玄界航空基地(松末基地)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2024年5月 訪問
撮影年月日1947/11/02(昭22)(USA R158 13)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
全図。この記事は赤で囲ったⅢ
「接収品施設目録 玄海航空基地」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011077800、航空隊 引渡目録 7/14 (防衛省防衛研究所)26,29コマ
福岡県糸島市二丈松末(ますえ)にあった「玄界航空基地(松末基地)」。
・糸島市広報いとしま 2016年8月15日号 7p
・アジ歴 C08011077800 接収品施設目録 玄海航空基地
に図があり、先頭のグーグルマップはこの図から作図しました(下記リンク参照)。
目検討で作図してますので、かなり大まかなものです。
おおよそこんな感じということでご了承くださいませ。
赤マーカー地点。
長さ75mの浜辺になっており、ここだけポッカリと開けています。
ここに水上機を隠して運用していたなんて、まさに秘密基地という雰囲気でした。
福岡県・玄界航空基地(松末基地)跡地
玄界航空基地(松末基地) データ
設置管理者:海軍
種 別:水上機用飛行場
所在地:福岡県糸島市二丈松末
座 標:33°32'08.1"N 130°08'51.7"E
(座標グーグルアースから)
沿革
1945年春 本土決戦を想定し、秘匿性の高い後方基地として選定される
関連サイト:
糸島市広報いとしま 2016年8月15日号 7p■
アジ歴 C08011077800 接収品施設目録 玄海航空基地■
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玄界航空基地(岐志基地)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2024年5月訪問
撮影年月日1947/03/22(昭22)(USA M180 45)■ 番号の辺りに陸揚装置があったのですが見当たらず
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
全図。この記事は赤で囲ったⅡ
Ⅱ拡大図 「接収品施設目録 玄海航空基地」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011077800、航空隊 引渡目録 7/14 (防衛省防衛研究所)26,28コマ
福岡県糸島市にあった「玄界基地(岐志基地)跡地」。
■糸島市広報いとしま 2016年8月15日号 7p
■アジ歴 C08011077800 接収品施設目録 玄海航空基地
■糸島ささ日情報局2020 8/13
に図があり、先頭のグーグルマップはこの図から作図しました(下記リンク参照)。
目検討で作図してますので、かなり大まかなものです。
おおよそこんな感じということでご了承くださいませ。
①赤マーカー地点。
本当は15mほど右側から板敷式陸揚装置が海に向って伸びていたはずなんですが、
諸般の事情からこの場所でしか撮れませんでした。
②青マーカー地点(上3枚とも)
この辺りから板敷式陸揚装置が海に向って突き出していたはず。
③黄色マーカー地点。
この辺りから海に向ってレール式陸揚装置が伸びていたはず。
ご覧の通りで現在は緑の壁になってますね。
黄色マーカー地点から少し右側にズレると、海が望めます。
釣りをしておられる方の辺りにレールが伸びていたのではないかと。
福岡県・玄界基地(岐志基地)跡地
玄界基地(岐志基地)跡地 データ
設置管理者:海軍
種 別:水上機飛行場
所在地:福岡県糸島市志摩岐志町、志摩新町
座 標:33°34'12.4"N 130°07'44.8"E
(座標はグーグルアースから)
沿革
1945年春 本土決戦を想定し、秘匿性の高い後方基地として選定される
関連サイト:
糸島市広報いとしま 2016年8月15日号 7p■
糸島ささ日情報局2020 8/13 ■
アジ歴 C08011077800 接収品施設目録 玄海航空基地■
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中四国九州・3 [■旅行記]
Ⓐ道の駅むなかた→Ⓑ岐志基地跡地→ⓒ船越基地跡地→Ⓓ松末基地跡地→Ⓔ伊万里農道離着陸場計画→Ⓕ針尾送信所跡→Ⓖ大村海軍航空隊跡地→Ⓗ長崎空港→Ⓘ佐賀空港→Ⓐ殉空の碑→Ⓑ熊本北秘匿飛行場跡地→ⓒ熊本空港→Ⓓ北熊本SA(車中泊)
3:30 起床 気温3℃
昨晩停めたときには駐車場利用率は3割程度だったのに、外に出てみたら満車になってた。
流石GW。
4:05 道の駅むなかた出発
ということで、本日も例によって昼食はお握りで済ませ、
ひたすら移動と撮影。
針尾送信所跡はヒコーキとは直接関係ないし、遠回りになるけど、行って良かった。
本当に本当に凄かったです。
