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春日原飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2017年5月訪問 2022/1更新  


無題3.png
撮影年月日 1947/04/16(昭22)(USA M271 46) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福岡県春日市春日原にあった「春日原飛行場」。

当飛行場についてデータベースであるサイト様に春日市史からの引用がありました。

以下そのまま引用させて頂きます(下記リンク参照)。

海軍春日原航空特別攻撃基地は一般には秘密の飛行場でした。
秘匿航空基地「牧場」として佐世保鎮守府内に11箇所新設されたもの のひとつです
当時 春日村の運動場の400mトラックと隣の野球場の一部をつぶして作られました。
現在は痕跡も残っていません。場所は龍神池(埋め立て前はもっと大きかった)の東側と西鉄春日原駅の間になります。
地番は 春日市春日原北町から 春日原東町にかけての住宅街です。
九三式中間練習機や 二式中練 に150kg爆弾を、 機上作業練習機「白菊」 には250Kg爆弾をつけて体当たりをするための特攻基地でした。

基地の概要
所管:佐世保鎮守府
所在地:春日村
基地名:春日原
牧場名:春日野
建設年月:昭和20年7月
主要機体:小型機
主任務:発進
掩体:分散
その他:離着陸1方向
引用:春日市史

(引用おわり)

地名として、「西鉄春日原駅」、「春日市春日原北町」、「春日原東町」が、

そしてランドマークとして、「400mトラック」、「野球場」、「龍神池」が出てきます。

上の航空写真の通りで、確かにこの地名の場所には、市史にある通りのランドマークが並んでいます。

更に場所について、「龍神池の東側と西鉄春日原駅の間」「春日市春日原北町から 春日原東町にかけて」

とあります。

市史に出てくる「春日原東町」は線路をまたいで南北に広がっているため、

線路の北側も飛行場の範囲だった可能性があるのですが、

ここを走る「西鉄天神大牟田線」は、Wikiによれば1939年に全通しています。

当飛行場の建設年は市史によれば1945年ですから、まず線路ができて、少なくともその6年後に飛行場が建設されました。

線路を跨ぐように滑走路を造ったとは流石に考えにくいので、

滑走路があったのは「西鉄天神大牟田線」以南の範囲と思います。

西鉄春日原駅は龍神池のすぐ北側にあります。

ということで市史にある説明からすると、飛行場があったのは、

「龍神池の東側と西鉄春日原駅の間」から始まり、そのまま線路に沿う辺りにあったのだと考えられるのですが、

上の1947年の航空写真で確認すると、そうはなっていないんですよね。

市史の通りだとすると、龍神池の東から線路に沿って、

ちょうど野球場、トラックを潰すように滑走路があったはずなのですが、野球場もトラックも(ほぼ)そのまま残っています。

可能性としては、野球場、トラックを潰して線路沿いに滑走路を建設し、

戦後再び滑走路跡地に野球場とトラックを造ったと考えられるのですが、

周辺の地割からして、オイラには終戦から2年で滑走路からここまで復興させたとは考えにくいです。

戦後食糧難のこの時代、飛行場建設で潰された場所を畑ではなく、

わざわざ元通り野球場とトラックに作り直すというのも考えにくいです。

引用させて頂いたサイト様でもこの点に疑問が呈されていて、

オイラとしては何年もの間、ここで完全に手詰まりになっていました。


ところが最近になって、PUTINさんから当飛行場について有力な情報を頂きました。

■『海軍施設系技術官の記録』刊行委員会編『海軍施設系技術官の記録』(私家版、1972年)の中で、

当春日原海軍飛行場の設営に携わった方の回想が数行だけですが載っていて、それによれば、

「野球場を滑走路に造成」する設営作業が行なわれた。

のだそうです。

建設に従事したご本人が「野球場を滑走路に造成」したと記しておられるので、

これは非常に信ぴょう性の高い情報です。

更にPUTIN様より報頂きました。

佐世保施設部担当の各飛行場について
件名:佐世保施設部管区航空基地緊急整備推進隊報告
春日原基地
概位:現春日原運動場
工事概要:在来地盤ヲ整地 (ママ)圧シ飛行機隠匿場及組立場新設

