」だけ 300×500 と幅広で着陸帯的な形であるのが特徴となっており、
このタテヨコの長さを見ると、「旧飛行場」っぽいです。
前半部分で登場した「旧飛行場」と数字が似通ってますしね。
また、「第四」の候補地は山中であり、等高線に沿って細長い滑走路を造成するならまだしも、
幅広の平坦地を造るのは非常に大変だと考えられることから、
この「第三飛行場」とは、個人的には「旧飛行場」を指しているのではないかと思います。
■防衛研究所収蔵資料:海軍航空基地現状表(内地の部)情報
基地名 | 第一八丈島 | 第二八丈島 | 第三八丈島 |
建設の年 | 1943 | 1945 | 1938 |
飛行場 | 1500x100~200 | 300x80芝 | |
用地面積(除飛行場) | 54,564坪 | ||
格納庫 | 施設あるも数量不明 | 施設あるも数量不明 | |
収容施設 | 300名 | 1800名 | |
工場倉庫 | 20坪 | 施設あるも数量不明 | |
所要経費円 | 36,057 | ||
主要機隊数 | 小、中型計3.0 | 小型 | 小型 |
主任務 | 作戦補給 | 分散置場 | ← |
隧道並に地下施設 | 施設あるも数量不明 | 居住隧道完 其の他工事中止 | |
掩体 | 中有蓋2 中無蓋4 小有蓋1 小無蓋9 | ||
其の他記事 | 路面不良の為不使用 | 不時着程度 |
これは防衛研究所でコピーさせてもらった資料です。
これまた頭を悩ませてしまうのですが、オイラの独断と偏見で話を進めます。
この史料は、岩手県の山田水上機地から沖縄県の第二石垣島基地に至る203の海軍航空基地を含むもので、
作成された正確な日付は不明なのですが、
例えば福島県の馬場平航空基地は、「建設年:1945.8」、「其の他記事:工事中」とあることから、
終戦間際の時期に作成されたものと考えられます。
まず、「第一八丈島」と「第二八丈島」は、どちらも格納庫、収容施設、工場倉庫といった実体があります。
また、「第三八丈島」は1938年建設 とあることから、
この3つは候補地ではなく、実際に存在する飛行場だと考えられます。
八丈島に実際に存在した飛行場は、「旧飛行場」と「第一」の2つ。
「第一」の北側部分にある途中で建設を中断した部分も含めると3つになります。
この前提で上の各項目を見ていくと、
「第一八丈島」→「第一」の完成した滑走路
「第二八丈島」→「第一」の中断した滑走路
「第三八丈島」→「旧飛行場」
ということになると思います。
今回改めてこの資料の「主任務」の項目をすべて見てみたのですが、
そのほとんどは、「作戦」、「教育」、「退避場」、「発進」で占められており、
「補給」、「着陸場」、「偵察」等が少数ありました。
そして特に「分散置場」と記載されているのは、
全203の航空基地の中で「八丈島第二」と「八丈島第三」の2つのみであり、非常に特異なケースとなっています。
この2つは、「其の他記事」の項目を見ると、「路面不良の為不使用」、「不時着程度」とあります。
「第一」の中断部分については、中断した理由について「岩盤等の障害が問題になった可能性が高い」と、
「八丈島空港(第一八丈島航空基地)」記事で書きました。
もしかしたら「路面不良の為不使用」というのは、これと関連があるのかもしれません。
「旧飛行場」は八丈島の元祖飛行場なんですが、それでも「不時着程度」ということで、
末期には飛行場としてはほとんど使われていなかったことを伺わせます。
それにしては航空写真で確認すると、「旧飛行場」と「第一」を結ぶため、
橋までかけてとても立派な誘導路が二本も建設されているんですよね。
「分散置場」が何を意味するのか、キチンとした説明は資料内に無いものの、
末期の飛行場に付与された任務と考えれば、「機体の分散した置場」ということになると思います。
そう考えれば、ほとんど使用しない「旧飛行場」と連絡する立派な誘導路があるのも、しっくりくるのではないかと。
■引渡し目録
ここからは余談なんですが、終戦に伴い日本軍は米軍に引渡し目録を提出しました。
八丈島の引渡し目録が残っていて、アジ歴で閲覧することができます。
その項目は軍のありとあらゆる備品に及び、
回天、航空機等、武器弾薬は当然のこととして、
ストップウォッチ、電球、コンパス、定規、靴下、脚絆等といったものまで含まれており、
例えば、糧食の項目では米や麦にはじまり、テーブルクロスまで、きっちり数量と格納場所が記載されています。
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011055500、八丈島警備隊 引渡目録 (防衛省防衛研究所)」
これは「治療品目録」の一部です(他にもビタミンB注射液、ボラギノール坐剤まで含まれてました)。
この長々と続く引渡し目録は膨大な項目に及んでいるのですが、
その最後にくるのが「国有財産」と「刀剣」です。
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011055800、八丈島警備隊 引渡目録 (防衛省防衛研究所)」
「国有財産」として記されているのはこれが全てで、飛行場は数量:2 とあります。
候補地まで含めると八丈島の飛行場は旧飛行場、第一~第四まであることが大いに関係していると思うのですが、
ネット上では八丈島にあった飛行場の数についての情報が一部錯そうしているのが現状です(2021/11現在)。
それでも、ピンセットや体重計といった直接武器ではないものまで律儀に含めた目録が、
「飛行場は数量:2」としているのですから、
やはり八丈島の飛行場は「旧飛行場」と「第一」の2つしかないのだと思います。
アジ歴/八丈島警備隊 引渡目録 治療品■
アジ歴/八丈島警備隊 引渡目録 国有財産■
この記事の資料:
八丈島の戦史・付図3
防衛研究所収蔵資料:航空基地-115 海軍航空基地位置図
防衛研究所収蔵資料:海軍航空基地現状表(内地の部)
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