本日訪れた場所の一つ、玄界航空基地跡地は、滑走台が複数箇所に設置されていたのですが、
そのうちの1つ(松末基地)が岬にありました。
出発前にGoogleマップ、ストリートビューを駆使して、
その場所への行き方、駐車場所を調べておくのですが、
この岬にある滑走台の場所は、そこに行くための道が見当たりません。
海岸沿いに行こうとすると、磯場のような所を延々移動することになり、
そもそも磯場が滑走台まで続いているかも不明。
断崖絶壁とまではいかないのですが、徒歩で移動はかなり困難そう。
こういう場所で単独なのもマズイです。
ストリートビューで最寄りの道路をスクロールしていくと、
なんか岬方向に向かっていそうな細道があります。
この細道にすべてを賭けることにしました。
今回の旅行中、最も「その場所に辿り着けるか分からない」場所でした。
現場に到着し、実際にこの細道を進んでみると、道はアップダウンと分岐をしながら山奥へ。
でも方向的に滑走台のある岬に向かってるっぽい。
どうか無事に滑走台に辿り着けますように〜。
と願いながら進んでゆくと、続いていた上り坂は下り坂に変わり、
そして海岸に出ました。
周囲は磯場ですが、ここだけ小さく開けて浜辺になっています。
持参した地図と周辺を見比べる限り、多分ココが滑走台のあった場所。
これで勝てるo(`ω´*)oフンス
無事撮影を済ませ、車に戻ることにしたのですが、
分かってしまえば距離も大したことありませんでした。
19:00 夕食
20:30 北熊本SA 着
20:55 寝る。
おやすみなさい。
(続きます)
本日の走行距離:414km
既に記事アップ済みの場所は追記してあります。
海軍航空隊玄界基地(船越基地)跡地■
伊万里農道離着陸場計画■
長崎空港■
佐賀空港■
熊本空港■
福岡県・リンドバーグ飛来記念写真パネル [├場所]
2024年5月訪問
1/25000「福岡」昭和11年二修「今昔マップ on the web」から作成(戦時改描の可能性)
福岡県福岡市東区名島海岸。
ここにリンドバーグ飛来記念写真パネルがあります(赤マーカー地点)。
パンナムから北太平洋航路調査の依頼を受け、その一環で、昭和6年(1931年)9月17日、
当名島飛行場に飛来したのでした。
単独大西洋無着陸飛行から4年後のことでした。
国内の飛行ルートは、根室→霞ケ浦→大阪→名島 でした。
パネルが設けられたこの場所は、実際の飛行場からは200m少々離れていますが、
水上機が離着水した雰囲気が感じられます。
福岡県・リンドバーグ飛来記念写真パネル
リンドバーグ飛来記念写真パネル データ
所在地:福岡県福岡市東区名島1丁目29
座 標:33°38'50.1"N 130°25'19.5"E
(所在地、座標はグーグルアースから)
沿革
1931年9月17日 大阪から飛来
関連サイト:
ブログ内関連記事■
福岡県・九州飛行機香椎製作所のスベリ跡 [├国内の空港、飛行場]
2024年5月 訪問
雑餉隈、板付と共に九州飛行機の主力三工場の一つでした。
当製作所については、「わかりやすい郷土の歴史講座」■で非常に分かり易く解説されています。
それによれば、雑餉隈の九州飛行機本社工事場だけでは生産がとても間に合わなくなり、
ここ香椎に巨額の国費を投じて工場を建設し、対潜哨戒機「東海」、零式三座水上偵察機等を製造したのだそうです。
また、工場海側のスベリについても触れ、
「水上偵察機を海に下ろす為のもの」と説明しています。
対潜哨戒機「東海」
零式水上偵察機。
愛知航空機設計。
総生産数:1,423機のうち、ほとんどが当工場で作られたのだそうです。
スベリは製作所南側の博多湾に面していました。
黄マーカー地点。
香椎製作所 南西角から。
ここから奥に向って駐車場側がずーっと工場敷地でした。
車道側が博多湾たい。
ここから奥に向って約80mは「サニーガーデンズ千早店」の駐車場なんですが、
その先に「福岡運輸支局」の白っぽい建物があります。
車道の反対側に渡って、あの白っぽい建物の方に行ってみます。
赤マーカー地点。
はい。反対側に渡って、奥に約80m進みました。
今立っている場所は完全に博多湾の海面たい。
ここは「サニーガーデンズ千早店」と「福岡運輸支局」の境界でもあります。
で、オイラの作図が正しければなんですが、
「福岡運輸支局」からこちら側に向って青線の所からスベリが設けられていました。
こちら側の歩道を歩いて、更に奥に進みます。
青マーカー地点。
更に約50m奥に進んで、振り返って撮りました。
今立っている場所は完全に博(以下省略)
完成した零式水上偵察機が、このスベリを使って次々進水したんですね~。
福岡県・九州飛行機香椎製作所のスベリ跡
九州飛行機香椎製作所のスベリ データ
設置管理者:九州飛行機
所在地:福岡県福岡市東区千早3丁目10 香椎浜団地3号線
座 標:33°39'06.2"N 130°26'01.9"E
標 高:0m
滑走台:40mx35m
(座標、標高、滑走台長さはグーグルアースから)
沿革
1942年 製作所完成
関連サイト:
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