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」によれば、

当基地は「福岡航空基地」という名称でもあると記されていました。

以前「あ」さんから、「競技場トラックは北東側に比べて南西側は線が見られないまたは曖昧」というご指摘もいただいており、

「1945年5月 球場南側に飛行場建設」という別資料もあり、

そういう目で改めて1947年の航空写真を見てみれば、龍神池の東側から球場、トラックの南側をかすめるようにして、

ぼやっと白い滑走路のような跡があります(上の航空写真赤矢印)。

これは、春日市史にある「400mトラックと隣の野球場の一部をつぶして作られました」とも一致します。

で、このぼやっと見えるものの通りに線を引いたのが先頭のグーグルマップです。

別の資料の中では当飛行場について、600mx30mとあるのですが、

作図してから長さを測ってみたら、(一番長い辺で)600mx67mでした。

この通りだったとすると、滑走路は龍神池から南東方向に伸びていたことになります。

春日市史の基地の概要に出てくる「その他:離着陸1方向」とは、

もしかしたら離着陸に失敗すると龍神池に即水没という事態を避けるため、

「離着陸は西側から(龍神池側から)開始すること」という意味なのかもしれません。


■防衛研究所収蔵資料:航空基地 4 「海軍航空基地現状表(内地の部)」

に当飛行場について出ていました。以下引用させて頂きます。

基地名 春日原
最寄駅よりの方位 距離 筑豊本線雑餉隈駅SW4
建設の年1945-7
主要機隊数 小型機
主要任務 発進
隧道並に地下施設 工事中
掩体 分散

春日市史にある「基地の概要」とほぼ同じですが、互いに補完し合っている感じですね。

テツ話になってしまうのですが、この資料の中で、最寄り駅について、「筑豊本線雑餉隈駅SW4」とあります。

この周辺の土地勘がある方からすれば、この段階で「? あり得ない!」と思われたはずです。

オイラはテツでもなんでもない一般人なので、一からだったのですが、

筑豊本線は、当飛行場のあった春日原の南東約10kmの原田駅から北東方向(春日飛行場から遠ざかる方向)

に伸びており、しかも「雑餉隈駅」はありません。

ここから少しややこしい話になってしまうんですが、「雑餉隈駅」はこの当時、国鉄鹿児島本線にあり、

現在は「南福岡駅」に名称変更になっています。

で、この「南福岡駅」の北北東約600mには現在、「西鉄天神大牟田線」の「雑餉隈駅」があるのですが、

この駅は飛行場当時は「西鉄雑餉隈駅」でした。

結論としましては、「海軍航空基地現状表(内地の部)」の中で、

「最寄駅よりの方位 距離 筑豊本線雑餉隈駅SW4」と記された当時の「雑餉隈駅」は、

現在のJR鹿児島本線「南福岡駅」を指していると思います。

春日原飛行場は、この「南福岡駅」の南東約1.5kmに位置しています。

そして「海軍航空基地現状表(内地の部)」にある通り、この駅から「SW4」だと、

春日原飛行場からは遠ざかる方向になってしまい、九州新幹線博多南駅の向こう側にいってしまいます。

長々と書きましたが、結局のところこの「最寄駅よりの方位 距離 筑豊本線雑餉隈駅SW4」という情報は、

路線と駅の矛盾も含め、正確ではないと思われます。

せめて、「SW4」ではなく、「SE4」だと良かったんですけど。。。


ということで、長々と書きましたが、

現時点でオイラは当飛行場の位置は先頭のグーグルマップの辺りにあったのではないかと考えています。

地元市史に出てくる詳細な場所情報と少々違ってしまうのが非常に気になるのですが。。。

情報お待ちしておりますm(_ _)m


DSC_0203.jpg


赤マーカー地点。

瑞穂町三丁目交差点。

信号の先から画面奥に向かって真っすぐ滑走路が伸びていたと思うのですが。。。




     福岡県・春日原飛行場跡地      


春日原飛行場 データ
設置管理者: 旧海軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:福岡県春日市春日原南町、東町
座 標:N33°32′01″E130°28′28″
標 高:24m
滑走路:600mx67m?
方 位:13/31
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年7月 建設

関連サイト:
春日原海軍飛行場 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
春日市史
「海軍施設系技術官の記録」
防衛研究所収蔵資料:航空基地 4 「海軍航空基地現状表(内地の部)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」

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