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百道水上機飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2017年5月訪問 2022/1更新  



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1/25000「福岡西部」大正15年測図「今昔マップ on the web」より作成 

先頭のグーグルマップは当時の海岸線に(おおよその)線を引いたものです。

「よかトピア通り」はほぼ当時の海岸線なんですね。

ヤフオク!ドームも福岡タワーも、当時は海底でした(@Д@)

で、1918年(大正7年)7月7日、福岡日日新聞(現・西日本新聞)はここに百道海水浴場を開設しました。

充実した施設、交通の便も良く、昭和30年代まで大勢の海水浴客で賑わったのだそうです。


そしてこの海水浴場には、極めて短期間ではあるのですが、「百道水上機飛行場」があったのでした。

大阪の木津川にあった日本航空は、大阪-別府間の路線を延長して、大阪-福岡路線を開設するため、

1924年(大正13年)、当海水浴場に出張所を設けました。

同年4月11日、水上機が飛来。

以降、路線運用の他、曲芸飛行、遊覧飛行等行いましたが、

同年9月2日、日本航空は水上機の発着場を西公園東側の入船町の海岸に移転してしまいました。

なんと、百道は入船町水上機基地 の前身だったんですね。


「大阪の木津川にあった日本航空」ということで、すぐに木津川飛行場 を連想するのですが、

日本航空が大阪~福岡線を開設したのは1924年。

木津川飛行場が着工するのは1927年ですから、当時はまだ飛行場はありませんでした。

木津川飛行場跡地碑の隣に説明版があり、そこには、

「大正一一年からは空の定期貨物輸送も始まり、大阪から東京、徳島、高松、別府などへの路線が次々と開設されましたが、当時はまだ木津川河口や堺の水上飛行場を利用していました。」
とあります。

木津川に飛行場が建設されるまでは、説明版にある通り、木津川河口を利用して福岡便を飛ばしていたのだと思います。

尤も当時の地図で確認すると、木津川飛行場そのものが河口に位置していますので、

そんなに離れていない場所で運用していたのではないかと思います。

「別府の水上機飛行場」 の方は、1923年から運用開始していますので、こちらは計算合ってます。

僅か4か月余の運用で終わってしまった百道水上機飛行場でしたが、

現在では一角に、かつてここが海水浴場であったことを示す碑が建っています。

飛行場のことを示すものは特にありませんでした。


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樋井川に架かる「百道浜橋」。

こちらが内陸側。

当時はこの橋の向こう側が海でした。

現在の浜はここから700m以上先になるんですが、橋の名前にちゃんと当時を留めてますね。

写真の道路、橋にぶつかって左に曲がると碑があります。




     福岡県・百道水上機飛行場跡地      


百道水上機飛行場 データ
設置管理者:日本航空
種 別:水上機飛行場
所在地:福岡県福岡市早良区西新2丁目
座 標:N33°35′21″E130°21′35″
標 高:0m
(座標はグーグルアースから)

沿革
1918年07月 7日 福岡日日新聞、百道海水浴場開設
1924年04月 11日 日本航空の水上機が百道海水浴場に飛来
       15日 曲芸飛行実施
       18日 大阪線週1便の試験運行開始
     07月 26日 遊覧飛行実施
     08月 15分間の博多湾一周飛行
     09月 2日 日本航空、発着場を入船町に移転

関連サイト:
福岡市史/百道(ももち)海水浴場に水上機の飛行場があった!  
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